百五.ハイハイ灰司の灰はバイバイ
焼ける音と焦げた匂いを伴って現世の肉体が目覚める。
「ガッ! はッ、はあ、はああ。ああああああ! やばかったあああ!」
息と安堵と怒りが同時にあふれ出した。
ふざけんなよ! んだ、あのバケモン狸はよ!
憎しみの声と一緒に、椅子に座った自分の足が地面を打つ音が室内に響く。
マジでやばかった。
あの炎はマジでやばかった。
一瞬で燃やし尽くされた。
一瞬だったのに燃やし尽くされたのがわかった。
まだ音と匂いが残ってる。
耳の奥と鼻の奥で魂が焼かれたのが自覚できる。
「ああああ! くそがああ!」
地団駄すら踏めないほどの完敗だった。
不死身の肉体を失った哲人なら楽勝だと思って挑んだ勝負。十分勝ち目はあったはずだったんだよ。俺だってあっちで魔法を使えるようになったしさ。それなのになんだよあいつ。こっちにいた頃よりバケモンじみてんじゃねえか。しかも容赦ってやつも無くしちまってやがる。前世なら絶対に許してくれてたのによ。弟をなんだと思ってやがんだよ。兄貴なら世界の一つや二つくらいよこせよ。
「ま、あいつは気づいてなかったみてえだけど、あっちの魂はあくまで分霊だからな、こっちの俺が死ぬ事はないんだぜえ。ぶははあは! バカ野郎が! またすぐにあっちに行って今度こそはしっかり殺してやるからよう!」
あっちの世界で身につけた魔法って便利な代物がこっちでも使えるようだし、より忍法を進化させて、あっちにいく方法をもっと簡易にできるな。これであの経理のババアに経費の使いすぎだのなんだのうるせえ事言われずに済むぜ。魔法すげえな。
さて、そのための準備をしねえとなあ。
立ちあがろうと。
自分の足に手を置いて。
立ちあがろうと。
してんのに。
立ち上がれない。
足に力が。
入らねえ。
「あ、え?」
足だけじゃねえ。舌にも力が入らない。声も声にならない。
気づけば。
全身に力が入らない。
「ん、あ、こえ」
まただ。
まだ。
耳の奥でチリチリと音がする。
焼ける音だ。
鼻腔の奥でこびりついてやがる。
焦げる匂いが。
だんだんと大きくなる。
思考が燃える音だ。
だんだんといっぱいになっていく。
魂が焦げる匂いが。
わかる。
こいつは哲人の忍法だ。
ああああ! まだ続いてやがったああ! こっちの魂まで燃やすなんてどんな忍法だよおお!
くそがああ、ふざけんな……弟への容赦はどこ、へ……いったん……
そこで灰司の思考は途切れ、ただ椅子の上で脱力するだけの抜け殻が残された。
◇
「おー、上手くいったあ」
前世にある灰司の魂を見事に地獄の炎で焼き尽くせたのが確認できた。
上手くいってよかったなあ。
今回使った忍術。
これが珍しく難しい忍術だった。この忍術はこの世界で得た時間魔法と空間魔法の発展系。時間も空間も飛び越えて、全ての繋がりまで影響範囲とする魔法をまず開発する事から始まった。その魔法、まだこの世界には存在しないから僕が命名したんだけど量子魔法と言うんだけど。
これは、繋がりのある片方の変化を、時間も空間も関係なく繋がりのあるもう片方へと伝播させるこの魔法。前世の量子とは少し違うけれど、繋がりのある二つの魂を同時に焼くにはうってつけの忍術だった。
これのおかげでこっちの世界とあっちの世界の両方で灰司を殺せた。
絶対にあいつの事だから安全策をとってると思ったんだよなあ。じゃないと灰司本人が僕に挑んでくるなんて有り得ないもん。
そしたら案の定、こっちに来てる魂は分霊で本体はあっちの世界にのこしてきてたもんなあ。この忍術がなかったら、絶対また準備を整えてやってくるからなあ。しつこいのよねえ、自分が勝つまでやめないんだもん。
しかも、あいつってばいっつも他人をフロントに立たせて自分は安全圏からチクチクと僕の嫌がる事をしてくるからなあ。面白いくらいイヤらしかったよねえ。
はーそれがなくなるとなると、それはそれで少し寂しいかなあ。
でもねえ、僕の執着した世界に手を出そうっていうんだからやっぱりだめだよねえ。
残念だけど、灰司ばいばあい。
「さて、こっからどうしようか?」
問題は山積みだ。
首謀者である灰司はやっつけたけど、王都の人間の大半は僕が首を刈っちゃったし、これで異世界からの侵略者を一掃できたのかといえば、はっきりそうとは言い難い。救世主なんていうけれど、王冠をもらっても特に変化はないし、王笏も行方不明だし、どうやってこの事態の後始末をつけたらいいのかも。
ちんぷんかんぷんだ。
ここは狸らしく、鼻を鳴らして、丸くなって寝るべきではなかろうか?
ふーん。
鼻を鳴らした後、大きく息を吸い込んだ僕の鼻腔に知っている匂いがした。
<書き溜めがあ!
<尽きたあ!
と言うわけで数日書き溜めを作ってから投稿いたします。
クライマックスに向かいますので最後までお付き合いいただけますと幸いです。