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6.Sing a song

 なんだかんだと説得して、カナが渋々帰ったころには、時計の針は9時半を少し回っていた。


 夜も遅いので送ると言ったが、カナは、近いので一人で帰ると言ってきかなかった。


 俺が店長に電話をし、その旨を一通り説明してから電話を切ると、結衣は「すごい子だ」と、ため息まじりにそう言った。


「ああ、真面目でいい子なんだが、少し頑固なんだ。それで部活の子ともめたりしてな」


「お前が解決してやったのか?」


「いや、俺は話を聞いただけ、解決したのはあの子自身だ」


「そうか。お前はいい奴だ」


「そうか? 本当に、聞いただけだぞ」


「まあいいさ。それより、盗聴の方だ」結衣は再びスマートフォンの電源を入れて、ちゃぶ台に置いた。


 俺たちはちゃぶ台を前に隣り合って座り、頭を寄せてそれに見入る。


「何か録れてるといいが……」


 そのアプリは、録音された盗聴データから人の声だけを検知して、クラウド上に保存するのだそうだ。


 液晶画面の中で、クレヨン調のイルカが背びれを一かき泳いだ。


「おっ、あるぞ」


 画面に数字が並ぶ。どうやら、日付と録音時間が表示されているようだった。


 結衣は一番上のものをタップした。


──「Hey Yo! 俺のコロッケ食ってみろYo! Juicy! Spicy! 俺は君にCrazy!……違うな……」──


 俺と結衣は顔を見合わせた。


「確かに、違うわ」と結衣が言う。どうやら親父は自作のCMソングを考えているらしい。


「そうか? 俺は結構いいと思ったが。『Juicy! Spicy!』のところが好きだ」


「コロッケの情報がそこしかないのが問題だと思うぞ。大体、何でラップにしたんだ。あんまり美味しそうに感じないだろ」


「じゃあ、お前ならどうする?」


 俺は、対案のない批判をする奴はあまり好きじゃない。


「そうだな……」結衣は、一拍、間を置いて歌い始めた。「Zaku! Zaku! タナベのコロッケ〜 噛めば肉汁!(ジュワ〜)今夜のおかずは? 肉のタナッベッ!」


「お前……天才なのか?」


「ただの思いつきだ。でも、こっちの方が旨そうだろ?」


「いやこれ、ほぼ完璧だろ。親父の歌声が、もう発情期のチンパンジーにしか聞こえなくなってしまった。

『Zaku! Zaku!』のところがもうモダンだし、食感がイメージ出来る。店の名前が2回も入ってるから、『肉のタナベ』が印象に残るし、『今夜のおかず』のところでシーンが想像出来るのもいい。逆にこれ以外考えられないってくらいの出来だ」


「お前、話が分かるな」


「なあ、『肉汁!(ジュワ〜)』のところはどうやってるんだ? 急に声色が変わってビビるんだが」


「うーん、説明するのは難しいな。そんな考えてやってるわけでもないし。『肉汁!(ジュワ〜)』って感じだ」


 俺は実演で分からんから聞いたわけだが、取り敢えずその技術の謎については一旦置いておくことにした。話が横道に逸れすぎた。


「次の録音、聞いてみようぜ」と俺が促すと、結衣はうなずいた。


「お、これは少し長いな」そう言って、結衣は画面をタップする。


 スマートフォンのスピーカーから、くぐもった男の声が2つ聞こえた。愛想よく挨拶をする男と、それに無愛想に応える親父の声だ。──




──「いやいや、お気づかい頂いて済みません」


(机にコップがあたるような音)


「何度も来てもらって悪いが、俺ぁこの店を手放す気はない」


「ええ、正直、そうおっしゃると思いました。ご提示させて頂いた条件は、弊社でも最大限頑張らせて頂いたものでしたから、これでご納得頂けなければ、もう無理だと上司にも話してるんです。

 タナベさんにとって、これはもう、お金の問題じゃない。例えば、思い出だとか、意地だとか、地域の人たちとのつながりだとか、そういう心の問題でしょう。上の連中はそれが分かってないんですよ」


「アンタはそれを上に納得させられるのか?」


「それも私の仕事です。ただ、これだけはご理解頂きたい。私は、自分の仕事が、世間でイメージされるほど悪いものだとは思わないんです」


「分かってるよ。俺ぁ何も、アンタが詐欺師やヤクザだと言ってるわけじゃない。行儀のいい地上げ屋だってだけだ。それだって必要な仕事だろう」


「そう、街は変わっていく。好むと好まざるとに関わらず。この界隈の再開発の手はもう止まりません。そして、そうでなければならない。

 東京一極集中の時代はすでに終わりました。今、札幌、仙台、福岡なんかの人口増加率は首都圏並み、時価上昇率は東京をはるかに上回っています」


「俺ぁ目の前の肉とコロッケのことだけ考えて生きてきた人間だ。んな広い視点の話をされても分からねえよ」


「そして、そのことに誇りを持っていらっしゃる。分かります。私のような若造にも、そのくらいのことは。けれど、タナベさん、貴方も変わっていく世界と、無関係ではいられない」


「それぁな」


「私もあなたのコロッケのファンです。このお店が、どんな形であれ、ずっと続いていて欲しい。

 タナベさん、気をつけて下さい。あなたは私を、『行儀のいい地上げ屋』だと言いました。それはおおむね正しい。けれど、それは同時に『行儀の良くない地上げ屋』の存在を示唆(しさ)するはずです」


「そういうヤツらが、この界隈をうろついてるってのか?」


(しばし沈黙)


「先日のご提案は、弊社でも最大限頑張らせて頂いた条件です。金額も、移転先の物件も、これ以上のものは他社では出ないと断言出来ます。逆に、出たとしたら、ご用心下さい。そして当然、もっと卑怯で乱暴な連中にも」


「分かった。肝に銘じるよ。遅くまでご苦労だな。ムラタさん、アンタ、飯は?」


「いえ、まだですが」


「食ってきな」──




 

 俺と結衣は、ふたたび顔を見合わせた。


「ムラタさん……」と結衣が呟く。


「つまり、どういうことだ?」と俺がたずねると、結衣は少し考えてから口を開いた。


「この界隈で再開発がある。親父さんの店は、その建設用地確保のために、立ち退きを打診されてるわけだな」


「だが、親父はそれを突っぱねた」


「そうだな。それ自体は何も悪いことじゃない。どっちもな。問題は、『行儀の良くない地上げ屋』がやって来ることだ」


「ここまでの情報は、お前の仕事としてはどうなんだ?」


「全然足りないな。5W1Hが全然揃ってない」


 確かに、と俺はうなずいた。


「録音はいつだ?」


「ついさっきだ」


「じゃあ、今、ムラタさんはコロッケを食ってる」


 結衣はちゃぶ台に手をついて立ち上がった。「行くぞ」


「スパイのスーツはいいのか?」


「あれは、汗で濡れてるからもう嫌だ。後で洗濯機を貸してくれないか?」


「いいが、お前、俺んちに泊まっていくのか? 俺は女を部屋に泊めたことがないから、緊張するんだが。布団も1つしかないぞ」


「後で考えよう。あんまり意識するな。こっちも変な感じになる」


「そう言われてもなぁ……」と俺は額を()いたが、

「親父さんの店がピンチだ」と結衣が言うので、気を取り直して腰を上げた。


「確かに、せっかく考えたCMソングが無駄になる」

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