14 おかしな村
14 おかしな村
萌は彩乃の協力によって、金と色とで村の幹部たちを篭絡し、村の実権を掌握していった。このことは村人たちの間でも噂になったが、かれらは日に日に金持ちになっていったので、表立って文句をいう者はいなかった。
ついに、萌は村長選に出馬して、無投票で当選した。現職は彩乃との不倫をネタにやんわりと脅され出馬を取りやめた。何人かの対立候補が噂されたが、みんな札束で頬を貼られて出馬をやめた。萌はキャバクラが軌道に乗ることで信者の経済的自立がひと段落したので、抜本的に村の改革に着手することにしたのだ。萌がどうしてそんな気になったのかおれにはわからないが、彼女には社会を変える能力があったのは間違いないし、その才能が彼女を導いていったのかもしれない。
そんなことよりも、おれがなによりも驚いたのは、萌が村長の被選挙権を持っていたということである。つまり、年齢が25歳以上だということだ。おれは出合ってからこれまで萌から年齢を教えてもらったことはないが、萌と出会った3年前頃は、20歳前後だと思っていた。その頃の萌は18歳未満と言っても違和感のない幼さというか、うぶさを残していた。そう見えたのは、単に口数が少なかったり、恥ずかしがり屋だったという理由からだけではない。
本人が高校を卒業しているというので、20歳にはなっているのかな、とおぼろげに推測していた。3年経った今でも彼女から幼さが消えているわけではない。会った頃とそんなに違いがあるようには思えない。それが、今なんと32歳だということが村長選に出馬したことによって判明したのだ。それを知った時、おれは頭の中がくらくらした。おれが萌と出会った頃は、なんと29歳だったのだ。おれは萌がとんでもない詐欺師のように思えたが、もちろん萌が年齢を偽っていたわけではないことはわかっている。でも、釈然としない。
おれはアパートの住人に、萌が32歳だということを話すと、みんな知っていたと言うから、なおさら仰天した。これまで知らなかったのはおれだけだったのだ。じいさんに話すと「32かね」と言ってほほ笑むだけだった。しばらくおれは心のどこかにわだかまっていたが、3週間が経って、おれは萌が18であろうと32であろうと、はたまた52であろうと、この際どうでもいいことだと観念することにした。萌がアパートに住むようになった頃、彼女が29歳だということを教えられても、おれが彼女に夜這いをかけることはなかっただろう。それは幸子の恐怖がなかったとしてもだ。
萌は村長になって、村の電力を100%、従来の火力発電によるものから太陽や風の自然エネルギーに変えていった。国や県から圧力がかかったが、キャバクラで稼いで交付金を一切もらっていなかったので、かれらからの圧力に屈することはなかった。そして小学校、中学校、高等学校を建物ばかりでなく教育システムも全面的に新装することにした。自由でのびのびした、いじめのない学校が目標だった。世間では、宗教教育をするのではないかと疑われたが、学校では何の宗教教育も行われなかった。学校は自由な校風に引かれて村外からも入学希望者が出てきたので、寮を新設することにした。学校の建設に伴って、またまた建設会社が潤い、萌の支持率はほとんど100%に上った。行政は宗教と違うのだから、支持率が100%はとてつもなく怪しく危険なことだ。でも、だれもが金持ちになっていく高揚感が彼女の支持に結びついていった。この燃え上がった高揚感を簡単に抑えることはできない。
幸子は村のキャバクラでチイママを続け、ジャイアントスイングをして楽しく暮らしていた。駅前のキャバクラにはずっと戻っていない。それは、プロレス教室がどんどん本格的になっていき、その指導と運営で日々忙しくなっていったからだ。一部の練習生がみんなの前で女子プロレスを披露してみたいと言い出した。そこで、幸子は萌から金を融通してもらってリングを購入し、老人ホームで慰問プロレスを開催した。すると、練習生たちは幸子が想像していたよりも見事な試合をし、老人たちのやんやの喝さいを浴びた。メインエベンターとして幸子がガウンを羽織って登場すると、興奮は最高潮に達し、何人かの老人が失神した。それでも老人たちから試合の続行を望まれたので、試合をした。ジャイアントスイングの時は、歓声と入れ歯が飛び出した。
練習生たちは老人ホームで拍手喝さいを浴びたことに気をよくし、街でプロレスの興行をしたいと言い出した。興行を目指して、これまで以上にハードなトレーニングをし、多彩な技と試合の流れを身につけさせていった。怪我がないように受け身の稽古にも力を入れた。興行をするためには、現状では自分を含めた6人ではたったの3試合しか組めないので、これでは足りないと思って、既存のプロレス団体の協力を頼んだが、非力で個性のないレスラーしか貸してもらえなかった。幸子たちの勢いを警戒したのだ。幸子が困っていると、未来がインターネットでアメリカのプロレス団体と交渉して、レスラーを貸し出してくれることに成功した。アメリカから大きな女子プロレスラーが参加し、彼女たちを凶暴な悪役レスラーに設定して、幸子を含めた日本人レスラーを正義の味方役に見立てた。日本人レスラーは初めのうちは外国人レスラーの反則を含めた攻撃でやられるが、最後には反撃して見事な勝利を得るという、昭和の力道山のプロレスを再現することにした。このシンプルなストーリーが、どうしたわけか現代でも受けに受けた。
幸子は七海にプロレスを教えた。やらせてみると、七海は小柄ながら運動神経がよく、すぐにたくさんの空中殺法をこなすようになった。得意技はコーナーの最上段からの華麗なるシューティングスタープレスである。幸子は七海にマスクを被らせ「ザ・スワン」のリングネームを与えた。七海もきらびやかなマスクとリングネームを気に入った。
日本人レスラーは、幸子以外はみんな小さい。そんな彼女たちが、屈強な外国人レスラーに華麗な空中殺法を駆使して果敢に立ち向かっていく。見ていてなかなか絵になる。特に「ザ・スワン」は飛翔する姿が美しい。しかし、そんな彼女たちも奮闘空しく撃墜されてしまう。そこで最期に幸子が登場し、凶器と反則攻撃にやられながらも、最後はジャイアントスイングで外国人レスラーを投げ飛ばすのだ。顛末はわかっていても、見ていて爽快である。観客はプロレスにこのわかりやすさと爽快さを求めていたのだ。
萌は幸子のプロレスが好評なのに目をつけ、テレビ局に売り込み、地上波の全国放送にこぎつけた。視聴率は30%を越え、幸子とザ・スワンは大スターに躍り出た。これに気を良くした萌は、インターネットで世界に配信することにしたが、プロレスの筋があまりにも日本寄りなので、ここは国籍を問わない正義と悪役の対立構造に再編することにし、外国人の中から正義役を立てて、幸子とタッグを組ませることにした。萌の狙いは当たった。幸子のプロレス団体「WMWA(ワールド・ムギガワ・レスリング・アソシエーション)」は、世界中に知れ渡るところとなり、レスラーのフィギュアやタオルを始めとした関連商品が爆発的に売れることになった。このためプロレス団体を株式会社にし、名前だけの社長を七海にして、実権は萌が握った。幸子はプロレスラー兼コーチのままであった。幸子はそれで何の不満もなかった。WMWA所属のプロレスラーは徐々に増えて行った。
信徒のレスラーの中には人気が出ると、ギャラが出ないことに不満を言い、他の女子プロレス団体に移籍していった。だが、その後は鳴かず飛ばずで、プロレスをやめて消えて行った。幸子や七海もノーギャラらしい。おれからしたら、何が楽しくてプロレスをしているのかわからないが、それでも欲がないのもほどほどにして欲しいものだと思った。プロレスで得た莫大な富は今どうなっているのだろう。おれに少し投資してくれれば、競馬で倍にして返してやるのに・・・。
キャバクラを筆頭とした旧小学校の繁栄ぶりとは別に、麦川アパートに残った連中は、以前と変わらない質素な生活を送っていた。出勤時間になったら、駅前のキャバクラやコンビニ、ラーメン屋に働きに出た。美咲は野菜作りに精を出していた。萌のところとは別に、アパートはアパートで、従来通り独立採算でやっていたのだ。
おれは美咲の農作業を手伝っていたが、たまに競馬やパチンコに行って負けて帰ってきた。勝ちからすっかり見放されたようだ。みんなの洗濯や料理は萌に代わって葵がするようになっていた。これ以上キャバクラに勤める者が減っては、アパートの財政に打撃になってしまうので、コンビニ組の葵が家事をすることに決まったのだ。初めの頃は、葵の料理が美味しくないとみんなから不満が出たが、そのうち料理に口が慣れてきたのか、不満を言わなくなった。それに美咲が作った野菜が美味しいので、それで満足していたこともある。そうは言っても、葵は葵で努力をして、新しいメニューの開発をしていた。
じいさんは相変わらず散歩に出かけた。たまに小学生に声をかけているようだったが、この頃は走って逃げる子供はいなくなった。子供たちはじいさんにもにっこり笑って挨拶をした。それは萌が造った小学校の教育の成果である。道ですれ違った地域の人たちと挨拶を交わす指導を徹底したのである。じいさんは子供と虫について話をした。子供は自分が発見した虫の習性をじいさんに教えてくれた。じいさんは感心して耳を傾けた。強権的にも見えた萌の政治だが、こんなところに成果が結実していた。
村は学校などの公共施設やマンションなどの建設ラッシュが起こり、不動産バブルが生まれた。それまで小さな田畑を所有していた貧しい村人たちも大金持ちになっていった。萌は残った農地を高額で買い取り、増加していく信徒たちに農業をさせた。
いったいこの村はどこに向かっていくのだろうか? 萌はいったい何がしたいのか? ただ村人たちが金持ちになることを望んでいるのか? それは誰にもわからなかった。全国の市町村から村の繁栄についての調査団がひっきりなしにやってきた。世界中から調査団やマスコミも来るようになった。こうした人たちを受け入れるために、高級なホテルが建設されていった。
海外のマスコミは「カルト集団の革命と野望」というタイトルで世界に発信していった。ストーリーはじいさんが教祖で、信徒を労働力にして水商売で金儲けをし、政治の世界に進出して、地域支配を進めている、というものだった。カレー事件の頃よりもスケールアップしただけで、ストーリーの骨子はその頃とほとんど何も変わりはない。相変わらずじいさんは教祖だ。カレー事件の頃と変わって、面白おかしく喧伝されているのは、萌の台頭である。これは教団内でおれと萌との間で激しい権力闘争が行われ、おれが失脚して、萌が勝利したということになっている。単純でわかりやすい話だが、別にそんなことは何もなかった。みんなが権力闘争もせずに、好き勝手にやっているだけだ。好き勝手にやっていたら、どうしたわけかこうなったのだ。萌は彼女が持っている才能を発揮しているだけだ。アパートのみんなは彼女を妬んだりなんかしていない。在家の信者が増えたので、その後処理をしてくれているのだとおれは思っている。こんなことができるのは彼女くらいしかいないのだから。事が終わったならば、それとも彼女が飽きたなら、アパートに戻ってくればいい、とみんなそう考えているようだった。彼女と幸子、そして七海の部屋はずっとそのままなのだから。
新しく信者となった人たちは、路上で散歩するじいさんに会ったならば、道端に正座して、じいさんを「シュワッーチ」と言って拝んだ。じいさんもこの頃は両手を合わせて「シュワッーチ」と言い、さらに胸の前に合せた両手を真上に突き上げて左右に広げてみせた。信者はそれをありがたがっていたが、じいさんにしてみれば、軽い体操のようなものだったのではないだろうか。
おれはお金は好きだが、萌の猛烈な働きぶりを見ていると、才能のことは横に置いておいても、萌のように一所懸命に働く気が毛頭ないので、これまでと同じように競馬やパチンコ、そして農場で時間を費やすのが分相応なのだと思う。時折、そんなおれをマスコミが写真に撮って、権力争いで失脚した男の末路とキャプションがついて報道された。別段、そんな評価はどうでもいい。末路がすべて不幸なわけではない。これがおれの末路だとしたら、十分に幸せだ。あっ、おれは幸せなんだ。
萌が設立した学校は評判を呼び、海外からも入学者が入ってくるようになり、学校の公用語は日本語と英語の二つになった。多様性の進む、先進的な学校になっていった。
一方で、世界中から入信希望者が増えてきた。とりあえず信者を女性に限定し、彼女たちを寮に入れて、キャバクラで働いてもらうことにした。キャバクラを国際化したかったのだ。海外からやってきた信者には昼間日本語を教え、彼女たちから日本人信者は異国の文化や言語を教わった。麦川アパートの住人たちが、信者でないことは固い秘密になっていた。新しい信者の期待を裏切るようで申し訳なかったからだ。
萌は信者のために定期的な礼拝が必要で、礼拝日には教祖がいなければかっこうがつかないと言って、おれに協力を求めてきた。おれに教祖の役をして欲しいというのである。おれはじいさんに頼めと言ったのだが、じいさんはじっと座っていてくれないので、教祖役はできないと言った。信者たちにはおれの顔や姿を見せなくていいというのだ。すだれの向こうに座っていてくれるだけでいいというのだ。気乗りしなかったが、なんてったって萌の頼みだし、アルバイト代は出すと言うので、礼拝日の日曜日の午前中だけ働くことにした。おれも競馬代くらいは稼がなければならないからな。
逆光でおれの姿はシルエットになって、すだれ越しにはおれだっていうことが誰にもわからないようになっている。小一時間ばかり座って信者のみんなが「シュワッーチ」とお祈りしているのを聞くだけである。初めの頃は正座をしていたが、最近は胡坐をかいている。逆光に生えるようにと、得体の知れない衣装と帽子を被らされている。信者の後ろの方で、幸子がにやにや笑っているのが見える。あいつはにわか教祖がおれであることを見抜いている。
つづく