根無し草シンドローム
「ズバリ申し上げましょう。貴女のお子さんは、根無し草症候群に罹っています」
頭髪の残量に乏しい老年のカウンセラーからそう告げられた時、私は自分の耳を疑いそうになった。四十年近く生きてきて、見たことも聞いたことも無いような病名だったからである。それも、ややこしいカタカナの名称ならああそんな物があるのかとまだ納得がいくのに、『根無し草症候群』などというふざけたような名称だ。『私の息子が根無し草症候群になっちゃったのよ』などと井戸端会議で打ち明けた日には、『何それ』とお笑いぐさになってもおかしくなかろう。流行りの言葉を用いるならば、マジ卍というやつである。
「ご存じないという表情ですね。ですがそれもごもっともな話です。何しろこの病気の存在が明らかになったのは、つい最近の事なのですから。一見奇妙に感じる病名もその特質からとったものでね。ちなみに命名者は九鳥大学の教授をやっておりまして、私の友人なのですよ」
「は、はあ。そうでございますか」
戸惑いは消えていなかったが、取り敢えず私は頷いた。専門の人が言っているのだからきっと正しいのだろう。
その様子を不安と勘違いしたのか、老カウンセラーはいかにも好々爺といった風の微笑みを浮かべて、穏やかにこう言った。
「ご心配なく。治療法は既に確立されています。薬やカウンセリングは用いず、古典的な手法を用いることで根無し草症候群は容易に完治出来るのです」
「――それは、一体どのようにして」
すると彼は回転椅子を回してこちらに向き直った。元から細いのだろう瞳は、たるんだ皮膚と皺によってほとんど埋没状態にあったが、その奥から向けられている視線を私は確かに感じ取った。
「鍵を握るのは貴女です。息子さんの行く末は、偏に貴女次第です」
※
我が子の話をしよう。他人に見せても恥ずかしくない、自慢の息子の話を。
息子の名前は健司という。身長は同年代男子の中でも大柄な方だが、私はその全身を目に入れても一切痛みを感じない自信がある。
先ほど自慢の息子と形容したが、正確には、自慢の息子「だった」とした方が正しいかもしれない。何事も強要せず好きなことを好きなようにさせるという我が家の放任主義の下、小学生の頃は区の読書感想文コンテストで金賞を獲得し、中学では部活で県大会にまで上り詰めるという、類い稀なる文部の才を遺憾なく発揮してきた。
だが最近、健司の生活は堕落の極みに達してしまった。毎日ふらっと家を出ては、夜遅くまで帰ってこない。最初は大学へ行っているのだとばかり思っていたが、数ヶ月前、パチンコ屋に入っていく健司を偶然にも見かけてしまった。あろうことか、息子はバイトで貯まった金を、よく分からない金属の玉遊びに費やしているらしいのだ。まさしくろくでなしの鑑。稼いだお金の使い道は当人に一任して、こちらから訊きもしなかったため、発覚が遅れてしまったのである。放任主義が裏目に出たと悟った瞬間であった。
勿論、息子への愛情が消えてしまったわけではない。ただ……それでもやはり、事あるごとに、昔と今とを比べてしまうのである。加えて、稼ぎをありったけパチンコに費やすというのは、将来的によろしくない。根無し草のような生活が出来ているのは、健司が一人暮らしをしていないからだ。悪習の芽は早々に摘んでおかねば。
と、このようなことを、以前徒然と話して聞かせたことがあった。
「うるさいな。俺が稼いだ金をどう使おうが俺の勝手だろ」
その返事がこれである。さてどうしたものかと、藁にもすがる思いで、草の根を分けて解決策を探した。その結果、私はあのカウンセラーの元に辿り着いたのだった。
世の中には、家を出てほとんど帰らないような者だっているらしいから、うちの健司はまだまともなのかもしれないが。それでも、どうにもやりきれない思いを感じて今日まで過ごしてきた。
『息子さんに、ありったけの愛情を注いでください』
家への帰り道、カウンセラーからの助言を脳内で反芻してみる。
曰く、私が甲斐甲斐しく世話をやくことが、健司の浪費癖を治める上で効果的なのだそうだ。あなたのことを大切に思っているのだと行動で示すことで、家への愛着を持たせるとかどうとか。方法ばかり気になって理由の部分があまり頭に入ってこなかったので、そこはご理解頂きたい。
冷蔵庫の中身が寂しくなっていたことを思い出したので、スーパーに寄り道をした。道草ではない。食卓を維持するのに必要な行為の一端である。
夕飯は何にしようかと考えを巡らせながら、気の向くままに店内を見て回る。
その食材に目が留まったのは、魚介類売り場に立ち寄った時のことだった。
牡蠣である。殻から取り出され身だけの状態になった牡蠣たちが、塩水と一緒に袋詰めされて売られていた。牡蠣フライは健司の好物だったと唐突に思い出す。折角だ、久しぶりに作ってみようか。『今晩はカキフライだから返っておいで』なんて、大学生の息子に言うには少し気恥ずかしさもあるけれど、たまにはこういうのも良さそうだ。
以来、私はこれまでの分を取り戻すがごとく、息子の世話をやいた。それだけでなく、毎日息子に話しかけることにした。健司が大きくなるにつれて会話は段々減っていたから、その行為は私にとって新鮮だったし、健司にとってもそうだったと思う。
現に最初、その効果は目に見えて現れた。
まず、健司が家にいる時間が増えた。会話が増えた。私からではなく、健司の方から
話しかけてくるようになった。
だがそれから暫く経つと、また別の問題が生じてきた。
息子が家から出なくなったのである。それどころか自分でやるべきことまで次第に私任せとなり、完全に腐った生活を送るようになってしまったのだ。
※
「……と、いうわけなんです」
数ヶ月後、私は事の顛末を報告すべく、あの老カウンセラーの下を訪れた。
彼の言う通りにした結果、確かに息子の浪費癖は無くなりつつある。だが果たして私には、今の息子の暮らしが健全なものだとは思えなかった。
「どうなんでしょうか、先生」
私が訊くと、彼は頭に手を当て、天井を向いて大きく唸った。頭頂部で、しわくちゃの人差し指が四拍子を刻んでいる。
どう考えても好ましい反応ではなかった。もしや私は何かを間違えてしまったのだろうか。あるいはこの老人が? 河童も川に流され、猿も木から落ちるもの。弘報とて時に筆を誤る。誤診の可能性だって捨てきれない。
ただいずれにしても、その時私に出来たのは、固唾を呑んで返答を待つことだけだった。
数秒か、あるいは数十秒の沈黙が流れる。やがて彼の口から、予想外の言葉が発せられた。
「……お母様は、挿し木という言葉をご存じですかな」
「挿し木、ですか。……すいません、ちょっとよく分からないんですが」
「挿し木というのは園芸用語の一つで、植物の枝葉から根を生やさせ、新しい個体を作る手法のことです。……これでも私は、ささやかながら園芸を趣味としていましてね。まあ今はそんなことは関係ありませんな」
はっはっは、と彼は笑った。何がそんなに面白いのだろうか。
「それで、その挿し木が息子とどう関係してくるんですか」
自分でも気付かない内に、苛立ちが声色へと滲み出ていたのかもしれない。目の前の老人は再び真剣そうな表情になった。そのまま、片手でひげを弄くりながら、言う。
「ただの比喩ですよ。ちなみにですね。挿し木のやり方は色々ですが、序盤に水を大量に与えることは共通しています。そうして根を生やさせる訳ですね。ですが苗がきちんと根付いた後は、次第に水の量を減らしていかねばなりません。最初のように湯水のごとく水をやっていたのでは、植物は上手く育たないのです」
「えっと……つまり?」
中々話が見えてこない。
「それと同じ事ですよ。貴女は加減を間違えてしまった。根無し草を根付かせることには成功しましたが、その後もそれを継続すれば、どうなるのかは一目瞭然です。お子さんは貴女の愛情に依存し、自分で何かしようと中々ならなくなります。つまり――」
老カウンセラーは顔の前でビシリと指を立ててみせた。
「ズバリ申し上げましょう。貴女のお子さんは、根腐れを起こしてしまったのです」
傍から見れば、実に草の生える展開であった。