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20.俺と彼女のペースについて

 俺と結衣が出会って一週間と少し、俺たちは協力していくつかの任務をこなした。


 それはほとんど、スパイの任務というより何でも屋の仕事に近いもの(スズメバチの巣の撤去だとか、新作ゲーム機の入手だとか)だったが、一週間で洋室8畳ワンルームの家賃と、その日食うのには困らないくらいの金を得ることは出来た。


 俺たちは任務の報酬が振り込まれると、ホームセンターで布団一式を揃え、毎晩、やはり微妙な間隔を空けて眠った。


 婆ちゃん以外の女と暮らしたことがないので、俺は何となく緊張していたが、3日も経つとやや慣れて、相手を観察するくらいの余裕は出来た。


 女というのがみんなそうなのか、それとも結衣がとりわけそうなのかは分からないが、やはり生活のペースというのか、そういうものが全然違っていて、俺にはそれが新鮮だった。


 顕著(けんちょ)なのは風呂で、まず長い。俺の部屋には脱衣所というものがないし、毎晩銭湯に通うとなると、金がかかって仕方がないというので、彼女が風呂に入る間、俺は外出を義務付けられたが、帰宅の許しが出るまで早くとも30分はかかった。


 彼女はただ風呂に入るというだけで、とても沢山のものを必要とするらしかった。


 元々シャンプーとボディーソープしかなかった石鹸置き場は、結衣の持ち込んだ色んなボトルで埋め尽くされてしまった。


 俺には理解が難しかったが、顔を洗うだけでも、クレンジングオイル、リムーバー、洗顔料と3つも必要なのだそうだ。


 女は化粧をしなければならず、夜にはその化粧を落とさねばならないのだという。


 しかも風呂をあがった後は、化粧水、美容液、乳液というこれまた3種類の液体を顔に塗り込まなければならない。


 俺はそのことを考えると、ギリシャ神話か何かの、岩を山頂に運び上げる罰を連想して気の毒に思った。運び上げた岩は山頂から転げ落ち、また山頂まで運び上げ、また転げ落ち、運び上げ……ということを永遠に繰り返すのだ。


 一方で、結衣には俺と似た部分もあった。特に好ましかったのは、彼女がおおむねにおいて綺麗好きだということだ。プリンや惣菜のプラスチック容器はざっと洗ってから捨てる、シーツや布団カバーは3日に1回くらい洗濯する、そういうリズムがほとんど俺と一緒だった。


 そういうわけで、俺たちが、この生活のリズムを掴むのに、それほど時間はかからなかった。


「さて、じゃあそろそろ、“あの計画”を本格的に始動するぞ」と俺は言った。


 昼飯の焼きそばを平らげた後のことだ。


「待て。まず洗い物をしよう」と結衣は言う。


 俺は同意した。結衣は立ち上がって台所に向かい、フライパンを洗い始める。


 俺はそこに2人分の皿やコップを運んだ。


 結衣が洗剤で洗ったものを俺がすすぎ、カゴに移す。結衣は使い終わったスポンジの洗剤を水で落とすと、俺がすすいだ食器を拭いて食器棚に戻した。


 俺と結衣は、こういう一連の流れが不思議なほどスムーズに噛み合う。


 洗い物を終え、ちゃぶ台をはさんで再び腰を下ろすと、結衣が切り出した。


「計画の話をする前に、聞きたいことがある」


「何だ?」


「お前、どうだ、私を好きになってきたか?」


 ストレートな聞き方だ。多分、こういう人は珍しいのではないだろうか。


「先週、喫茶店で言った通り、俺はあの時点でお前のことが結構好きになり始めていた」と答える。


 先週、喫茶店で唐突に告白されて以来、俺と結衣は互いの関係性を保留していた。


 俺は女にそう言われるのが初めてだったし、男と女が付き合うということが、具体的に何をすることなのか、あまり詳しくなかった。


 もちろん、その先に想像される様々なことに期待も欲望もあったが、まず俺は彼女のことをあまり知らない。


『この女は俺の彼女だ』ということになれば、俺は割と早いペースでステップを進める予感があった。相手のことをよく知らない内に、そして、まだ知らない相手の要素を全て受け入れる覚悟のない内に、そういうステップを踏むことは、何かしら不誠実なことのように思えたのだ。


「どうだ、この一週間くらいで、心境に変化はあったか?」と結衣は聞く。


「どうだろう。あの日お前が言った通り、人間というのは自分の気持ちもよく分からない生き物だな。俺は確かに、お前が俺の彼女だったらいいなという気持ちはあるし、まあ、なんだ、そうなった場合、色々と、お前としたいこともある」


 俺がそう言うと、結衣は隠すように身体を両腕で覆った。


「お前、イヤらしい目で私を見るな! いや……イヤらしい目で見ること自体は……まあ、いい……のか? 女として見ているということだから……? にしても、それを公言するな!」


「そうか。さじ加減が、難しいな。俺は嘘や隠し事を、あまりするべきじゃないと思って日々を生きているんだが……」


「時と場合ってのがあるんだよ。何事にも」


「だが、お前、仮に男と女として付き合うとなったら、そういう場面もあるんじゃないか? 俺はそういう欲が結構ある方だと思うぞ?」


 俺がそう言うと、結衣はゴクリと生唾を飲み込むように喉を鳴らした。


「そうか……結構あるのか……」


「お前はどうなんだ? そういう欲は、あんまりない方なのか?」


「いや……それは、秘密だ……」


 と言うので、俺は抗議した。


「俺は女と付き合ったことがないから、確かには言えないが、大分重要な部分なんじゃないか? 性欲だけで女と付き合うつもりはないが、その辺りの不一致で離婚する夫婦も多いと聞くし」


「分かるが、そういう質問は、もう少し、何というか、場があったまってからというか……」


「そうか、難しいな。まあ、それは一旦保留にするとして、俺たちはお互いのことを、もっとよく知るべきじゃないのか? お前だって、俺のことはほとんど知らないだろう。交際をするにあたって、お前にとって耐えがたい要素が、俺の中にあるかもしれないんだぞ?」


「例えば?」


 結衣が例示を求めるので、俺はうーん、と、うなった。


「そうだな、俺は一人でいる時、身体の中から自然とリズムが湧き上がってきて、不思議な踊りを踊る時がある。もちろん、人前ではやらないが」


「そのくらいは、全然OKだ。むしろ、合わせて踊ってもいい。他には?」


「ああ、家系や、血統の問題というか、俺は婆ちゃんが亡くなってから、天涯孤独だ。あまり気にしてこなかったが、婆ちゃんも、血の繋がりがあるのか分からない。それと、爺ちゃんは、どうしようもないジジイだった」

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