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麦川アパート物語  作者: 美祢林太郎
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9 秋の文化祭

9 秋の文化祭


 朝早く起きて、アパートのみんなでそろって文化祭の会場である公民館に行くと、すでに地域の男たちが会場の設営を始めていた。男たちは彼女たちを見ると、嬉しそうに声をかけた。男たちの中にはキャバクラの客も何人かいた。意外ではないのかもしれないが、ラーメン屋の常連もいて、未来と亜美に声をかけていた。未来は恥ずかしそうに下を向き、亜美は「こんちは」と快活に挨拶した。ラーメン屋では亜美が人気者であることがわかった。

 幸子の号令一下、みんなでパイプ椅子を運んだ。幸子はプロレス会場の設営でなれているのだろう、みんなに的確な指示を出して、自分でもてきぱきと動いた。男たちも「あいよ」と声を出し、なお一層張り切った。彼女たちは、このステージでフラダンスを踊るのかと想像して、ワクワクしてきたようだ。

 椅子を並べ終わると、男たちが彼女たちに調理場に行ってくれ、と言った。調理場に行くと、婦人たちがジャガイモやニンジンを切っていた。女性たちは男たちとは違って、若い女の子をけん制しているようで、愛想が悪かった。女の子たちは婦人たちに比べれば、ずっと若かく、自然に発散しているフェロモンの量が違っていた。彼女たちの若さに婦人たちは嫉妬したのだ。

 婦人たちは昼に全員に振る舞うためのカレーを準備をしていた。女の子たちは涙を流しながら何十個ものタマネギを懸命に切った。それを見て、婦人たちが「大丈夫?」と声をかけ、女の子は「大丈夫です」と言って、涙を拭いた。女の子たちが一生懸命に働いたので、女性たちとすぐに打ち解けた。婦人たちは、切った野菜と肉を大鍋に入れて、ガスコンロの火をつけた。そのうち、婦人たちの子供が数名やってきたが、親は火の周りは危ないからと注意した。そこで、女の子たちが外で遊んでやることにした。子供たちは若い女の子が好きだ。

 そうこうするうちに、文化祭が始まるという知らせが入り、全員講堂に集合するようにとのアナウンスがあった。カレーを作っていた女性たちも講堂に移動することになったので、七海と玲奈がカレーの見張りをしておくと言って、二人で残った。講堂では文化祭の開会のあいさつが自治会長によって行われた。

 ステージで、素人のバンド演奏や手品、日本舞踊があり、みんな知り合いばかりとあって、客席から演者の名前が呼ばれ、その度にみんなどっと盛り上がった。いくら音程が外れても、種がわかる手品でも、足元のおぼつかい日本舞踊であっても、楽しいのだ。明日香が「わたしたちも漫才で出たらよかったね」と隣に座っていた葵に声をかけたが、葵は完全に無視した。子供達の合唱が始まると、親たちの顔がほころんだ。午前の部の最後は、地元に昔から伝わる伝統の大黒舞であった。フラダンスは午後の演目の二番目だ。

 昼はみんなでカレーをよそうのを手伝い、全員に行きわたってから、婦人たちにあなたたちも食べなさいと言われて、自分たちの分をよそった。その間、おれとじいさんはおとなしく待っていた。みんなでそろって食べ始めると、これが飛び切り美味しい。みんなで美味しい、美味しいと言って食べていると、美咲が「ナッツも入っている」と言った。玲奈が「隠し味じゃない」と言った。七海が「これで美味しいんだ」と言って、おかわりをした。幸子が自分で山盛り3杯おかわりしたのを、おれは見過ごさなかった。これからフラダンスをすることはわかっているのだろうか?

しばらくして全員フラダンスの衣装に着替えて、しっかりメイクをした。各々腰を動かし手を動かして準備運動をしていたが、その表情から緊張しているのが手に取るようにわかった。その中で幸子は椅子に座ってふんぞり返っていた。本番の度胸はいいのかもしれない。しかし、右足の先がかたかた震えていたのをおれは見逃さなかった。彼女も緊張しているのだ。おれはおかしくなったが、それを幸子に悟られないようにした。

 フラダンスの順番が来た。ステージのそでから見ていると、午前よりもずいぶん客が増えたことがわかる。それも男の客ばかりある。曲がかかり、舞台に踊り手が登場すると、すかさず客席から「待ってました」と声がかかった。キャバクラの常連客である。見るとたくさんのなじみが来ていた。「幸子ちゃん」「美咲ちゃん、愛してる」「舞ちゃん、最高」「彩乃、一段と別嬪さん」という声が四方からかかって、その声で音楽がかき消された。突然、幸子がステージから「ちょっと黙っててくれる」とどすの効いた声で注意すると、「はい」という返事が一斉に返ってきて、あまりに返事がそろっていたので、会場のみんながどっと笑った。

葵が「音楽、最初からスタート」と言って、再開した。さすがにあれほどの練習をしてきたので、全員の息もそろっていて、なかなかのものだった。会場から再び掛け声がかけられたが、女の子はにっこりと笑いを返す余裕が出ていた。おれの傍では、じいさんが「ほ、ほ、ほ」と喜んで、椅子に座ったままで手を波のように左右に振った。

 踊りが終わると客席から「ブラボー、ブラボー」という声がかかって、女の子たちは客席に向かって手を振った。期せずして、会場からアンコールの声がかかったので、もう一回同じ曲でフラダンスを踊った。すると酔った客から再びアンコールの声がかかり、それに幸子は反射的にどなり返そうとしたが、それを察した明日香は「ではレットキスを歌います」と言った。それでみんなでレットキスを歌って、列を作ってジェンカを踊り出した。そして行列を作ったままで、ステージから観客席に降りると、客席の男性も女性もジェンカの列に加わった。一つの長い行列ができ、みんなで足を上げていた。

 そうした列の中で、一人の女性が倒れた。あっ、と誰かが声を上げたのを聞いたが、それから会場の人たちが次々に苦しみだして倒れ、嘔吐する者が続出した。おれも腹が苦しくなって倒れた。遠くで救急車のサイレンの音が聞こえた。


             つづく

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