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麦川アパート物語  作者: 美祢林太郎
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3 萌

3 萌


 ある日、散歩に行っていたはずのじいさんが若い娘を連れて帰ってきた。どう見ても家出少女である。彼女を見て、おれにどっと不幸が襲ってきたように思えた。おれは女が嫌いなわけではない。はっきり言っておくが、人並みかそれ以上に女は好きである。じいさんと同居しているが、男色の趣味はない。だが、面倒は嫌いである。家出少女が一緒に住んでいることが誰かにわかってしまったら、きっと警察が来る。おれは警察が嫌いである。これまで警察のお世話になったことはないが、おれのような風采をし生き方をしていると、警察に丁重に扱われることはない。おれは何度も慇懃無礼な職務質問を受けてきた。かれらはおれに犯罪の匂いを嗅いでいるようだった。後ろめたいことは何もしていないが(そりゃあ、落ちてた百円玉をねこばばしたことはある。そんなことは庶民のさがじゃないか)、匂いを嗅がれることは大嫌いである。見下されたり、怪しまれることは何もしていないのに、かれらはおれのような一匹狼(ここでも狼は言い過ぎだな。ちょっとかっこうをつけてしまった。野良犬の方がぴったりくる)を怪しんでいる。それがさも当然という風なのである。おれのような世間から怪しまれる人種は、目立つことなくひっそりと暮らさなければならないことくらいはおれにだってわかっている。表に出て目立ってはいけないのだ。おれの幸せとは、警察のやっかいになったり、他人の世話にならないことだ。それが、よりによって家出少女である。自分の世話もできないじいさんが家出少女を連れてくるか? 犬や猫のことは違うんだぞ。

 家出少女は(いや、これはあくまでおれの推測で、まだ家出したとは決まっていないのだが、そこらいる普通の若者には見えない。普通の若者だったらこんなじいさんについて来たりはしないだろう)、下を向いたままで、口を開かなかった。時々、ちらちらと上目遣いにじいさんを見た。おれが家出少女にどこでじいさんと知り合ったのかと聞いても、何も答えてくれなかった。まさか、じいさんの孫娘ではないかと思って、じいさんに聞いたが、今日初めて会った赤の他人だと言った。

 どこで会ったのかと聞くと、少女が駅前の公園の縁石に座っていたという。やっぱり典型的な家出娘のパターンだ。こんな呆けたじいさんに声をかけられて、ひょこひょこ付いてくるまともな娘がいるのか? じいさんを介護する立場だろう。じいさんになんて声をかけたんだと聞くと、そのものずばり「今晩泊る所がなかったら、うちに来ませんか?」なのである。このアパートはあんたの家ではなくおれの家だろう、と言いたくて喉まで出かかったが、それを飲み込んだ。家出少女は、すぐに「行きます」と応えてついてきたそうだ。あとは歩く間中ずっと、二人して無言だったそうだ。おれは「犬の子じゃあないんだから、そんなに簡単に拾って来ちゃあ駄目だろう」と言った後で、「あんたのことを犬の子だと言っているわけじゃないからね。単なるたとえだから」と言ってしまって、言い訳をしている自分が情けなくなった。もうおれは半分パニック状態である。

 「おうちに帰った方が良いよ」と少女にやさしく言うと、彼女は黙ったまま、より頭を垂れた。「お父さんとお母さんが心配しているよ」と言って、どうしてこんな決まりきった文句しか出てこないんだろう、と我ながら情けなくなった。しかし、それ以外の言葉が浮かんでこないのだ。

 もしかすると、我々がこの子をさらった嫌疑がかけられるかもしれない。彼女は疫病神じゃないのか。おれはなんとかこの少女にアパートから出て行ってもらいたかった。手荒な真似はできない。彼女に話しかけても、貝のように口を閉ざしたままなので、しかたなくじいさんと話をすることにした。

 「いったいどこの子なんだ」

 「知りません」

 「公園にはたくさんの女の子がいたでしょう。どうしてこの子に声をかけたんだよ」

 「この子は幸せになる子だと思ったのです。わたしたちと一緒に住むと、3人が幸せになると思ったのです」

 「未成年者でしょう。見知らぬ未成年者と住んだら、警察に捕まるでしょう。もしかすると誘拐犯と間違われるかもしれないよ」

 「大丈夫です。あなたは今日からお父さんです」

 「ええ、そんなバカな。おれ、その子のお父さんではないよ。まだ結婚もしたこともないんだから」

 「人から聞かれたら、そう答えればいいだけです。私はおじいさんです」

 「勝手に家族を作らないでくれよ」

 すると、いきなり家出少女が顔を上げて、「それでいきましょう」と言った。おれは「勝手にそれでいきましょうと言われたって・・・。おれ、きみのお父さんじゃないから。本当のお父さんとお母さんはどこにいるの? そこに帰った方がいいと思うよ。絶対にそうした方がいいよ」と少し強い調子で言った。するとじいさんが「3人で住んだ方が幸せになります」と断定的に繰り返すのだ。おれは頭を抱えて、「あんたたちは幸せになるかもしれないけど、おれは一人の方がいいの。もう二人一緒に出て行ってくれない?」と言った。こんなにはっきりとしたことを言うつもりじゃなかったのに、つい本心が出た。だが、じいさんは唐突に「じゃあ、隣の部屋に出て行きましょう」と言い出した。おれは咄嗟に「おい、おい。勝手に使うんじゃないよ」と制止したが、じいさんは「いいじゃないですか。部屋はいっぱいあるんですから。とりあえず隣の部屋を片付けますか」と家出少女に向かって言った。「はい」と彼女は言って、うれしそうにおれの部屋から箒を持ち出し、隣の部屋の掃除を始めた。ただ埃を拭けばそれで済んだ。女の子は隣の部屋で寝て、じいさんは相変わらずおれの部屋で寝た。

 朝、味噌汁の良い匂いがして、目が覚めた。味噌汁に豆腐が浮いていた。卵焼きがうまく焼きあがっていた。早朝、近所の店で豆腐と卵を買ってきたのだそうだ。おれたちは3人でそろって食堂で朝食を食べた。久々に美味しい味噌汁だった。家出少女は料理が得意だった。食事が終わると、少女はアパートの掃除を始め、見る間にきれいになっていった。風呂やトイレもきれいになった。掃除をしている少女の顔は輝いていた。きっとしつけのいい子なのだろう。こんな良い子が家出をするなんて、いったい何があったのだろうかと思ったが、詮索することはしなかった。家出少女は甲斐甲斐しく働いた。

 いくら女好きのおれでも未成年者に手を出したりはしない。

 じいさんは彼女の面倒を見るでもなく、相変わらず散歩に出かけた。そして時々、二人で競馬に出かけたが、3人で暮らすようになってから、不思議と以前よりも勝率が高くなったようだった。おれは金を渡して、食料の買い出しを彼女に任せた。彼女は定期的にバスに乗って駅前のスーパーに出かけた。毎回、レシートと釣銭を渡されたが、面倒なのでレシートに目を通すことはなかった。自分の衣服や下着も買うように言って金を渡したが、持っているものですましているようだった。質素な女の子だった。ああ、そう言えば、時々じいさんのためにピーナツチョコを買ってきていた。

 日が経つうちに、おれも女の子と少しずつ会話をするようになった。彼女は高校生くらいだと思っていたが、どうも高校は卒業しているらしい。それにしてはやけに童顔だ。どこまで本当のことを言っているのかわからないから、正確な年齢を問いただすことはなかった。会話と言っても、おれの質問に彼女は「はい」と「いいえ」を返す程度だったのだ。それでも彼女の表情は明るくて好感が持てた。

 彼女が来て、おれとじいさんは三食きちんとアパートで食べるようになった。彼女はどこで習ったのか、料理が上手だった。おれは時々ビールを買ってきた。彼女にビールをすすめたが、飲みはしなかった。未成年者に酒を無理強いしてはいけないことくらいおれにだってわかっているから、二度とビールを勧めなかった。

 彼女はおれたちの汚い服や下着を、何のためらいもなく洗濯してくれた。ああ、言い忘れていたが、彼女の名前はもえという。


          つづく

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