最後の手紙
「それはやめておいた方がいいと思うわ。」
はるこは反対する。
「お姉様まで反対するの?」
はるこは琴葉が芳子と会っているのを知っていた。だけど父には黙ってくれていた。芳子との関係を黙認してくれていたのだ。
「琴葉、よく聞いて。今は中国と日本は戦争しているのよ。そんなところに日本人である琴葉がやって来たら北京の人達はどう思う?」
以前芳子も話していた。北京では学生達が反日デモを中国各地で起こしている。中には遊撃隊を作り、武器を取って日本軍と戦っている若者もいると。
日本人である自分は真っ先に標的されるだろう。自分だけならまだいい、中国人でありながら日本人と親しくしている芳子もただではすまない。
「琴葉、よく考えて決めなさい。」
はるこは部屋を出ていく。
その後琴葉は答えを出せず芳子に返事を書けない日々を送っていた。
暦が変わり10月琴葉は庭でフランス語の書物を訳していた。それも芳子からもらったものだ。昨年まで女学校でフランス語習っていたことを話したとき、せっかく身につけたのに勿体ないと言ってくれたのだ。
「お嬢様」
その時女中がやってきた。琴葉に来客があったのだ。
「誰かしら?通して」
琴葉の一言で女中が来客を連れてくる。
「愛子さん?!」
琴葉の親友の愛子であった。髪は三つ編みに白地に紅椿の柄の着物を着ている。
「愛子さん退院したのね。」
愛子は芳子と同じ病院に入院していたのだ。
「愛子さん、今日は退院の挨拶に?」
「ええ、それもあるけど今日はこれを。」
愛子が差し出したのは一輪の赤い薔薇の花と白い封筒だった。封筒の開封口には薔薇と同じ赤い花びらが貼られている。
「これ、同じ入院してる人に頼まれたの。琴葉ちゃんに宜しくって。」
その人は短髪で軍服を着ていたが華奢な体型から女だとすぐ分かったと愛子は言う。
「きっと芳子様だわ。」
琴葉は手紙の封を切る。
「琴葉ちゃんへ
僕はやっぱり北京には1人で行くことにする。本当は琴葉ちゃんも連れて行きたい。だけど今の戦況を考えたらそれは危険だろう。琴葉ちゃんを危ない目には合わせたくない。
以前僕に胸の傷のこと尋ねたよね。あの時僕は琴葉ちゃんを清らかな少女だと思った。まるで美しい花の隣にだけ咲くかすみ草のような。
僕は大陸に戻ったらまず満州国を再建しようと思ってる。日本軍に支配される偶像国家ではなく本当の意味で五族共和できる国を。その時は琴葉ちゃんを必ず大陸へ呼ぶよ。だからそれまで汚れを知らない無垢なかすみ草のままでいてほしい。
昭和16年10月2日 川島芳子」
「琴葉さん」
口を開いたのは愛子だった。
「芳子さん、今日のお昼の便で横浜の港から発つっていってたわ。うちの車で飛ばせば間に合うわ。」
琴葉は愛子に促されピンク色のワンピースに着替える。そして芳子に最後の返事を書いた。
Il y un beacoup de belle fleurs ,mais je me demande porquoi je n'admire que vous.
美しき花はあまた咲けど何故我はなれにのみ憧るる。