思い出の場所
車は順調に道を走り、しばらくすると見覚えのある風景が見えてきた。
(あ、もしかして。『思い出の場所』って……)
カッチ、カッチ、カッチ。
神風はハザードランプを押して小さい公園の前で止まった。
「着きましたよ。」
「わぁ、懐かしい。あの時の公園かぁ。」
神風が向かった場所は、『ミツ君』と『ゆめきちゃん』が遊んだ、あの公園だった。
遊具も昔と変わらぬ姿のまま残っていたが、ただ一点違うことと言えば、外が暗くなり、遊ぶ子供達の姿がなかったことだ。
「身体が辛くなければ、少し散歩してみませんか?」
「そうですね。ここに来たのも久しぶりだから、ちょっと歩いてみたいです。」
夢姫と神風は車から降りて歩くことにした。
すっかり外は暗くなり、公園内にポツッとある街頭が頼りなく辺りを照らしている。
公園樹から落ちた葉を踏む度に、サクッサクッと乾いた音が辺りに響いた。
その音を楽しむかのように二人並んでしばらく歩くと、奥にひっそりと佇むベンチが見えてきた。
「あのベンチ……。」
夢姫が思わず声を漏らした。
そう、あのベンチは『ミツ君』を初めて見かけた場所だった。
「ちょうどいい。ここに座りましょう。」
神風はスッと夢姫に手を差し出してエスコートをした。夢姫が座ると、神風も隣に腰をかけた。
(思えば、ここから全てが始まったのよね。なんか感慨深いな…。)
夢姫は俯きながら懐かしむようにベンチを摩りながら独り言を呟いた。
「……こんなに小さかったっけ……。」
「僕も、そう思いました。それだけ歳月が経ってしまった証拠ですね。……そして、ここから、僕の全てが始まった。」
夢姫は自分と同じ思考を口にした神風にびっくりして顔を上げた。
すると、夢姫を見つめていた神風と目が合った。
身体付きはすっかり変わってしまったが、あの頃の面影を残した、色素の薄い綺麗な瞳が、真っ直ぐに夢姫を見つめていた。
「ゆめきちゃん、僕は君に出会って世界が変わった。あの頃の僕は、大人に対して不信感しかなく、どこか冷めた子供だった。その僕に、希望を、光を、見せてくれたのは……君だ。」
「神風さん……。」
夢姫はなんとなく分かっていた。当時の『ミツ君』の環境が、一般的な家庭とは違うことに。
「当時の僕は、全てにおいて非力だった。
親の都合で引越すことになっても退けることも出来なければ、転んだ君を助けることも出来ない、ただの子供。だから、君を迎えに行くための準備をすることにした。」
「準備?」
「そう。君がいつも僕の側で笑っていられるように。
君と約束したサッカー選手になり、財力を持ち、いざという時は君を守れる強い男になるために。
しかし、蓋を開けてみれば、僕はサッカー選手にはなれなかったし、準備にも時間がかかり過ぎた。その結果、君は他の男に取られて結婚していた。」
「私が結婚したのは三年前よ。その頃、神風さんはまだ二十二歳。大学を卒業するくらいの年頃じゃない。」
「年齢なんて関係ない。単に僕の力不足で時間がかかり過ぎただけだ。……もっと早くに君を探して、気持ちを伝えていれば……。」
実は、『ミツ君』がいなくなったあの日から、夢姫は『ミツ君』の事をずっと待っていた。
王子様のように、いつか自分を迎えに来てくれるのではないかと、心のどこかで期待していたのだ。
しかし、大人になれば、嫌でも現実を知る。
元夫と結婚を決めたのも、『ミツ君』がいない寂しさを埋めてくれる存在だったからだ。
そして、元夫の本性を見抜けなかったのも、そんな夢姫の心の弱さが原因だったのだろう。
「神風さん……。」
神風は徐にベンチから立ち上がると、夢姫の前に立った。
そして、その場で片膝を付き、夢姫の手を取った。
……そう、黒子のある方の手を。
まるで騎士の誓いのような姿に、夢姫の心臓は壊れんばかりにドキドキと早鐘を打つ。
「君が、僕の方を向いてくれていないのは分かっている。でも、それでも……。
僕は、君を諦めるつもりはない。君がどんなに僕を嫌いでも、僕はこの手を離さない。」
神風は夢姫の手の甲を恭しく掲げると、その手に口付けた。
そして、顔を上げると、燃える業火のような情熱を灯した薄茶色の双眼で、夢姫の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ゆめきちゃん、僕は君を愛している。……どうか、この愚かな男に、あなたの慈悲をいただけないだろうか。」
神風の痛過ぎるくらい熱の篭った視線と情熱的な言葉に、夢姫の顔は真っ赤に染まった。
(ダメ。この瞳で見られると、何も考えられなくなる。)
「か、神風さん……」
「『ミツ君』と、呼んで。」
「ミツ、君。」
神風は途端にトロッとした甘い瞳に変わった。
「そうだよ。そう呼んでいいのは、君だけだ。」
「ミツ君、私は……バツイチだし、五つも上よ。美人でもないし、ごくごく平凡な会社員で……。」
「そんな些細な事を気にしていたの?僕はありのままのゆめきちゃんを愛しているんだ。他の男に先を越されたのは、僕の力が及ばなかっただけ。まぁ、その男は殺したい程憎いけどね。……今すぐに結婚を考えてくれとは言わない。でも、少しでも可能性があるなら、僕と付き合って欲しい。」