6 海水浴
6 海水浴
みんなの休みがあったこと、幸子の機嫌が良かったこと、うだるような暑い日が続いたことが重なって、誰が言い出しっぺかは忘れたが、全員で海水浴に行こうということになった。夜中に盛り上がって、明後日に行くことになった。善は急げというわけだ。それじゃあ、明日は水着を買わなくてはと誰かが言い、ビキニとかワンピースだとか、赤とか黄とか、小学生のように一晩中はしゃいでいた。当日は始発の6時32分のバスに乗り、電車に乗り継いで行こうということになった。それは早すぎると文句を言う者も数名いたが、その文句ははしゃぐ声にかき消された。
翌日、みんなてんでに買い物に行って、水着やビーチサンダル、ビーチボールなどを買ってきた。花火を買ってきたものもいて、コンビニ組とラーメン組は夕食を食べた後に、外で花火を楽しみ、夜の11時になるとキャバクラ組が早く店を閉めて帰ってきた。それから全員で水着ショーが始まり、ファッションショーのように各自モデルのようなポーズを取った。ある娘はスピーカーを持って来て音楽をならした。玲奈は、他の子のビキニを見て、やっぱりビキニの方がいいから明日買いに行くとわがままを言い出した。すると舞が3着買ってきたから、好きなのをあげるといって3着を渡した。玲奈はあれやこれやと迷っていたが、幸子が「はい、これ」と言った一声で、赤いビキニに決まった。着替えると、ブラジャーが小さくて胸がはみ出したが、みんなからセクシーだって言われて、「これがいい」と喜んだ。じいさんはファッションショーを途中まで楽しそうに見ていたが、途中でこっくりこっくりとして、いつしか寝てしまった。おれは若さと色気にある種の感動を覚えた。ちらっと見た、幸子のワンピースはプロレスのコスチュームに見え、丸出しの太ももの太さの存在感に圧倒されたが、彼女と目を合わすことはできなかった。幸子がおれを見た。どうせいちゃもんをつけられ、いじられるだけだ。今晩の幸子は本当のプロレスラーの姿に戻るのかもしれない。それは怖すぎる。おれもじいさんの傍で死んだふりと言うか、寝たふりをした。相手は熊じゃないんだけど。
明日は早いので早く寝よう、としっかり者の萌が言い、みんな彼女の言うことをきいて、自分の部屋に引っ込んだ。幸子がじいさんを背負って、じいさんの部屋に連れて行った。萌がすでにじいさんの布団を敷いてくれていた。おれは目を覚ましたふりをして、目をこすって、じいさんと並んで寝た。何人かの女の子は、興奮して寝付けずに徹夜をしたようだった。
天気予報通り、朝からぎんぎんに太陽が照りつけていた。朝早く起きて、弁当を作るものがいて、サンダルを履いたり脱いだりする者もいて、全員浮足立っていた。玲奈と明日香がまだ寝ているようだったので、幸子に言われて七海が起こしにいった。朝食は手がかからないように、パンとサラダとヨーグルトとコーヒーだった。じいさんもパンを食べた。
電車の中で12人の女がぺちゃくちゃしゃべっている。周りの乗客は怪訝な顔で見ていた。じいさんとおれは若い子に挟まれて、じいさんは幸せな顔をし、おれは幸せを誰からも悟られないように、むっつりした顔を作っていた。今日のために前の日に購入した服装は、キャバクラ組は派手で露出度が大きく、コンビニ組とラーメン組は地味でスカートの丈が長い、こうして二つの別のグループがあることがはたから見ても一目瞭然だった。どうしたわけか、その中にぼけたようなじいさんとやさぐれたおっさんの二人が混ざっている。理解不能な集団だった。でも、彼女たちが楽しそうなのは、誰が見てもわかる。キャバクラ組はビーチサンダルを履き、足の指には真っ赤なペディキュアが塗られていた。口紅も真っ赤である。対して、コンビニ組とラーメン組はどうしたわけか全員が白い運動靴を履いている。これはこれで怪しい。この混成チームが、いったいどういう集団なのかわかる人は誰もいないだろう。同じ車両に乗った客は、集団の中でもひときわ美人の優花ばかりを見ていた。優花の手首にはリストカットを隠すためにサポーターがしてあった。彩乃はノースリーブの服を着て、「アキラ命」のタトゥーをひけらかせているようだった。タトゥーの上に念入りに日焼け止めクリームを塗っていた。
海に着くと、青い工事用のビニールシートを敷いた。もちろんコンビニ組とラーメン組が準備したものだった。キャバクラ組はシートの地味さにひとくさり文句を言ったが、何のことはない結局全員その上に座った。遠くから二人の若い男が両手にいっぱいの荷物を抱えてこちらに来るようだった。キャバクラ組が手を上げて彼らを呼んだ。そして若い男に指示を出してパラソルを立てさせた。手際よく、ビーチベッドが五つ設置され、その一つにサングラスをかけた幸子が横になった。おれはベッドが大きく軋むのを見て笑いそうになったが、幸子がサングラス越しにこちらを見たようなので、すぐに目線を外した。
キャバクラ組が着てきた服を脱ぐと、ビキニの水着が現れた。しばらくするとまた二人の男がキャバクラ組に手を振り、氷の中に様々なペットボトルの飲み物が入ったクーラーを持ってきた。男たちはみんなに頭を下げてすぐに帰って行った。いずれもキャバクラの常連客らしかったが、みんな愛嬌のある好感の持てる男たちだった。幸子は男たちに「今度また店に来てね。サービスするからさ」と野太い声で礼を言った。
優花は小学生が着るような紺色のスクール水着を着て海に走り出し、いきなり沖に向かってクロールで泳ぎ出した。大会に出た競泳選手のように本気なのだ。そう言えば、彼女は水泳帽をかぶって、ゴーグルをしている。そして腕にはサポータも。どうして海水浴に来たのに、本気で泳ぐのだろうとみんなあっけにとられたが、他人が見ても感心する程の見事な泳ぎっぷりだった。じいさんがボソッと「わしもクロール得意なんです」と言ったが、誰も取り合わなかった。
お笑いタレント志望の明日香が海は初めてだと言った。「やっぱり広いのね。本当に塩辛いの?」と言って舐めた。他の者が、「おまえ、山のない県の出身だっけ?」と聞くと、「茨城県の海の近くに住んでいた」と言う。しかし、誰からも海に連れていってもらったことがないそうだ。ゲームオタクの亜美が、「私は引きこもりになってからは海に行っていないけど、それまでは親が毎年海に連れて行ってくれた」と言った。幸子が「しけた話はなしだよ」と言って、明日香を肩の上に担いで海まで行き、彼女を下して彼女の頭を左腕で抱え、右手で下腹部を持って体を垂直に持ち上げ、そのまま二人で後ろに倒れた。プロレス技のブレーンバスターが豪快に決まった。明日香は「しょっぱい、しょっぽい」と言って、目を瞬かせたが、嬉しそうだった。浜から見ていても、幸子のブレーンバスターは美しかった。浜にいた他の連中が「私にも今の技をかけて」と言って、幸子にかえよっていった。幸子は順番にブレーンバスターをかけた。玲奈はビキニがとれて、豊満な乳房が露わになった。彼女は両手でおっぱいを隠しながら、喜んでいた。
優花以外のコンビニ組とラーメン組の連中は、浮輪に入って足をちゃぽんちゃぽんさせたり、水をかけあって楽しんでいた。貝拾いをしたり、シュノーケリングをする者もいた。キャバクラ組は声をかけてきた男たちと海に入ったり、ボート漕ぎをした。男をあしらうのはお手の物である。
昼になってお腹が空いた頃、みんなが戻ってきて、お手製の海苔巻きや稲荷寿司、それにおにぎりを食べた。幸子が大きなスイカを両手で抱えて持ってきた。スイカ割をしようと言うのだ。叩く棒がなかったが、七海が隣のグループから金属バットを借りてきた。あれほどそっと叩こうとみんなで確認したのに、5番目に順番が回ってきた幸子が、力一杯叩いてスイカを粉々にしてしまった。それでも笑いは尽きなかった。こんなに美味しいスイカをおれはこれまで食べた記憶がなかった。
みんなでビーチバレーをした。コンビニ組の葵と明日香はどこかでバレーをしたことがあるのだろうか、とても上手だった。それでも、すぐ試合のように強烈なアタックをきめてくるので、パスが続かない。どこか生真面目すぎるのだ。生きるのが少し不器用なのだろう。
じいさんをみんなで砂の中に埋めた。じいさんは砂の中で瞑想しているのだろうか、気持ちよさそうに目を閉じている。
おれは夜這いした夜の幸子のジャイアントスイングがすっかりトラウマになってしまっていて、アパートの女の子に性欲を覚えることはなかった。男好きの彩乃が、時たまおれのことを誘うようにしておれの前でしなを作り、おれもバカだからついその気になってしまうこともあるのだが、そんな時でもすぐに幸子の顔が頭に浮かんで、彼女の誘いに乗ることはなかった。近頃は、彩乃もおれをからかうことはなくなった。
全員砂まみれになって、海に入った。涼しい風が吹いてきて、そろそろ帰ろうということになって、全員海の家でシャワーを浴びて着替えた。荷物は午前中に来た若い男たちが、後から取りに来るからそのままにして大丈夫だ、と幸子が言った。じいさんは砂を海に入って流そうとしたのだが、女の子たちがシャワー室に連れていった。じいさんは「クロール、クロール」と最後までぶつぶつ言っていた。
電車の中で、来年の夏は沖縄に行こうと言うものがいて、いやその前に冬にスキーに行こうと言うものが出て、いやいやその前に秋になったらブドウ狩りに行きたいと言い出すものが出た。具体的にどこそこがいいとか、はしゃいでいたが、そのうちみんな疲れが出たようで眠ってしまった。おれは涎を垂らして、右隣が幸子だと言うことを不覚にも忘れてしまい、あろうことか幸子にもたれかかって寝てしまった。涎が幸子の肩にかかった。おれの左隣の萌がそれに気づいて、おれの頭を起こして、自分の方に倒してくれた。幸子にかかった涎は、多分駅に着く頃には乾いているだろう。
つづく