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麦川アパート物語  作者: 美祢林太郎
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5 アパートに増殖する女たち

5 アパートに増殖する女たち


 おれが暇に任せて出会い系サイトを眺めていると、背後からじいさんがおれのスマホを覗き込んで「この娘さんを泊めてあげましょう」と言った。すると萌と幸子も近づいてきて、幸子が「相変わらずこんなのばかり見てんだ」と茶化した。おれはあの魔の夜這いを思い出して、「もう泊めるのはよそう」と言うと、萌が「困っているんだから泊めてあげましょう」と言った。幸子も「そうだよな」と同意した。おれは夜這い以来幸子に逆らえないようになっていた。おれは「おれのぼろアパートでよかったらどうぞ」と返信すると、すぐに「よろしくお願いします」との返信が返ってきた。おれが「何時にどこで待ち合わせしますか?」と聞くと「駅前の虹の彫刻の前で5時に」と返事が来た。おれは「OK」と返信した。4時半にキャバクラから迎えの車が来るので、それにおれと萌が同乗して駅に向かうことになった。いかにも場末のキャバクラらしく、車は年式の古いカローラだった。若い運転手はあんちゃんの風采だったが、幸子が「ケンちゃん、ごくろうさん」と声をかけると、あんちゃんも愛想よく「うす」と答えた。「今日はこの二人も乗せてね」と言うと、またこぎみよく「うす」と答えた。おれは「よろしく」と言って前方の座席に座った。

 おれたち3人を駅前で降ろしてもらうと、彫刻の前に心細そうな女の子が立っていた。いかにも田舎から出てきたというような風采だった。おれたち3人が近づくと、警戒して少し後ずさった。すかさずおれが「美咲ちゃんだよね」と聞くと、反射的に大きな声で「はい」と答えた。彼女は自分の大きな声に照れたように下を向いた。「大丈夫。この二人は同じアパートの住人だから」と言うと、ほっとしたようだった。彼女は男一人が来るものばかりだと思っていたから、びっくりしていたし、加えてごつい幸子がいたので萎縮したのだった。

 幸子がキャバクラに行くからと別れた。そして別れる直後におれに「良い子じゃない」と耳打ちして、にんまりとほほ笑んだ。おれは背筋に寒気を覚えた。萌が今晩の食材を買って帰ろうというので、3人で近くのスーパーに行った。3人で歩いている間中、美咲は「ありがとうございます。ありがとうございます」と頭を下げ続けた。そして我々が聞きもしないのに、自身の身の上話を始めた。

 彼女は群馬の田舎の出身で、家は専業農家らしい。何を作っているか細々と話してくれたが、少なくともおれは興味がなかったので何も覚えていない。高校を卒業して隣町の中古車屋に事務員として勤めていたが、最近、親から結婚をして農家を継ぐように、毎日やいのやいの言われていたらしい。年齢も教えてくれたが、二十歳を超えていることだけ憶えていて、正確な年齢は記憶していない。そう言えば、一人っ子だとも言っていた。多分、そうしたすべてのことは萌が、買い物に忙しかったけれども、全部覚えているだろう。あいつは性格も良いが、記憶力も抜群だ。ただ、あまりにも口数が少ない。シャイな性格なのだろう。

 美咲は農業を継ぐのが嫌で、家出をしてきたという。しばらくホテルに泊まっていたが、金がなくなりそうになったので、初めて出会い系サイトにメールしたそうなのだ。おれが言うのもなんだが、こいつら本当に計画性のない奴らばかりだ。

 アパートに戻ってきて、じいさんに挨拶した。じいさんが「いつまでもいていいですから」と言うと、美咲は嬉しそうに「ずっといます」と答えた。おれは少し頭が痛くなった。美咲は幸子の部屋の隣の部屋で寝たが、おれは幸子の「良い子じゃない」と言う声を思い出したが、夜這いをかけることはできなかった。いつ幸子が帰ってきて、おれをジャイアントスイングで振り回すかも知れないからだ。くわばらくわばらである。

 朝食を幸子も交えて5人で食べていると、美咲が突然サラダのトマトに味がない、と言い出した。実家のトマトの方がずっと美味しいと言うのだ。しつこく言うので、幸子がそんなに自分の家のトマトが美味しいなら、自分の家に帰れと叱った。幸子の迫力ある声に美咲は驚き、大きな声を上げて泣き出した。するとじいさんが、「まあまあ」と言って、「いつかみんなでトマトを食べに美咲ちゃんの家に行きましょう」と言ったので、美咲は泣き止んだ。腹の虫の収まらなかった幸子は「あんたの家のトマトがまずかったら許さないからね」と言って、また美咲が泣き出した。おれは黙ってご飯を食べ、萌は美味しそうにトマトを食べていた。

 そんな美咲だったが、アパートに来て二晩も過ぎると、家事はすべて萌が仕切っているので、やることもなく退屈になってきた。そこで幸子と一緒にキャバクラで働くと言い出した。幸子はそれなら口をきいてやる、と言ってスマホで電話をかけ、その日から勤めることになった。萌はとにかくよくしゃべるので、キャバクラに向いているかも知れないと思った。だが、最初の日は、客に体を触られたと言って泣き出し、店では大騒ぎだったらしい。それを幸子がとりなし、事なきを得たそうなのだ。幸子は体を触られるくらいすぐに慣れると言い、美咲はその言葉に頷くしかなかった。それでも美咲はキャバクラを止めるとは言わなかった。それからすぐに美咲はキャバクラに順応したようで、方言を駆使して人気者になっていった。彼女も幸子と同じようにキャバクラの給料を全額萌に渡した。きっと幸子にそうするように言われたのだろう。だが、幸子も美咲も十分に客からのチップがあったのだろうから、自分で自由に使える金に不足はなかったはずである。だが、二人とも遊んで歩くこともなく、サラリーマンのようにほとんど決まった時間にアパートを出て、定時に二人で帰ってきた。萌は毎日彼女たちの帰りを寝ずに待っていた。おれとじいさんはぐっすりと寝ていたが、たまに尿意で目を覚ます時にそれがわかった。

 5人の共同生活になると、当然のことだが、おれ一人で住んでいた頃よりもアパートはずいぶん活気に満ちている。すでに幸子と美咲の稼ぎで生活ができるようになっていたので、じいさんと一緒に競馬に行くことはなくなってしまった。おれは一人で競馬に行ったり、パチンコに行ったりした。たまにパチンコで勝つと袋一杯にお菓子を詰めて持って帰った。その中にはじいさんの好きなピーナツチョコも入っている。彼女たちは喜んでくれた。おれはそれが嬉しかった。

 5人の生活が三ヶ月も経った頃、おれがいつものように出会い系サイトを見ていると、じいさんが「この子良い子ですね」と言うのだった。萌と幸子と美咲が集まってきて、「どれどれ」とおれのスマホを覗き込んだ。幸子が「こりゃあ美人だ」と言ったので、おれはスマホの画面を覗き込んだ。とにかく会って、泊らせてあげようと、女3人で盛り上がり、キャバクラの車でおれを含めた4人で会うことになった。今度の子の優花は少しやせ過ぎだと思うが、美人であることは誰の目から見ても明らかである。4人目にして初めて美しい子がアパートにやってきた。彼女の美しさにおんなたちは嫉妬するかと思ったが、いたって自然に迎え入れた。優花の腕には、リストカットの痕がたくさんあった。誰もリストカットには触れなかった。誰にも心の中にリストカットの痕があるのだろう。

 彼女は以前ネールアーティストだったらしい。ネットに作品を上げて、その世界ではそれなりに有名なんだそうだ。そう言えば、少し芸術家っぽい暗い感じがする。彼女もアパートに来て数日経つと、どこかで働きたがったので、幸子がキャバクラを紹介して一日働いたが、口数が極端に少なく、客とコミュニケーションを取らないので、一日で向いていないことがわかった。すると萌が近所のコンビニで店員を求めているからと言い、優花をコンビニに連れて行って、そこの店員として勤めることになった。愛想はよくないが、紋切り型の挨拶くらいはできた。

 優花がアパートに来て数日すると、じいさんが何気なく「これからたくさんの人が来ますよ」と予言めいたことを言い出したので、女の子たちはおれに出会い系サイトをチェックするように言い、じいさんが「いいですね」と言う子をアパートに住まわせるようになった。その中には、四十を超えた人妻の家出人もいた。夫と口論をして出てきたそうだ。しかし、その人妻は働こうともせずに、若い女の子にあれこれと指図ばかりして、みんなから嫌われ、幸子にジャイアントスイングされてアパートを出て行った。こうして出て行った女が彼女の他にも何人もいた。なかにはキャバクラに勤めて3日で男を作って出ていく者もいた。出ていくたびにじいさんは「それが彼女の幸せですから」と言った。おれは馬券が当たらない人もそれが幸せだと言っていることを思い出した。じいさんの予言は当てにはならない、と女が出て行くたびに思った。アパートを出て行った女のその後は誰も知らないし、我々の話題に上ることもなかった。

 とにかく、こうして3ヶ月も経つと、萌を含めて12人の女が麦川アパートに残った。みんな一癖も二癖もある女の子だった。幸子や美咲を含めて5人がキャバクラに勤め、優花を含めた4人がコンビニに、あとの2人がラーメン屋に勤めて、全員給料をアパートに入れた。萌が不動の金庫番である。

 アパートは満室となった。おれはじいさんと萌の3人で玄関脇の管理人室に住むことになった。四畳半が萌の部屋で、続きの六畳間がおれとじいさんの部屋である。おれが萌を襲わないようにと、幸子の提案によって、おれとじいさんとの同居が続いたのだ。おれは相変わらず信用がなかった。

 ここで簡単に女の子たちを紹介しておこう。二十歳過ぎの女を女の子と呼んだが、そこは大目に見てくれ。まず、キャバクラ組の残りの3人を紹介しよう。舞は容姿はそれほどでもないが、愛嬌がある。それに話が面白い。すぐにキャバクラのナンバーワンになった。以前は、化粧品会社の営業職だったらしいが、おれは詐欺師だったんじゃないかと思うくらい口がうまい。

 二人目の彩乃は男好きで、ずっと男に騙されてきたそうだ。左の上腕に恥ずかしげもなく「アキラ命」とタトゥーが入れてある。だが、そのアキラとはずっと昔に別れたそうだ。別れてすぐに二番目の男ができたのだが、そのヒロシにアキラの名前を消せと言われて、タトゥー屋に行ったが、ここでは消せないので病院に行ってくれ、と言われたそうだ。病院に行ったが、消すための料金があまりに高かったので、本当かどうかわからないが、タトゥー屋に行ってアキラの名前の上に二重線を入れてくれと頼んだそうだ。タトゥー師に笑ってそんな恥ずかし事はできないと断られたそうだ。彼女は笑われるのは私だと言い張ったそうだが、タトゥー師にはタトゥー師のプライドがあると言われた。しかたがないので、アキラの名前の上に肌色のガムテープを貼り、青いマジックでヒロシの名前を書いた。ヒロシに見せたら笑われた。3人目、4人目、5人目の男は前のガムテープを剥がして、新しい名前を書いたものを貼った。だんだん字が上手になったのに、どの男からも喜ばれなかった。今は、アキラの名前のところにガムテープを貼ってタカオと青インクで書いてある。なかなか笑える女である。みんなからタトゥーを消せと言われているが、金がないと言う。そこで誰かが、アキラという名前の彼氏を作ったらすべて解決するじゃないかと言ったら、彩乃は納得して、これからは男に会ったら最初に名前を聞くと言った。こいつは男に見境がないから、アキラが登場するまで待てないはずだ。

 三人目の七海は、アパートに来た頃はチンピラのように粋がっていたが、すぐに幸子にねじ伏せられて、幸子の子分になった。幸子の行くところはどこでも付いていった。いまは幸子の腰ぎんちゃくである。七海は小さくて、ちょこまかとハツカネズミのように幸子の周りを動き回っている。

 次にコンビニ組を紹介しよう。葵本人が言うには同性愛者らしいが、このアパートには気に入った女の子がいないそうである。玲奈は付和雷同のお調子者である。明日香はお笑いタレント志望である。葵と漫才コンビを組んで芸能界デビューを狙っているらしいが、葵にその気はないようである。

 ラーメン組の未来はコンピュータオタクである。亜美はゲームオタクである。二人ともラーメン好きなので、ラーメン屋で働くことに満足している。亜美はラーメンを食べ過ぎて最近太ってきたようだ。

 5人のキャバクラ組のために、店の高級ワゴン車が迎えに来るようになった。彼女たちは店から大事にされている。それもそのはずで、幸子たちが勤めるようになってキャバクラは大繁盛しているのだ。幸子は姉御肌で、店で働く女の子を束ね、問題を起こした客を懲らしめる、キャバクラの用心棒的役割も果たすようになっていた。さらには、幸子はスカート姿の七海をジャイアントスイングで回し、それが店のアトラクションとして大うけで、噂を聞きつけた客が遠方からも来るようになった。たまに客の求めに応じて、その男をジャイアントスイングで回すこともあった。しかし、調子に乗って百キロ越えの大男を回して腰を痛め、大きな湿布薬を貼っていた時期もあった。おれが「ほどほどにしなよ」と言うと、「体が鈍るから、ちょうどいい運動よ」と言って豪快に笑った。

 11人の女の子たちからの入金で、アパートの懐具合は大いに潤った。給料は、当たり前のことだが、キャバクラ組の方がコンビニ組やラーメン組の給料よりもずっと多かった。しかし、キャバクラ組からは何の不平も出なかった。それはキャバクラ組の中でも最高の給料をもらっている幸子が、何の不平も言わなかったからだ。そんな幸子でも、初めの頃こそ美味しいものを食べたいと言っていたが、そのうちキャバクラの客から高級な寿司店やレストランに連れて行ってもらうようになったので、それで満足するようになっていた。キャバクラ組の女たちは、程度の差はあれ、客からアクセサリーなどのプレゼントももらっていた。こうしたことで彼女たちの物欲は満たされているようだった。一方、ラーメン屋で働いている女は、ラーメンと賄の料理で満足していた。コンビニ組の女は、処分されるおにぎりや弁当をもらって食べた。ラーメン屋とコンビニで働く女たちは元々質素なのだろう、キャバクラの子たちの派手さを羨むようなことはなかった。時々、キャバクラの子たちからコンビニの子たちへ、客からのプレゼントが回っているようだった。

 彼女たちは、不思議と朝きちんと起きて、それから萌が作った朝食をそろって食べ、前日の出来事や愚痴を周りに話した。じいさんはただ「うん、うん」と頷くだけだったが、彼女たちにとって、この承諾ともいえる行為が安らぎとなっているようだった。

 ある日、電器屋から洗濯機が届いた。幸子が買ったものだった。洗濯機が届くまでは、萌がみんなの洗濯物を持って遠くのコインランドリーに行くのが日課になっていた。萌は幸子に感謝した。すると舞が金が貯まっているはずだから、家電をそろえようと言い出した。みんなが「そうだ、そうだ」と言うので、必要な家電をリストアップすることにした。まず冷蔵庫が上がった。幸子がビールがいっぱい入る大きな冷蔵庫を買おうと言った。それから電子レンジや掃除機、トースター、電気ポットが上がった。それからアイロンやドライヤーがあがり、とりあえず必要なものは全部買おうということになった。萌は予算的には大丈夫だと言った。他の子がエアコンも必要だと言ったが、全室につけるまでの予算はないということで、まずは食堂に取り付けようということになった。

 ラーメン組の二人がコンピュータが欲しいと言い出した。そんなものは何の役にも立たないからと残りの全員が反対したが、亜美がゲームができると言い出して、風向きが変わった。萌がいくらくらいするのかと聞いたので、未来が一式で50万円くらいだと言ったので、即座に却下されることになった。すると未来が10万円のでいいから買って欲しいとすがるように頼んだ。さらにコンピュータとは別に、インターネットに接続するのにWi-Fiが必要だと主張したが、みんなはそれが何のことかわからなかった。未来にWi-Fiを導入したらスマホの支払いが安くなると言われ、コンピュータとWi-Fiを買うことになり、そうしたことはすべて未来に任せることになった。おれはインターネットで馬券を買うことができるか、と未来に聞いたが無視された。

 コンビニ組の女の子が自転車が欲しいと言う。コンビニ組とラーメン組はこれまで1時間以上かけて歩いて出勤していたのだ。そこで、自転車を5台買うことになった。おれも欲しいと言ったが、誰もおれの方を見向きもしなかった。すると誰かが自動車を買おうと言い出した。みんなが賛成だと言ったが、萌はそんなお金はない、と言った。するとローンを組めばいいじゃないかと言って、みんな「そうだ、そうだ」と同調した。ところが、ある子が「免許を持っている人」と言うと、全員黙って周りを見回した。誰も車の免許を持っていないことが判明した。幸子がおれに「おっさんは免許持ってないの?」と聞いてきたので、「ないよ」と答えると、「使えねえな」と言って、みんなが笑った。結局、誰かが免許をとるまで車を購入するのはお預けとなった。みんな服や靴を買いたいというので、それぞれに月々1万円が小遣いとして支給されることが決定した。お金が入ると物欲が出てくるものだ。しかし、彼女たちに他の者の上を行こうとする過度の物欲はみられない。どうも、じいさんの存在が彼女たちの荒んでいた心を癒しているようだ。おれは相変わらずじいさんの良さがわからなかったけれど。


             つづく

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