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21.爺ちゃんの教え

「俺を育てた婆ちゃんは不思議な人だったが、爺ちゃんもまた、別の方向に不思議なジジイだった」と俺は結衣に説明した。


 俺は両親の顔も知らない。


 婆ちゃんは、俺が両親について尋ねるたび、「アンタは私の孫だ。それで十分さ」としか答えなかった。


 俺にとっては十分じゃないから聞いているワケだが、婆ちゃんのその言葉を聞くと、不思議なことに、毎回その時はそれで十分に思えた。その言葉には充足感というか、安心感というか、とにかくそういう説明できない力があって、俺の心を満たすのだ。


 一方で、俺の爺ちゃんは、本当にどうしようもないジジイで、婆ちゃんがなぜこんな男と結婚したのか、それが俺にとっては両親の不在よりもよほど大きな謎だった。


 爺ちゃんは当然、俺が物心ついた時には完璧にジジイだったが、どういうわけか女にモテた。


 頭が大分ハゲてはいたし、特別ハンサムとも俺は思わなかったが、スラっと背が高く、酒が強くて、小ぎれいな爺さんで、また話が上手かったから、そういうところにハマる女もいたのかもしれない。


「泰山、お前は身体が大きい。そのことで、周りの奴にからかわれたり、反対に恐れられたり、お前は窮屈に思っているかもしれないが、それはな、チャンスだ」


 ある日、爺ちゃんがそう言うので、てっきり俺は、珍しく何か為になる話でも始めるものかと耳を傾けたが、続く言葉はこうだった。


「女はな、『優しい男が好き』だとか、『綺麗な顔の男がいい』だとか、そんな当たり前のことはわざわざ言ったりしない。だが、不思議なもんで、『太った男がいい』とか、『毛深い男に目がない』とか、ちょっと変わった性癖は、自分から申し出るんだな。

 だから俺はな、恋愛対象として『お爺ちゃんが好き』という女を、取りこぼしなくすくい上げていくわけだ。泰山、お前は、『デカい男が好き』という女を取りこぼすな」


 まるで人生の重要な教訓のようにこういうことを教えてくる爺ちゃんを、俺は全く尊敬出来なかった。


 婆ちゃんというものがありながら、こういうことを平気で言って回るジジイなので、当然方々でトラブルを起こした。


 フラっといなくなって、しばらくしたと思えば、どこぞの坊さんの嫁に手を出した(幸いその時は未遂で済んだらしいが)とか、スナックのママが爺さんに入れ込んで大騒ぎしたとか、そのたびに、婆ちゃんは頭を下げて回ったそうで、その回数に比例して、俺は爺ちゃんを軽蔑した。


 だが、そういうロクでもない風来坊に、俺が呆れつつもその最期まで愛想を尽かしきれなかったのは、彼が不思議な愛情と愛嬌を持ったジジイだったからだろうと思う。


 爺ちゃんはいつも──もっとも、彼が家にいる時はということだが──俺をザリガニ釣りや虫採りに連れて行ってくれた。


 俺が小学校に上がってから、料理を教えてくれたのも爺ちゃんだ。


「泰山、今時はな、男も料理をするべきだ。それを口実に、女の家に上がり込める。流行りの料理をご馳走するだとか、君の身体が心配だから、バランスの良い飯を作るだとか言ってな。俺は飯を作って、代わりに彼女を頂くって寸法よ。

 いいか。高い店で脈なし女に何べんもタダ飯食わすなんてのはマヌケのやることだ。泰山、お前はそうなるな」


 そのころにはすでに、俺は爺ちゃんの言うことの逆をやれば、人間として正しい選択が出来るということをある程度学んでいたから、彼の言うことは話半分に聞くという技術を身につけつつあったが、それでも彼の教えのいくつかは、不本意ながら生活の役に立った。


 爺ちゃんは本当にたくさんのことを俺に教えたから、その中には重要な教えが他にもたくさんあったのかもしれないが、何せそうは思えない教えが多すぎた。


 爺ちゃんが死ぬ時、そのかたわらで看取る俺の前で、最期に言った言葉はこうだ。


「泰山、女とヤれ。出来るだけたくさんの女とだ」


 最期の言葉がそれでいいのか、と聞き返す間も無く爺ちゃんは死んだ。


──俺の話を、結衣は神妙な面持ちで聞いていたが、爺ちゃんが死ぬシーンでふふっと笑った。


 俺も、そういう死に方だと思う。


「お婆さんは、それを聞いてどうだったんだ?」と結衣が聞く。


「顔をしかめて、『どうしようもないジジイだね』と言ったな。それは、よく覚えてる」


「どういう気持ちだったんだろう」


「不思議なんだが、ちっとも怒ってなかった。むしろ、俺には、爺ちゃんのそういうロクでもないところが好きだったようにさえ見えた。俺にはそれが、全然理解出来ない。

 と、まあ、とにかく、俺にはそういうロクでもない爺さんの血が、いや、血が流れてるかは実際よく分からないんだが、そういう教えを受けて育った。

 もちろん、俺は爺ちゃんの教えをほとんど実行しなかったが、こういう生い立ちが、お前にとってどうなのか、と俺は少し不安だな」


 俺がそう言うと、結衣は笑った。


「お爺さんとお婆さんは、愛情を持ってお前を育てた。私にとってそれは、とても良いことだ。是非、亡くなる前に会いたかった」


「そうか」


「それにな、お前、お爺さんのそういうところを、結構受け継いでると思うぞ」


「ウソだろ?」と俺は思わず声をあげた。断じて聞き捨てならない。


「いや、欲望に忠実というか。お前、そういうところが結構あるぞ」


「おいおい……俺は、ああはならないように、結構用心深く生きてきたつもりなんだが……」


「まあいい。とにかく、今は私たちのこれからについて、考えようじゃないか」


 と結衣は言ったが、俺はどちらかと言えば、自分のこれまでについて考えるべきなのではないかと、不安になった。

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