8 フラダンス
8 フラダンス
あと一ヶ月ほどで文化祭が開催される。エントリーは済ませた。彼女たちはすぐにフラダンスの練習を始めるかと思いきや、その前に衣装を買いに出かけた。しかし、田舎の街にフラダンスの衣装を打っている店はどこを探してもない。そこで、未来がネットで購入しようと提案した。ネットで検索するといろいろな柄と色の衣装が載っていた。みんなあれがいい、これがいいと言って、賑やかに探した。誰かが同じ柄の衣装に統一しようと提案したが、すぐに却下された。この個性的で自己主張の激しい連中の意見が合うはずがなかった。だれそれがこれにすると言って、万が一他の誰かが私もそれが良いと言うと、前に言った者は前言を翻し、違うものを選び出す。他の人と同じものを着るのはいやなのだ。こんな連中に統一したユニフォームなどありようがない。
こうしてコンピュータの前で賑やかな日が数日続いて、やっと全員の衣装が決まって注文をした。衣装が来る前から、フラダンスに一番興味を持っていた葵がユーチューブを使って一人で踊りを勉強し始めたが、他の連中は衣装が来るまで踊りに身が入らないようだった。ともかく、毎日髪型はどうするか、ネールはどうするか、口紅の色は、ハイビスカスも注文しなければ、などと見てくれの話ばかりに終始した。でも、毎日が楽しそうだった。彼女たちが気づかないうちに、いつの間にかあの暑かった残暑も終わり、本格的な秋がそこまで来ようとしていた。
衣装を着るまでは、フラダンスの練習を始めたいとも思わないようだったが、それでも何か体を動かすことがしたいようだった。誰かが突然「幸せなら手を叩こう」と歌い始めると、いつの間にかみんなでそろって歌い出した。おれもじいさんも一緒に歌って手を叩いた。何度も何度も繰り返して歌った。幸子が「アパートに来た日を思い出すね」と萌に言って、萌は頷いた。これに飽きた頃、明日香が「おっさん、レッツキッスっていう歌知ってる?」とおれに聞いてきた。珍しくみんなの視線がおれに集まった。
「ああ、知ってるよ。坂本九の歌だろう」
「歌ってみてよ」
「レッツキス 頬よせて レッツキッス 目を閉じて」と歌い出したが、続きがわからなかった。すると美咲がスマホで坂本九のジェンカをユーチューブで流し出した。みんな「いい曲じゃん」と言って、何度も再生し、一緒に歌い出した。そして玲奈が「踊ろうよ」と言って左右の足を上げ、両足をそろえて前後して、踊り出した。フォークダンスの単純な踊りだ。「私の後ろに続いてよ」と言って、だんだん踊る列が長くなっていった。おれも列の中に入り、小学校の運動会以来久しぶりにジェンカを歌って踊った。じいさんも列に加わったが、どうみてもリズムに合っていなくて、足が遅れた。それでも、引きずられるようにしてジェンカを踊った。じいさんは楽しそうだった。
「この曲なんていうの?」と玲奈が聞くので、おれが「レットキスって言うんだよ」と教えてやると、「おっさん、発音悪いんじゃないの。やっぱりレッツキスじゃないの。そんな発音じゃ誰もキスしてくれないわよ」と言うと、全員が笑った。おれは赤面しながら「本当にレットキスなんだ」と言うと、ユーチューブを見ていた美咲が「本当にレットキスみたいよ」と言って助け船を出してくれた。彩乃が「じゃあ、レットキスしましょう」と言って、おれの頬にキスをしてくれた。みんながはやし立てて、おれは何十年ぶりかに照れた。おれは照れるという感情をずっと忘れていた。照れる感情が少し若さを取り戻してくれたかもしれない。
「私も昔これ踊ったことがある」と言う者もいれば、「私は初めて」と言う者もいた。「これ楽しいじゃん」と誰かが言って、みんなが同意した。彩乃が「私にもこんな純情な頃があったんだ」と言うと、それに呼応して誰かが「えっ、あんたにもあったの?」と言う声でみんなが笑った。「それじゃあ、もう一回ね」と言って全員で歌って踊り出した。おれは彼女たちにはフラダンスよりも天真爛漫なジェンカの方があっているのではないかと思えた。フラダンスの衣装が届く日まで、彼女たちは毎日時間があれば廊下でジェンカを歌って踊った。おれとじいさんは見ているだけにした。
ついにフラダンスの衣装が届いた。銘々に自分が注文した衣装を探したが、自分のがどれかわからなくなっていた者も出て、彼女は最後に残ったのを受け取っていた。早速試着して、両手をフラダンスのように左右に波立たせてはしゃいだ。みんなが試着すると葵が「早速、フラダンスを始めましょう」と言って、廊下に一列に並んで練習を始めた。おれとじいさんはそれを食堂の中から見ていた。スピーカーから流れる曲に合わせて踊るのだが、みんなやたらと大きく尻を振るので、おれは面白くて大声で笑ってしまった。じいさんも少し遅れて「うほ、うほ」と笑ってくれたので、みんなの怒りは飲み込まれた。フラダンスはもっとエロチックなものだと期待していたが、みんなの踊りはお笑いの出し物以外の何物でもなかった。それでもみんなはへとへとになるまで真剣に練習を続けた。指導する葵の踊りは誰が見てもうまかったので、彼女のハードな指導法に誰も文句を言うものはいなかった。
おれの私的感情を無視したとしても、はっきり言って幸子はまるっきりリズム感がない。一番へたくそだ。指導者の葵は幸子の怒りを買うのを恐れて、幸子を注意したりはしない。幸子も自分がみんなに付いていけないことをわかっていて、一人でぴりぴりして苛立っている。おれも彼女の踊りを正視することができない。
本場のフラダンスの名人は恰幅の良い女性らしいが、幸子の恰幅のよさとは種類が違う。幸子にはふくよかさがなく、やたらめったら筋骨隆々で硬いのだ。その体形がフラダンスをするのにどこまでも違和感を漂わせている。同じ体を動かすにしても、プロレスとフラダンスではまったく違うのだろう。それでも幸子の偉いところは、本来短気な彼女が決して投げ出そうとはしないことだ。プロレスの修行で学んだことは、どんなことでも投げ出さない忍耐力なのかもしれない。余計なお世話かも知れないが、彼女はプロレスと出会ってよかったのだと思う。
的確な指導と教わる者の熱心さによって、みんなは急速に上達していった。それなりに音楽に合わせて手や腰が動くようになった。全員腰には湿布薬が貼られ、練習を始めてアパート全体に湿布薬の匂いが充満するようになった。幸子はどうかって? 幸子もそれなりだ。みんなの中に混ざっても違和感がなくなった。なんてったって幸子の練習量は半端ではなかった。彼女は暇があれば、一人でずっと踊り、時々他の連中にここはどうするのか、と教えを乞うていた。幸子は向上心があって、見かけと違って素直な性格なのだ。
毎日の猛げいこもあり、フラダンスの衣装が傷んできた。誰かが、本番用に新しい衣装を注文しようと言ったが、当日までに日がなかった。すると、優花が布地を手に入れれば、私が全員の分を縫うと言った。そこで、ネットで布地を注文し、駅前でミシンを購入した。優花はフラダンスの練習とコンビニでのバイトの合間に全員の衣装を縫い上げた。前の衣装よりもずっと素晴らしいものが出来上がった。みんなは優花の才能に驚き、感謝した。
明日は文化祭だ。みんなはいつも通り仕事に行き、早く帰ってきて、最後の練習を少しばかりして、フラダンスの衣装を枕元に置いて寝た。
文化祭の朝は良く晴れていた。子供たちはイチョウの実を拾っている。ナンキンハゼの赤や紫の紅葉が見事である。皮がはじけて白い種子が見えるようになった。のどかな田舎の風景である。
つづく