35.言い換えれば、お前が好きだ
大通りにある広い公園の噴水の前で待っていると、西側の入り口から結衣が大きく手を振った。
俺はほとんど、矢も盾もたまらずベンチから立ち上がって、駆け出した。
「うわっ! どうしたお前……」と、うろたえる結衣を抱きしめてから、俺はハッとしてその手を離した。
「すまん、つい……」と言ってから、俺は自分の心境をどう説明したものか、悩んだ。
「いや……いい……」
結衣は照れくさそうに俯く。
それから、2人はベンチに座り、それぞれが新しく得た情報を報告し合った。
「つまり、SNSの更新を代行する業者ってやつがいるんだな。
アイドルとして活動するには、宣伝のためにSNSの更新は不可欠らしい。だが、失踪した女の子たちは、アカウントに粘着するストーカーじみた奴がついてたり、不用意な発言で炎上したりしていた。
いわゆる『SNS疲れ』ってヤツだな。更新がストレスになっていた。
そこで、当たり障りのない記事を更新してくれる業者に依頼して、記事数を稼いでいたわけだ」
結衣の説明に、俺はうなずいた。
「内容がいい加減だったのは、そのためか」
「そういうことだな。その業者を斡旋したのも、お前の言う、金持ちのオタクだろう。女の子たちが失踪扱いになっていることを知った業者は、依頼主の金持ちオタクに苦情を入れた。犯罪の片棒を担ぐようなことになっては堪らんからな。それが、私の盗聴システムに引っかかった」
「すて……こっ……」
「Stupid cock suckers System」
「そう、それ。じゃあ、その業者が分かれば、依頼主の金持ちオタクを辿れるわけだな」
「いや、金持ちオタク本人を特定した」
結衣は得意げに胸を張る。
「何?」
「私たちが、初めて『Cocytus』に行った時、近くの交差点で話した、太った男」
「ああ、アイツか! 確か、シノ様だかのために身体を仕上げてきてるとかいう。どうやって知った?」
「私の先輩アイドルが勧誘を受けていた。アイツは界隈じゃ有名な筋金入りの地下アイドルオタクで、趣味が高じてというのか、自分で事務所を立ち上げようとしていた。しかし、一から女の子たちを集めるのは大変だ。金だけ有ればいいってもんでもない。
そこで、事務所に不満を持つ女の子を引き抜くことを考えたらしい。だが、先輩が声をかけられた時には真っ当な引き抜き──というのもおかしな話だが、とにかく失踪と関連付けて考えてはいなかった」
「SNSの代行や、セーフハウスだとかのサポートは、彼女たちにとってもそれなりに魅力的だった」
「そういうことだろう。ある意味、勘所を押さえているとも言える」と結衣はうなずく。
「だが、そのあとのこと、例えば、彼女たちの家族がどう思うか、そういうことが、アイツは想像出来なかった。
結衣、俺はな、アイツに、一言言ってやらなきゃ気が済まん。確かに、彼女たちは悩んでいた。アイツのやったことは、彼女たちの救いにもなっただろう。
でもな、彼女たちを大事に思う人たちは、今も娘を探して彷徨ってる。そういう気持ちを思えば、俺はいても立ってもいられないんだ」
思わず声に熱がこもる。
結衣は、俺の手を握った。冷たく、柔らかい感触が、俺の手を包んだ。
「お前、彼女たちに、私を重ねて、心配してくれたのか?」
「そうかもしれない。汚いおじさんがな──いや、もう部屋を掃除して、色んな意味で風呂にも入ってるから、汚くもないんだが──彼女たちは運が良かったと言うんだ。
悩んでどうしようもなかった時に、彼女たちが最終的な手段を取らずに、そこから逃げおおせたのは、運が良かったって。
確かにそうかもしれない。けど、それは本来、彼女たちを大切に思う人たちの役割だ。もしかすると、コミュニケーションに齟齬があったり、何か複雑な事情や誤解があったりして、彼女たちを大事に思う気持ちは、上手く伝わっていなかったのかもしれない。
けどそれは、赤の他人が、彼らの大事な役割を、奪っていい理由にはならないだろ?」
「ああ。私もそう思う」
「俺は、『冗談じゃねえ』と思ったよ。けど、同時に、こうも思ったんだ。俺は、俺の大事な人に、『お前が大事だ』ということを、ちゃんと伝えたか? って」
俺の手を握る結衣の指に、一瞬、力がこもった。
「それで、さっき……」
「結衣、お前が辛い時には、俺に言ってくれ。いつもそれを解決出来るとは限らないが、俺はお前のために全力を尽くすよ。それだけは約束出来る。だから、俺を置いて、どこかへ消えてしまわないでくれ」
俺も、結衣の手を握り返す。
「どうして、そう思うのか、言って」
結衣は俺の眼を、その奥行きを測るように見つめた。
「いや、だから汚いおじさんの話を聞いて……」
俺はちゃんと話が伝わらなかったかと、もう一度順を追って説明し直そうとしたが、結衣はそれを遮った。
「や、そうじゃなくて、もうちょっと、根本的な……」
「ああ、つまり、失踪した女たちの家族のことを考えた時に、翻って俺の方はどうかと……」
「もっと! もっと遡って!」
「ん……? だから、俺は、お前のことを大事に思ってて……」
「それを、言い換えると?」
「ああ、お前が、好きだ」
俺がそう言うと、結衣は俺の首に腕を回して抱き付いた。
「まったく、手間かけさせやがって」
俺は短く笑った。
「そうだな。すまん。こんなシンプルなことを、中々言い出せなくて」
結衣は、触れそうなほど近くに顔を寄せて言った。
「泰山、時計、見てみろ」
俺は促されるまま、腕時計に目をやる。
「12時、3分」
「もう、終電間に合わないな」
「いや? 走れば間に合うだろ」
「お前はぁ……!」と噛み付くような表情で結衣は俺を睨む。
「ん……?」なぜ怒られたのか、全然分からない。
「あるだろうが。2人の仲が、こう、盛り上がって、雰囲気が出来た時に行く、専用の施設がぁ!」
そこまで言われてハッとした。
「2人の夜を妖しく彩る、『HOTEL DIABRO』」
「どこに書いてあった、そのキャッチコピー」
「サイトの上の方に……」
「お前、興味津々じゃないか!」
「そりゃあ、まあ、そうだろう」
「じゃあ、行くぞ!」
結衣は何か助走をつけるように意気込んだ調子で言ったが、俺は自分の欲や、諸々のことを、頭の中で天秤にかけたり、順序を並べ替えたり、色々と考えた上で、言った。
「いや、この任務は、もう大詰めだ。ケリをつけようぜ。今夜」




