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5.Ms.“Mad dog”

「はー! 美味しかったな! 教えてくれてありがとう!」玄関に入るなり、結衣はそう声をあげた。


「念のため確認するが、コロッケはメインじゃないよな」


「当たり前だ。バッチリ仕掛けてる」靴を脱いで部屋に上がると、結衣はポーチからスマートフォンを取り出し、画面を見せてくる。


 クレヨン調のイルカのイラストが表示されている。


 これまでのやり取りを考えると、あまり胸を張るのもどうかと俺は思ったが、黙って話の続きをうながした。


「これは、盗聴器の音声データをスマホで聴けるアプリだ」


「なるほど。ポップなデザインだ」


「私も気に入ってる。イルカかわいい」


 そのデザインが盗聴のアプリに相応しいかということは一旦棚に上げて、「じゃあ、さっそく……」とスマートフォンに目を落としたその時、玄関のドアがけたたましく叩かれ、チャイムが嵐のように連打された。


 驚いた結衣が、ひっ……! と声を漏らす。


「ああ、大丈夫だ」


 俺は結衣をなだめた。こういう訪ね方をするヤツに心当たりがあったからだ。


 玄関のドアを開けると、そこにいるのは、制服のブレザーを着た少女である。レンズの大きなメガネをかけて、髪は三つ編みにしている。


 少女は開いたドアから結衣の姿を認めるや、眼を見開いて「女っ?」と叫んだ。


「不動 泰山! どういうつもり? アンタそのご身分で、女連れ込んでしっぽりシケ込もうって?」と少女は噛みつくようにまくしたてた。


「いや、ひどい誤解だ。俺は誤解を受けやすいタチだが、その中でも5本の指に入る」


「泰山、誰だ?」結衣がその剣幕にたじろぎながら、恐る恐るこちらをうかがう。


「はー! これは豊満なお嬢さんですこと! 大変よござんすね! そのドスケベボディで不動さんをたらし込んだわけ! まー、イヤラシイ!」


「カナ、そういう言い方は良くないぞ。品がない」


「“品”ときたよ! バイトをクビになったその足で、帰りしなに立ち呑み感覚でちょいと女を引っ掛けるような男が!」


「泰山お前、バイトをクビになったのか?」結衣が不安そうに訊ねる。


「まあ、そうだな」


「何で言わなかった」


「なんかタイミングがなかったし、お前に比べりゃ些細(ささい)な問題だろ」


 少女は機嫌の悪い犬みたいにこちらを睨みつけている。今にも唸り声が聞こえてきそうだ。


「で? 私はいつまで玄関先で待たされてりゃいいんでしょうね」と言うので、俺は渋々彼女を部屋に上げた。と、彼女は床に脱ぎ捨てられた、ウニクロのウォームテックを指して、「これは?」と聞いた。


「ああ、すまない、それは私のだ」と結衣が慌てて、それを拾い、持ち込んでいたナップザックにしまう。


「つまり、脱いで……着替えたと……早っ! まだ9時前ですけど? ウサイン・ボルトも舌を巻くわ!」


「いや、待て待て待て。それに、“もう”9時前だ。帰れ。父ちゃんが心配するだろう」


「そのお父さんと話したから、こうやって飛び出して来たんでしょうが!」


 少女の剣幕に圧倒されてすっかり縮こまりながら、「あのぅ……」と口を挟んだのは結衣だ。「よかったら、少し、説明を……」


 それはそうだ、と俺はうなずいた。


「この子は、俺が今日まで世話になっていたバイト先、コンビニの店長の娘で、本田 カナさん。中学3年、吹奏楽部の副部長で、学級委員だ」


 俺は試用期間の3ヶ月を満了する今日、晴れてバイトをクビになったが、そこに入って間もない頃、彼女の相談事を聞いて以来、変に懐かれてしまって現在に至る。


「とにかく、お父さんに抗議したわけ! 不動さんは社会常識が壊滅的だけど、いい人間だっていうのはお父さんも知ってる! 仕事だって真面目だった! だからクビを取り消してって!

 そんな私の苦労も知らず、無職が一丁前に、女の裸に舌鼓(したつづみ)とは恐れ入る!」


「お前、そういう言い回し、どこで覚えてくるんだ?」


「そんなことは、どうだっていいでしょう! 今はアンタのクビを取り消してもらう話をしてるの!」


 俺は、少し考えてから口を開いた。


「カナ、お前がそうやって、俺のことを考えてくれたのは、すごくありがたいことだし、お前や店長が、俺のことをそういうふうに思ってくれていたことは嬉しい。

 だがな、お前の父ちゃんも、考えてしたことだ。俺はそのことに納得してる。俺は俺なりに一生懸命仕事をしたが、商売ってのはそれだけじゃダメらしい」


「だから、その考えを変えてもらうんでしょ? アンタのおかげで来てくれるお客さんだっているんだから! 毎朝来てくれる近所のお婆ちゃんなんて、いつもアンタがいるかいないか気にしてる。『あの大きいお兄ちゃんは?』って!」


「あの婆さんは、俺がいなくても毎朝来るぞ。近くでお琴の教室をやってるから。それより、店で騒ぐ大学生と俺がしょっちゅう揉める方が問題だった。クレームが半端じゃないそうだ」


「それは、向こうが悪いでしょ? 酔っ払って店で騒いだ挙句、アンタを殴ったんだから」


「だが、アイツは怪我をした」


「ちょっと待て、殴った方が、怪我をしたのか?」と結衣が間に入って聞いてくる。


「そう。殴った指にヒビが入ったって。それで治療費だ慰謝料だって揉めて、こっちも防犯カメラの映像なんか持ち出して、なんなら傷害罪で訴えるぞって言って収まったんだけど、それから、その仲間たちが不動さんに目をつけて、おちょくりに来るわけ。で、散々挑発して不動さんが反論すると、それをダシにまたクレーム」


「とんでもないヤツらだ」


「アイツに殴らせるには、俺の身体は頑丈すぎた。よけるべきだったんだよ。アイツの仲間も、仲間の怪我に黙っていられなかっただけだ。本人はあれ以来、大人しいもんだったしな。アイツらも、酒さえ入ってなければ人のいい真面目な大学生なんだよ。多分な」


「それでも、お前がクビになるのは理不尽な気がするけどな」と結衣が言った。


 カナは大いにうなずいた。「でしょ? 話の分かる巨乳じゃない。だから私はあのハゲに言ってやったの。『ものの道理が分からない頭には、そのパヤパヤ未練がましい髪の毛すらもったいない。全部引っこ抜け』って」


 俺は店長のことが気の毒になった。


「カナ、ありがとう。だが、父ちゃんのことを悪く言うな。もう店長は俺の代わりに次のバイトを入れてた。俺が戻ればそいつに迷惑がかかる。

 それにな、俺の問題はそこだけじゃないんだ。お前も言ったが、俺は世間の常識にうとい。店長が『明日から来なくていい』と言ったのも、『来るか来ないか選んでいい』という意味だと思ったしな」


 結衣が目を丸くした。「それは画期的な新解釈だ」


「店長も同じことを言っていた。それがクビという意味だったのを、俺は店長に教わって初めて知った」


「なかなか、うまくいかないもんだよな」と結衣はしみじみ言った。

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