北京へ
琴葉は芳子宛の手紙を鞄の中に忍ばせ学校に行く途中ポストに投函した。
返事は2日後に来た。開封口に薔薇の花びらが貼られて。
「琴葉ちゃんへ
さっさくお手紙ありがとう。琴葉ちゃんとこうしてやりとりできるの嬉しいよ。
それからお兄ちゃんって呼んでほしいなんて無理言ってごめんね。なんて呼ばれようと琴葉ちゃんの気持ちはしっかり届いているよ。
昭和16年9月8日川島芳子」
それからというもの琴葉は机に薔薇の花を飾り芳子の手紙を読み返事を書く。それが日課になっていた。
芳子も薔薇の花を病室に飾っていた。
華やかな香りに包まれて手紙のやりとりをしているとき琴葉は芳子が傍にいるように感じられた。
琴葉は学校の授業のことや休日にはる子と出かけたことなど日常の出来事を手紙に書いた。
芳子からの手紙には中国で過ごしていた頃の話が書かれ、当時書いた絵や詩などが同封されていた。王朝はなくなったけど父、母、弟それから優しい使用人もいて人生で一番幸せな時間だったとも語っていた。
手紙は2日に1回の頻度で琴葉の元へ届いた。手紙の交換を始めて2週間が経った頃琴葉に届いたのはいつもとは違う手紙であった。
「琴葉ちゃんへ
突然だが来月僕は北京へ帰ろうと思ってる。こんな事言ったら琴葉ちゃんを不快にするかもしれない。だけど僕は日本人が怖い。
今も夢でうなされるんだ。僕は何者かに暗殺されそうになってそいつはどこに逃げても僕を追ってくる。まるで満州にいた時のように。日本軍から命を狙われ僕に安らげる場所なんてなかった。
でも琴葉ちゃんは別。君の隣が僕が唯一帰れる場所。安心していられる場所なんだ。
だから良かったら僕と一緒に北京に来ないか?君と暮らしたい。
昭和16年9月22日川島芳子」
芳子様と一緒に北京へ。
それは琴葉にとっては願ってもみない誘いだった。しかし一瞬父の顔が浮かんだ。当然芳子と北京で暮らすなんて許してくれるはずがない。
だけどもし断ったら2度と芳子には会えないだろう。
「もう、これしかないわ。」
琴葉はボストンバッグを取り出し、着替えを中に詰める。貯金箱を揺らし中に大量の小銭が入ってることを確認すると、叩き割り巾着袋へと移し変える。
「琴葉、何の騒ぎ?!」
姉のはるこがノックもせず入って来た。貯金箱をタ叩く音を聞きやって来たのだ。
「琴葉何してるの?!」
はるこは琴葉の荷物を見て尋常じゃない事態を察した。
琴葉は仕方なく全て姉に話す。
内緒で芳子と文通をしていたこと、芳子が来月北京に帰ろうとしていること、そして琴葉も北京に誘われていること。
「だから私家出して芳子様の元へ行こうと思ってるの。お父様に言ったって賛成してもらえっこないから。」
「気持ちは分かる。だけどそれは辞めた方がいいわ。」