百四.炎燃えるよゴートゥヘル
にっこりと笑う狸はゆっくりと灰司へと近づく。
「やめ、くる、な!」
灰司の怯える顔を見るのは何度目だろう。
前世では何度も見たけれど。
今世では初めて。
初めてで最期にしよう。
大丈夫。
ちゃんとお兄ちゃんが後始末をつけてあげるから。
灰司が欲しがるものならなんでもあげちゃってたけれど。こっちの世界はダメだよう。こっちだけはあげられない。あっちの世界ではきっと僕が君から全部奪ってしまったのだろうと思って何でもあげていたけれど。
こっちの世界は何もあげない。
「狸隠神流忍術 隠世箱」
空間魔法を応用した忍術を発動する。
ふう、よかったカッコいい感じの忍術になった。
発動した忍術は世界を切り取る。
痛みを与えず、苦しみを与えず、まるで元々そうであったように。
「……は? 何した?」
だから灰司は気づかない。
「腕、見てごらん」
だから僕が教えてあげる。
「が……俺の……腕がねえ! 哲人! てめえ! 返せ!」
灰司の右腕だけが消えている。
スッパリと真っ直ぐに断面まで見える状態で腕を失っている。
どこにもない。
それはそう。僕が切り取って別の空間に置いてあるから。
それを返せと?
ふむ。
「わかったよう」
異空間に送っていた腕をこの空間の別座標に戻してあげる。
灰司の目の前に、その断面がしっかりと見えるようにね。
「血管が、筋肉が、動いて、ああああ、やめろ! 返せってのは元に戻せって事だああ!」
返してあげたのに、注文の多い弟だなあ。
「だあめ。次は足、行くよう」
そう告げて。
僕は次々と灰司のパーツを隔離しては、灰司の目の前に陳列してあげる。
右太腿。
左手。
右足。
左腕。
胸部。
左太腿。
臀部。
といった具合に細分化して、灰司から断面がしっかりと見えるように。
まるでダミアン・ハーストのアート作品のように中空へと灰司の体を飾っていく。
「お、れの腕、あ、尻、あああ、やめ、たまはやめ……もう……やめてくれえ」
なんか灰司が言ってるけど気にしない。綺麗じゃないか。アートだぞアート。
抗議を無視して、綺麗に飾っていくうちに。
最後には首だけになった。
「完成っと。ねえ、どう? この使い方、灰司はどう思う? 空間魔法って、灰司みたいに、全部を送っちゃうんじゃなくてさあ、こういう風に使った方が魔力効率も相手への効果も高いと思うんだけど?」
「……どう? じゃねえ。もう許してくれ……哲人、お前の勝ちだ。俺はもうあっちに帰る。おうちに帰るからよ。もう勘弁してくれよ」
灰司は涙を流して懇願している。
この泣き顔もよく見たよう。前世ではなんでも許しちゃったよねえ。でもその泣き顔のまま、僕を部下に殺させようとしたりしたよねえ。懐かしい。今回も同じだねえ。
「ふふ、そう言ってさ、さっきから逃げ帰ろうとしてるけど、帰れないだろう? 魂を元の世界へ帰そうとしてるの気づいているよう?」
一応魂干渉系の忍法も齧ってはいるからわかるんだよう。
ま、帰してはあげないけどねえ。
「が! さっきから俺の魂操作忍法を邪魔してやがったのはてめえか! 哲人! ふざけんな! 殺す!」
ほらね。泣いて殊勝な振りしてるけど、バレちゃったらこうなんだよねえ。
もー灰司は首だけになってもよく吠えるなあ。
「うん、この空間にあるように見えているけどさ、首から上も含めて、既に灰司は僕の作った異空間に囚われてるから、それを破らない限りは魂のカケラすら元の世界へは戻せないよう」
前世の僕なら首だけのこしてあげて、魂は逃げられるようにしてあげたかもしれないけどね。
今回はもうダメ。
前世も今世も合わせて、生まれて初めて僕にできた大事な世界に手を出したんだ。
家族に、友に、妻に。
僕は執着している。
こっちにきて初めて執着って感情を知ってさあ、今までは大事に思ったり、幸せにしたくて、そばにいてほしくて、離れてほしくなくて、ずうっと一緒に歩いて行きたいっていう気持ちで。
それがただ幸せなだけな感情だと思ってたけど。
違ったんだねえ。
とっても怖い感情だった。
大事に思っているものを失うのがこんなに怖いなんて前世ではまったく知らなかった。
そうか。知らなかったから、前世ではあんなに簡単に人から奪えたんだなあ。仕事だから、家のためだから、これが当たり前だから。やらなきゃ自分が死ぬだけだから。……これは僕は死なないから関係ないんだけどさ。
みんながそう言う。
だから殺した。
だから奪った。
もしかしたら僕が他人の死に際の言葉に逆らえなかったのは、それから目を逸らすための代償行為だったのかもしれないなあ。実際この世界に馴染んで、仕事の殺しをしなくなってからはそこまでそういう強迫観念は薄くなったもん。
僕がそんな懐かしい思い出に耽っていると。その間、ずっと罵詈雑言やら何やらを喚いていた灰司が聞き捨てならない事を言っているのが耳に入った。
「解放しろ! 哲人! 今なら元の世界に帰してやる! なあ聞けよ! 神農の頭目もお前でいい! なあ、全部元通りにするからよ! 許してくれ! な! なあ!」
「は?」
僕を帰す?
元に戻す?
あーそんな事もできるのか。
はーそんな事ができちゃうのか。
じゃあ、やっぱりさあーー
狸は覚悟をキメてにっこりと笑う。
口をくぱりと三日月に歪めて。
「おお、許してくれるのか? じゃあよ、早速元に戻すから、これを、俺の体を元に戻してくれよ!」
僕は無言で首肯して灰司に歩み寄る。
「さすが哲人だぜ、心がひれえや!」
許された。助かる。
そう勘違いした灰司は嬉しそうに首だけで笑う。
そんな彼に。
もう僕から何もいう事はない。
僕ができる最高の忍術で送ってあげるだけ。
「狸隠神流忍術 量子地獄炎陣」
発動と同時に灰司の首を中心として、全てのパーツの下に陣が浮かぶ。
時間の魔法と、空間の魔法の、二つの萌芽を人間と魔族から得た僕は、それを糧にさらに飛び越えて、この魔法に着想を得た。そして空いた時間でそれを利用した忍術の開発に着手していた。時間魔法も空間魔法も開発していなかったのはこれが理由だ。これらは多分ぶっつけ本番でできると思ってたし。ネーミングは失敗するだろうけど、まあその辺は後からでも変えられるしねえ。でもこっちはそうはいかない。新しい概念の魔法を開発した上で、さらに忍術にしなければならない。
時間のない中で割と頑張った。
その結果、この忍術を僕は開発した。
一つ上の概念として、この忍術を開発した。
これがあれば今回の侵略者には覿面に効くだろうと思う。
まるでこの状況を予測していたみたいな忍術なんだよなあ。これが救世主補正かなあ? なんて小っ恥ずかしい考えが頭をよぎったのでブルブルと振り払っておいた。
「おっとそろそろお別れだ、別れの口づけをしておかなきゃね」
「おう、じゃあなあ、哲人。帰ったら約束を守るわ」
まだ帰れると思っているのだろう。
そんな白々しい言葉と薄っぺらい笑顔を浮かべる灰司。
帰って復讐の準備をする気満々の灰司。
じゃあね、灰司。
僕はちょうど手近にあったまあるい灰司の一部に口づけした。
……してから気づいたけど。これたまたまか。うええ、失敗した。
僕がたまから口を離して、ぺっぺっと穢れを吐き出していると。
タイミングよく、陣から炎が立ち上った。
「お、はじまったねえ。バイバイ灰司」
「んだ、これは! てめえ! てつ……」
異変に気づいて僕を詰ろうとする灰司の言葉は最後まで音にならない。
だって、これは一瞬で全てを焼き尽くす地獄の炎だから。
あちこちに点在する灰司のかけらは灰も残さず。
一瞬で。
消えた。
「さようなら、灰司」
最期に残ったのは僕の言葉だけだった。
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