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麦川アパート物語  作者: 美祢林太郎
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17 その後

17 その後


 暗くなったので、萌の指示でじいさんの捜索は打ち切られた。警察や消防団は地震の騒動で、じいさんの捜索には加わってくれなかった。それどころではなかったことは我々も重々承知している。1500人の団体は、一晩バスの中で泊って、朝が明けてから村に戻って行った。萌はかれらと一緒にバスに乗った。

 麦川アパートの住人は一週間海に残ってじいさんを探したが、じいさんは見つからなかった。そこで一旦アパートに引き上げることにした。

 1500人の団体は、途中道の崩壊がいくつもあったが、それでも無事ピラミッドに到着することができた。震度7の地震でピラミッドは完膚なきまでに崩壊していた。みんなワンセグで映像を見ていたとはいえ、目の前にすると呆然として一言も発することができなかった。しばらくたって、誰かが「命あっての物種だよね」と言って、みんな静かに頷いた。誰かががれきの中に入って行った。個人の思い出を探し出したかったのだ。だが、何も見つけることはできなかった。

 こうした惨状の中で、ピラミッドの中にあった美術館の美術品だけはすべて無傷だった。ピラミッドが倒壊しても、美術品を守るための装置が二重三重に施されてあったのだ。これも萌の指示によるものだった。高価な美術品は、すべて競売にかけられたが、その売り上げは村の復興に充てられた。

 学校と病院はすべて無事だった。ピラミッドは活断層の上にのっていたが、学校や病院、老人ホームはそれから外れていたので、被害は少なくて済んだ。村周辺の広範な地域は、一週間以上も停電が続いたが、この村は地震発生時こそ停電になったものの、太陽光発電のスイッチを少し修理しただけで一日もかからずに復旧した。車はすべて電気自動車だったので、他の地域のようにガソリンスタンドに長蛇の列をつくることはなかった。

 誰しもが、ぼろな麦川アパートは崩れているだろうと思っていたが、不思議と元のままだった。後の調査によると、アパートの下に巨大な岩盤があるという。その上に立っていたので、倒れずに済んだんだろうと説明された。それにしても倒れなかったのは奇跡と言う他はない。

 みんなの手で村は徐々に復旧されたが、ピラミッドを再建する話はどこからも出てこなかった。信者たちは憑き物が落ちたように、そして十分遊んだ後のように、不思議と爽快な気分に浸るようになっていった。ピラミッドでの楽しかった生活を懐かしく思い出すことはあっても、なぜかもう一度繰り返したいとは思わなかった。もう十分に満足したのだ。もう一度寝たとしても、こんなに楽しかった夢を見ることはできないだろう。信者ではない村人たちも、ピラミッドのがれきを一つひとつ取り除きながら、心が落ち着いていくのを感じた。こうした平穏な気持ちを誰しもが持ち得たのは、地震による犠牲者が皆無だったからに違いない。村のどこからも嘆きは聞こえてこなかった。

 ピラミッドの片づけがひと段落つくと、全員の前で、萌が教団の解散とみんなが故郷に帰って幸せになることを教祖が望んでいる、という嘘の遺言を告げた。それはあながち嘘ではないとも思うけれど・・・。信者はみんなあらん限りの涙を流したが、教祖がクロールで沖に泳いでいく姿を、自分が故郷に帰っていく姿に重ね合わせ、萌の言う言葉におとなしく従った。国内外の信者たち全員に交通費の全額が支給され、餞別が渡された。さらに、「麦川アパート財団」から5年間毎月一定額の生活費が振り込まれることが伝えられた。これだけ見ても、萌はかなり蓄財していたことがわかる。それをいま全部吐き出しているのだ。ちなみに、「麦川アパート財団」の理事長には前村長を指名し、萌は財団から完全に手を引いた。もちろん、「麦川アパート財団」は麦川アパートの住人とは一切関係がない。

 以前から住んでいた村人は、美咲からトマトの栽培を教えてもらい、トマト栽培を始めた。数年後、この村はトマトの一大産地となった。玲奈の希望で、牛や豚、鶏などの畜産や養鶏にも力を入れるようになった。それから、パイナップルやマンゴスチンも食べたいと言い張る者がいたので、ビニールハウスを建て、栽培を始めた。すべて行き当たりばったりで、計画性があるわけではない。だけど、一度始めたことはみんな最後まで一所懸命に取り組んだ。おれにはそんな真面目さはないが、みんなの手伝いくらいはできた。

 ああ、そう言えば、アパートで飼っていた牛は無事だった。カレーの中には入れられていなかったのだ。アパートの若者たちに話すと「ひどい」と言ってむくれた。

 萌は地震の混乱を解決すると、アパートに戻ってきた。村長も辞職したらしい。いまでは、朝食を作って、みんなの衣類の洗濯をして、アパートの掃除をして、以前の役割に完全に戻っている。ただ、じいさんの世話がなくなっていた。時々萌は寂しそうな表情を浮かべた。

 幸子はプロレスラーとして七海を伴って海外遠征に出かけている。現在は、ニューヨークで「グレイト・サチ」というリングネームで世界チャンピオンになっている。ニューヨークのマジソンスケアガーデンでもジャイアントスイングをしているらしいが、最近腰を痛めて、フィニッシュホールドを変えたそうだ。それがなんと「シュワッチ」という技らしい。それがどんな技なのかおれはまだ知らない。風の便りでは、彼女が技をかける時は、観客が一斉に「シュワッチ」と叫ぶらしい。それは壮観だろう。

 幸子の近況は、逐一未来が教えてくれるのだが、幸子の子分の七海はマスクウーマンの「ザ・スワン」をやめて、「ナナミ」として幸子のマネージャーになって、リングに上がっているそうだ。網タイツ姿でハイヒールを履き、長髪を金色に染め、顔に歌舞伎の隈取をし、鞭を振るって幸子の前に立って入場するらしいのだ。訳の分からない英語を喋るが、ニューヨークでは相当な人気者らしい。七海は幸子に出会えてよかったし、幸子が行くところなら地の果てまでも付いていくだろう。そのうち二人でアパートに帰ってきて、海外で活躍した話を聞かせてくれるだろう。その時は「シュワッチ」の技も見せてくれるだろう。

 彩乃の左腕の「アキラ命」のタトゥーだが、萌がお金を出すから消したらいいと彩乃に勧めたが、彩乃はそれを断った。本当は今でもアキラに惚れているようなのだ。アキラは今まで一度も彼女に会いに来てくれなかったのに、アキラのことが忘れられないでいる。本当は彩乃がアパートの住人の中で一番純情なのかもしれない。それでもすぐに誰かに惚れてしまうけれど。彼女は「いつも私は本気よ」という。その言葉に嘘はないんだろう。それでもアキラは特別なのだから、女心はわかない。

 最近、彩乃たちはキャバクラ生活を懐かしがっている。そのうち彼女たちは復活した駅前のキャバクラで働くようになるだろう。好きなんだから、それはそれでいい。

 しばらくじいさんの捜索が続いたが、見つからなかった。じいさんは溺れて死んだんだろう、というのがおおかたの一致した見方だ。なかには、じいさんはどこかに漂着して、病院に入院しているのではないという者もいた。病院の医者に名前を言ってくださいと言われても、自分のことがわからないので、認知症患者として扱われているんじゃないかという意見もあった。ある者は、あの泳いでいたのはそもそもじいさんではなく、他の誰かではないかという者もいた。じいさんがあんなに見事に泳げるわけがないと言うのだ。言われてみると、あの場面を見るまでは、じいさんが上手にクロールを泳げるなんて知らなかった。だが、あれは確かにじいさんだった。アパートの住人ならば誰でも、どんなに遠く離れていても、じいさんとそうでない人間とを見間違えるはずがない。あれがじいさんだったことは、アパートの住人の一致した意見だった。

 おれは普段はぼーっとし、美咲に頼まれたら農業を手伝っている。幸子がいないとおれの力が役立つ。そして、たまにだが競馬に行く。おれの冴えわたっていた勘もすっかり錆びついたのか、このところずっと当たったことがない。おれがしょげてアパートに帰ると、きまって萌が「次は勝ちますよ」と励ましてくれる。

 そんなおれが、こともあろうことか、100円で買った券が万馬券になった。じいさんと出会った日以来だ。おれは狂喜したが、その耳元に「前からわかっていましたよ」と言う静かな声が聞こえた。おれは振り返ってあたりを見回し、じいさんを捜した。


              完

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