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麦川アパート物語  作者: 美祢林太郎
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1 競馬場にて

1 競馬場にて


 今日のおれはついていた。これまでの損を一気に挽回したのだ。おれは競馬場で朝からずっと負け続けていた。やっと最後に残った軍資金で、おれは起死回生の万馬券を当てたんだ。周りの人たちがみんなおれを祝福しているような錯覚にとらわれた。

 賭け事はこうでなくっちゃあいけない。これ以上ない最高の展開である。本命ばかり買う奴らに、それで賭け事が楽しいのか、と大声を上げて言ってやりたい。一か八かの大勝負こそが、賭け事の醍醐味なんだ。おっと、なんぼ儲かったかって、それを聞くのは野暮というものよ。でも、せっかくだから教えてやろう。今日おれは軍資金として10万円持って来たんだ。小銭のことは気にするな。おれにしては相当な額なんだ。でも、気がついたら3千円しか残っていなかったのよ。これを全部3-5に賭けたのさ。それが1万6千円ついて、50万円が手に入ったのさ。計算が正確じゃない? おまえさん、そんなみみっちいことを気にしていたら、ギャンブラーになれないぜ。別になりたくないか。

 おれが今から話をするじいさんに初めて会ったのが、この競馬場なんだ。万馬券を当てたばかりのおれに不意にそのじいさんが「あのう」ともったりした声で話しかけてきたんだ。一瞬おれが稼いだ大金を盗られるんじゃないかと思って身構えたね。おれはつくづく小心者だね。じいさんは汚いTシャツを着て、背中にぼろぼろのナップサックを担いで、便所草履を履いていたんだ。便所草履を知らない? まあ、気にするな。髪は薄くなっていたが、残り少ない白髪は薄汚く伸びていたね。年は70か80か、他人の年はよくわからないね。おれは身構えながらも、反射的に「何だよ」という言葉が出たね。よく見れば、じいさんは弱弱しいので、喧嘩でもかけっこでも負けないと思ったね。そう判断したら、おれも余裕が出てきたよ。こりゃあ、トイレの場所でも聞いてくるんだろうと思ったんだ。それがだよ、「万馬券当てたでしょう」と口にするんだ。そんなの今換金したばかりだから、おれのこと見ていれば、誰だってわかる話だ。だがじいさんは「あなたが勝つことは、レースが始まる前から分かっていました」なんて、すっとぼけた顔して言うんだ。すぐに、こりゃあぼけ老人だと思ったね。でも、おれも万馬券を当てたばかりで機嫌がよかったから、つっけんどんにせずに、なぜか相手にしてしまったんだ。これが間違いのもとだったね。

 おれが誰かって。ギャンブラーと言いたいところだけど、競馬ではトータルで結構負けているね。トータルで勝っている奴なんて世の中にいるのかね? おれのギャンブル仲間はみんな景気の良いことを言っているけど、実際は負けてるはずだよ。だって、着ている服がいつも同じなんだぜ。でも、たまにこうやって勝つことがあるからやめられないんじゃないか。結局負けるんだろうって? そう思う奴はギャンブルも人生もやらないことだね。いつかひと花咲かせるんだ。年齢かい? 先月50歳になった。多分50だよ。家族かい? ない、ない。独り身だ。どうやって飯を食ってるのかって? 大工だよ、大工。一匹狼の大工だよ。かっこ良いだろう、一匹狼という言葉。これでも若い頃にずいぶん修行して、いっぱしの腕前を持っているんだけどね。途中から、競馬にはまり込んで、親方から首を言い渡されたのさ。おれは人に使われるのは駄目な性分なんだね。でも、身体だけは丈夫にできてるからね。そこは生んでくれた親に感謝しなくっちゃあね。もう両親はとうの昔に死んじまったけどな。

 こうしてそれなりに楽しく生きてきたんだけどね。このじいさんに会って、おれの生活はこれから予想外の方向に大きく動いていくことになるのだが、まだこの時にはおれはそんなこと少しも予想できなかったよ。とにかく、じいさんとの出会いの話を続けていこう。

 このじいさんの口ぶりから、かれが当たり馬券の予想ができるふうに聞こえたんだ。おれだけじゃなく、誰だってそう聞こえただろう? だから、「それじゃあ次のレースを予想してくれよ」って言ったんだ。すると、じいさんが「ちょっとここで待っていてください」と言って、おれから離れて行ったんだ。それにしても、じいさんの言葉遣いはやけに丁寧なのだ。詐欺師は言葉遣いが丁寧なのかもしれないと、おれは警戒を緩めないことにした。おれ、冷静だろう。50万円を盗られちゃあ、元も子もないからな。

 しばらくして戻ってくると4-8だと言う。おれも面白がって4-8を千円買ったら、まさかまさか、これが当たったんだよ。しかし、120円しかつかなったからがちがちの大本命だったんだけどな。誰が見たって、こんなのは予想のうちに入らないから、その次のレースも聞いたよ。するとまたじいさんがどこかに消えて、戻ってきて今度は1-4だと言うんだ。それで1-4を買ったら、また当たったんだ。今度は3000円ついたよ。もしかすると、このじいさんは未来が見えるんじゃないかと思ったね。汚いなりをして、ボケているように見えるけれど、予言者か神様かもしれないと思って、手を合わせたくなったね。おれって単純だろ。

 次も予想してくれるように頼んだら、またしばらく席をはずして、帰ってきて今度は2-7だと教えてくれた。そこでおれは2-7を1万円買ったら、今度は外れてしまった。神様も木から落ちるのかよ、と肩透かしをくらった。おれが外れたじゃないか、と軽く攻めると、じいさんは少しにんまりとしたように見えた。しかし、このじいさんの勝率は2勝1敗で勝ち越している。こんなに高い勝率はおれにはない。そこで次のレースを聞くと、また席を外すので、おれはどこにいくのだろう、とつけて行くことにした。一敗したことで、おれも現金なもので、もうかれを予言者とか神様とは思わなくなっていた。多分つるんでいる予想屋のところに行って予想を聞いてくるんだろう、と現実的な判断をした。そして、そろそろ予想屋を紹介して、予想料をとるのだ。まあ、そんな構図だろう。

 すると、じいさんは馬券を売る窓口の傍に立ち、しばらく馬券を買っている人たちを観察しているようだった。そのうち、ある人に近づいて何番を買ったかを教えてもらった。おれのところに戻ってこようとするのを見て、おれはいち早く元の場所に戻った。じいさんは3-4と教えてくれた。今回も1万円買って外れた。これでじいさんの勝率は5割である。これだけの勝率ならば立派なものだが、それでも最初の2つはまぐれではないかと思うようになった。じいさんに続けて外れたではないかと言い、本当はどの馬が一番になるのかわからないのではないかと責めた。じいさんはどの馬が勝つかは、自分にはまったくわからない、と言った。この拍子抜けのした居直りともとれる発言におれはかちんときたので、「じゃあ初めの二つはまぐれだったのだな」と言い、「あんたはただの嘘つきじゃないか」と追い打ちをかけた。するとじいさんはいたって冷静に「私は一着の馬はわかりませんが、誰が幸せになるかはわかるんです」と言った。おれはこのじいさんが言いたことが理解できなかった。「幸せ」なんて言葉は競馬場では場違いだ。頭のおかしな宗教家に出会ってしまったのではないかとさえ思い、一緒にいることが不安になった。おれのお人よしさが裏目に出たようだ。おれはここでじいさんと別れればよかったんだ。だけど、おれはじいさんの続く言葉を事もあろうか待っていた。

 じいさんが言うには、「馬券を買った人の中から、幸せになる人を見つけ、その人に買った馬券を聞いたんです。馬券が当たったら、きっと幸せになるだろうと思ったからです」と言った。おれが「そりゃあ、馬券が当たったら幸せになるだろうよ」と言うと、「当たらない方が幸せな人もいるんですね」としらっと応えやがった。「そんなこと、あるはずがないよ」と言い返すと、「後の二人は当たらない方が幸せな人なんです」と諭すように応えた。おれは世の中にそんな人種がいることを理解できない。もしそいつらが外れたことで幸せになっていくのならば、その姿を見てみたいものだと思った。じいさんに、馬券が外れた奴が幸せになる姿を見せてみろ、と言いたかったが、見せられないことくらいおれにだってわかっていた。じいさんとこんな話題で話し合っても、一文の足しにもならない。おれは頭に血が上りつつも、それなりに冷静だ。

 とにかく、おれはこのじいさんの力を借りずに一人で50万円を稼いだのだ。いや、元手が10万かかっているのだから、差し引き40万だろうって。あんたはどこまでもギャンブラーじゃないね。ギャンブラーは最上の楽天家なのさ。

 じいさんに「じゃあな」と言って別れたつもりだったのに、あろうことかじいさんがおれについてきた。じいさんに誰か連れの者はいないのかと聞くと、一人で来たと言う。どこから来たのかと聞いても要領を得ない。おれはこの競馬場にはしょっちゅう来ているが、このじいさんを今日まで見たことがない。誰かが連れて来て、ここに捨てたのだろうか? 老人を捨てるのに競馬場は相応しい場所ではないだろう。競馬場にいる奴は、馬の事しか考えてなくて、他人のことなんか眼中にない連中ばかりである。だれもこんなぼけ老人の相手はしない。ああ、おれがしちゃったか。

 考えてみれば巧みだよな。勝ち馬を当てたと言うんだもの。誰だって予想ができると思うじゃないか。そして今回はまぐれで2レースを当ててしまった。誰だって信じちゃうよ。でもまぐれは続かないよな。誰も相手にしないよ、普通なら・・・。

 おれはこの時、万馬券を当てた余韻もあり、少し気が大きくなっていたのかもしれない。じいさんと並んで歩き出した。じいさんが幸せになる人がわかる、という話に心のどこかに引っかかる物があったのかもしれない。おれは歩きながら、すれ違う人を次々に指を差して、「あの人は幸せになるか?」と聞いた。不思議とじいさんの口からほとんど全員幸せになるという答えが返ってきた。このボケ老人がペテン師のように思えてきた。競馬に勝ったのだろうニコニコしている男を指して「幸せになるか」と聞くと、黙って悲しそうな顔をした。「幸せにならないのか」と聞いても、無言だった。おれだってバカじゃないから、この時はペテン師の巧みな戦術ではないかと疑った。ペテン師だったとしたらかれは一流の役者だと思えた。

 じいさんはどこまでもついてきた。「一杯呑むか?」と聞くと「はい」と言う。飲み屋に入って生ビール大を二つ頼んで乾杯したが、じいさんはジョッキに口をつけなかった。アルコールが呑めないと言う。おれはそれを早く言えよと思ったが、しかたがないので、ウーロン茶を頼んでやった。じいさんは腹が減っていたのだろう、おでんを美味しそうに食べ、枝豆をこまめに剥いた。お茶漬けを食べたいというので、それも頼んでやった。おれはつくづくお人よしだ。

 名前や住んでいるところを尋ねたが、要領を得ない答えばかりだった。名前は「文五郎」と名乗ったが、それさえ本当かどうか怪しい。年を聞くと123歳だと言う。は、は、は、それはうちの実家で飼っていた亀だ、と言ってやった。どこまでも人を食ったじいさんである。真剣に取り合ったらバカを見るので、途中から「そうかい」と口裏を合わせることにした。もしかすると本当に頭がボケているのかもしれないと思えてきた。でも、どこか幸せなボケ方なのだと思った。じいさんはもしかすると馬券を当てることはできなくても、福の神なのかもしれない。いや、いや、そうした考えが脳裏にちらついたのは、きっとおれが酒を飲み過ぎたせいだ。

 店を出てからもなおじいさんはおれについてきた。今日はどこに泊るのかと聞くと「あなたの家です」とあっさりと言う。なりゆきだと思って、おれの住むアパートに連れていくことにした。歩きながら、「おれは幸せになれるか」と聞くと、「幸せになります」と答えた。こんなインチキ臭い言葉でも、おれの心は温かくなった。

 人が幸せになれるかどうかがわかっても、予言者とは言わないよな。幸せなんて具体的じゃないし、個人的な気の持ちようだからな。予言が当たったかどうかなんて確かめようがないじゃないか。幸せになることが人間の究極の目的なのだろうけど、幸せになったかどうかなんて自分でもわからないのに、ましてや他人にわかりようがないじゃあないか。このじいさん、幸せになるって何を根拠に言っているんだろう。

つづく

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