38.俺たちの生活
急用が入った、とか、適当な理由をつけて、太った男の部屋を出ると、またインターネット・カフェへ向かった。
結衣がまた、カップルシートを押さえてそこで待っていた。
「お疲れ」
声を潜めて結衣が言うのに、片手を挙げて答えた。
「説明を聴きたいが……ここで長々喋るのは、他の客の迷惑になりそうだ」
カウンターへ行くと、遊戯系のスペースなら話しても問題がないというので、ビリヤード台を借りた。一応、球と棒(キューというらしい)も。
「あのアパートが、分譲だったのが良かった。部屋番号が判明した時点で、ほとんど勝負はついた」
ビリヤード台のある部屋に入った途端に、結衣はそう言った。
平日の夜中というのもあって、俺たちの他に客はいなかった。
「そうなのか? 俺は、決定的なことはまだ聞き出せていないと思っていたが」
「まず、正確な住所が分かれば、ネットで不動産登記を調べて所有者を特定できる。それで、アイツの氏名が分かった。賃貸だったらお手上げだったが、あそこは分譲マンションだからな」
俺はポケットに盗聴器を仕込んでいた。こちらの会話を結衣に聴かせるためだ。こんなこともあろうかと、ワザと部屋番号を読み上げたのは、我ながら冴えていた。
「なるほど。それで、女たちの居場所は?」
「それはまだ分からない」
「それじゃあ……」解決したことにならないじゃないか、と言おうとしたのを遮って、結衣は続けた。
「ヤツ本人に喋ってもらえばいい。それは、私たちじゃなく、警察の役目だ」
「何か、犯罪を?」
「未成年者誘拐略取。私もてっきり、18歳以上の女の子を狙っている以上罪に問えないと思っていたが、ここでいう『未成年者』とは、調べたら20歳未満だった。つまり、相手が分かって、この可能性を示唆すれば、警察が動く」
「その過程で、女たちの居場所も分かると」
「そういうことだ」
「実際、罪が成立するかは怪しいところだろう。彼女たちは、結局自分の意思で動いている。だが、それは我々にとっては大きな問題じゃない」
「彼女たちを、家族に合わせることさえできれば」
「そうだ。彼女たちにも、多分問題はあった。アイドルでい続けたいなら、それはそれで家族をちゃんと説得するべきだと私は思う。こんな、無事かどうかも分からない状態でいるなんて、家族にとっては残酷だ」
「だよな。あの太ったヤツにも、一応、ヤツなりの愛とか正義とか、そうものがあって、俺は正直、ちょっと迷った。でも、一番悪いのは、当事者たちが、ちゃんとその主張を戦わせずに、議論から逃げ回ったことだと思う。俺のやったことはおせっかいかもしれないけど、俺たちは、俺たちなりに、自分が良いと信じることのために、頑張ったよな」
結衣はうなずく。
「なあ、せっかくだ。ビリヤードでもやるか?」
俺はゆっくりと、首を横に振った。
「やり方が分からない」
「私もだ」
2人は声を出して笑った。
✳︎
数日経つと、地下アイドル連続失踪の件は、小さなニュースになった。結局、男は罪にまで問われなかったらしい。
『未成年者誘拐・略取』は親告罪で、殺人などと違って、告訴がなければ公訴ができない。
おそらく、男は自分の考えを家族にきちんと説明したのだろう。
もっとも、それが家族にとって、何の問題のないことではなかっただろうが、少なくとも、自分の欲や悪意だけで動いていたわけではないことくらいは伝わったものとみえる。
俺たちはそのニュースを、元々俺が住んでいた、洋室8畳のワンルームで見ていた。
俺たちは、汚いおじさんが住んでいた1LDKを諦めた。
俺は元・汚いおじさんにすっかり情が移ってしまって、住んでいた部屋から追い出すのが可哀想になってしまったし、ちょっと広めの部屋に住むことよりも、結衣と一緒に暮らすことの方が価値のあることに思えたからだ。
そして、俺たちには結構な金が振り込まれた。行方不明者はそれなりの人数がいたし、組織としてもそこそこ金になる仕事だったのだろう。もしかすると、あの太った男の親が、息子に高級マンションを一部屋買い与えるような金持ちだったことも関係しているかもしれない。
丁度、ニュースが終わったころ、俺の携帯が鳴った。
見ると、『番号非通知』と表示されている。
「組織からだ」と結衣が言った。
俺はいぶかしみながらも、電話に出た。
「スパイ・ネーム『スワロウ』さんの携帯電話でお間違えないでしょうか」と女の声でそう聴こえたので、俺はそうだ、と答えた。
スパイ・ネームに『スワロウ』と名付けたものの、これまで直接そう呼ばれる機会はなく、アカウント名以上の意味を持っていなかったから、違和感が凄い。
「この度の任務達成に関連して、入居可能物件が1件増えました。関連任務を達成したスワロウさんに、優先交渉権がございます」
女はそう言うと、物件詳細を送ってあるから確認し、住みたければ、いついつまでに手続きするように、というようなことを言って通話を切った。
俺はそのことを結衣に説明し、物件詳細を調べる。と、そこは、あの太った男の部屋だった。
「おい、見ろよ結衣。都心部の、高級マンションだぜ」
「築1年。駅まで5分か」
俺たちは、狂喜した。身体の奥から陽気なリズムが湧き上がって、2人で不思議なダンスを踊った。
しかし、やがて体力が尽きて床に腰を下ろすと、どちらからともなく、「何か、違うな」と声を合わせた。
「何だろうな、ずっと、この部屋じゃ狭すぎると思って頑張ってたはずなのに」
結衣が言う。
「多分、俺たちに似合わない」
俺がそう言うと、結衣は「それだ!」とうなずいた。
しばらく、この8畳ワンルームでの生活は続きそうだ。




