【神風視点】見つけた 前編
神風視点のお話です。
「あの人は私のことなんて気にも留めてくれない……。光希、私を満たしてくれるのは、あなただけ。世界で1番愛しているわ。」
そう言って僕の髪を優しく撫でる母。
母は精神的に脆いところがあり、父が出張や残業で家に帰れない日が続くと、決まってこのセリフを口にする。
「あなた!一月も家を空けていたのに、また出掛けるの!?口を開けば、残業や出張って!本当に仕事なの!?家族と過ごす時間が全くないどころか、家にすらほとんど帰ってこないじゃない!!」
「仕方ないだろう!?今は事業を継いで間もないんだ。……朝には職場に戻るから、しばらく寝かせてくれ。」
「あなた!!」
ヒステリーな声で責める母。いつも疲れた顔をして母を冷たくあしらう父。僕が覚えている二人の様子はいつもこうだった。
……僕がもっと幼い頃は父も今より家にいて、母も穏やかだったと思う。しかし、僕が幼稚園に通い出した辺りからだろうか。父が仕事から帰ってこなくなり、母も不安定になっていった。
そんな母は、ある日を境にベビーシッターを雇い、頻繁に家を空けるようになった。最初は母も数時間で帰ってきたし、シッターがたくさん遊んでくれたから寂しくなんかなかった。
……でも、それは最初だけ。
しばらくすると母は一度出ると夜中まで帰らなくなり、母が家を出る度にいつ戻ってくるのか不安な気持ちになった。
「光希、いい子にしているのよ。」
「……お母さん、何時に帰ってくるの?」
「いい子にしていたら帰ってくるわ。それまで、シッターの言うことを聞いて、大人しくしているのよ。」
「……はい。」
綺麗に着飾った母はそう言い残し、さっさと家を出ていってしまう。
残された僕はシッターと二人きり。シッターは最初こそ熱心に僕と遊んでくれた。だが、シッターといる時間が長くなればなるほど、僕と遊ぶ時間は減っていき、身の回りの最低限な世話と小言以外は構ってくれなくなった。
幼稚園に行けば友達に会えるから楽しかったが、家に帰れば父も母もいない静かな空間。家にいてもつまらなかったし、その頃には大人に対して絶望にも似た諦めの感情しか抱かなくなっていた僕は、自然と公園で遊ぶ時間が増えた。
その時の遊び相手が母が買ってくれたボールだ。
僕はこのボールを『相棒』と名付け、友達代わりに遊んだ。『相棒』を買ってくれた当時は、母も僕とボールでよく遊んでくれた。その笑顔と楽しかった記憶を思い出しながら『相棒』と日が暮れるまで遊んだ。
そんなある日、僕の『相棒』が潰れてしまった。楽しい時も悲しい時も一緒に過ごした『相棒』。僕の中で何かが音を立てて壊れた。
僕は、泣いた。
父が仕事でいなくても、母が夜中まで帰ってこなくても、シッターが遊んでくれなくなっても、僕は泣かなかった。
しかし、この時ばかりは涙を堪えきれなかった。
溢れる感情を制御出来ず、僕は薄暗い公園で一人わんわん泣いた。
泣いて、泣いて、泣いて、涙が枯れた頃、僕は涙と鼻水を服の袖でゴシゴシ拭いて、俯いたまましばらくベンチにボーっと座っていた。
その時だった。
赤いランドセルを背負っている、すらっとした女の子が声を掛けてくれた。
一人で遊んでいても誰も声なんて掛けてくれなかったのに、いきなり声を掛けられた僕はびっくりした。
最初は無視をしようと思ったが、君は心配そうに、だけど、根気強く話しかけてくれた。
誰かに、心配してもらったのはいつだったかな……。
君はそれだけではなく、僕の『相棒』を必死に直してくれようとした。僕は嬉しかった。
そればかりか、シッターに怒られないように自分が謝りに行くと言い出した。
だから、最初はお礼のつもりで言ったんだ。「結婚してあげる」って。
でも、それは君と一緒に遊んでいるうちに変わっていった。
「結婚してあげる」ではなく、
「君と結婚したい」と。
悲しみの淵にいた僕に、すっと差し伸べてくれた温かな手。
灰色だった世界を色鮮やかなものにしてくれたあの笑顔。
……僕は君に恋をした。
大好きな君は、ある日怪我をした。
非力な僕はオロオロするばかりで君に何も出来ず、ただ助けを求めることしか出来なかった。
僕は、悔しかった。
大好きな君を守りたかったのに、何も出来ない己の非力さを嘆いた。
だから、決心した。
君を守れるくらい強い男になると。
……このまま君とずっと一緒にいられると思っていたが、無情なことに楽しい時間は終わりを告げる。母の不倫がばれ、父と母が離婚したのだ。僕は父に付き添われて、早々に引越すことが決まった。
「大切な人がいるからここを離れたくない。僕はこの家に残ります。」
僕は引越しに対して父に抗議した。今まで大した発言もせず、ただ親の意見を黙って聞いていただけの僕が意見をした事に、父は驚いていた。……父は『大切な人』が幼稚園の友達であると解釈したのだろう。
「引越しは決定事項だ。どの道、幼稚園にいられるのも僅かだ。すぐに小学校に進級することになるから、そこでまた新しい友達を作りなさい」と僕を嗜めた。
僕は抗議を繰り返したが、所詮は子供の戯言だ。
当然父の意見を覆す事は出来ず、あっという間に引越し前日になってしまった。
だから君に「迎えに行くから待っていて欲しい」と約束した。
僕は再び灰色の世界に戻されることになったが、今までの僕とは違う。色褪せた世界の中でも、一筋の光があった。
サッカー選手になる。
父の会社を継いでお金を稼ぐ。
……君を守れる強さを手に入れて、再び君を迎えに行く。
僕は寝る間も惜しんで、サッカーの練習と勉強をした。
大人の都合で子供を振り回すことになった事に、恐らく父はどこか罪悪感があったのだろう。僕が名門のジュニアクラブチームに入りたいと言えばどんな手段を使っても入れてくれたし、会社を継ぎたいと言えば大学教授レベルの人材を家庭教師として雇って経営学や経済学を学ばせてくれた。……要は財力と権力を子供に惜しみなく提供してくれたのだ。
そんな恵まれた環境と自身の努力も相まり、僕は小学校の時から常にテストでは100点だったし、サッカーをやっていたからスポーツ全般得意だった。
容姿も母譲りの整った顔をしていたため、しばらくすると女が群がる様になった。
名前すら知らない様な女から「好きです」「付き合ってください」と言われたり、陰からジロジロ見られたり、とにかく付き纏われ迷惑だった。
そんなある日「童貞は嫌われる」と男友達の一人が教えてくれた。
女にも恋愛ごっこにも興味は無かったが、あの娘に会った時に嫌われる要素をひとつでもなくしたかった僕は、笑顔があの娘に似た他校の取り巻きの一人と付き合うことにした。
僕も年頃の男だ。性欲が満たされるのは嬉しい。
……でも、ただ、それだけだった。
その女は付き合ってしばらくしたら、僕の時間を奪うかの様に電話やメールを強要してきた。僕はそれらに一切応じず会話以外は全て無視した。
「何でメールや電話をくれないの?本当に好きなの?……私のこと、ちょっとは気にかけてよ!」
その女は次第にヒステリーを起こす様になり、僕は母の姿を見ている様で吐き気がした。
それからすぐに女とは別れたが、それだけでは終わらなかった。
女からしつこく付き纏われるようになった。
……いわゆる、ストーカーというやつだ。
最初は校門前に待ち伏せられていたくらいだったから大して気にしていなかった。しかし、空気のように接する僕の態度が気に入らなかったのだろう。次第に血の付いた手紙がポストに入っていたり、髪の毛や大量の下着が送られてきたりと嫌がらせがエスカレートして行った。
エスカレートしていく嫌がらせだったが、しばらくすると、嫌がらせも待ち伏せもぱったりなくなったため、僕は油断していた。
そして、中三になってしばらく経ったあの日、事件は起きた。
いつものように部活が終わった僕は、中学の部活とは別に所属していた名門サッカーチームの練習に向かおうと急いでいた。
……校門に人影がある。
そのシルエットに既視感を覚えた僕は、背筋が凍るような気がして冷や汗が出た。
僕に気付いた女は、まるでチシャネコのようにニタァと笑った。
女の瞳は光を失い仄暗く、殺人鬼のそれのように見え、僕は戦慄を覚えた。
「光希君、こんにちは。」
僕は黙ったまま校庭へ戻ろうと一歩、また一歩と後すざる。
「ふふっ、久しぶりだね。私に会えて嬉しい?それとも照れてるの?」
……ジャリ……ジャリ……
近付いてくる足音。
女の手には光る物。
「……なんかね、光希君と私の間を切り裂く邪魔者がいるの。私、その邪魔者から光希君が助け出してくれるの、ずぅっと待ってたんだよぉぉお?それなのに、光希君は来てくれなくて。
……私は光希君のもの。光希君は私のもの。
私とひとつになった時、そう約束したよねぇぇ!?」
女は僕に向かって刃物を振り翳しながら駆け出した。
僕は見を翻し、サッカーで鍛えあげられた脚力を全力で駆使し、まだ残っていた教師や生徒の元に向かって走り出した。
「待ちなさいよー!!!」
絶叫しながら僕を追いかけてくる女の異様な姿に気付いた周囲がすぐに反応した。
が、周囲より早く駆け寄って来てくれた者がいた。
当時から一番仲の良かった親友だ。
彼は咄嗟に女の背後に回り込み、タックルを決めた。
衝撃で女の手から刃物が落ちると、そのまま女を押さえつけた。
女は何かを叫びながらジタバタ暴れたが、駆け付けた周囲の人達よって取り押さえられた。
その後、やってきた警察により彼女は保護され、僕は事なきを得た。
それが更なるトラウマになった僕は、女とは無縁のサッカー強豪校の男子校に入学した。
どんなに辛い練習にも耐え、勉強もしっかりこなした。
その成果が実り、高校サッカー選手権に一年からスタメンに選ばれ、将来の選手として周りからも期待されるようになった。
しかし、そんな高ニの練習試合中に僕は大怪我をした。
左脚の靭帯断裂。
……選手生命が絶たれた瞬間だった。
それからの僕は荒れた。
病院から退院しても、僕は学校に行かなかった。
ストイックな生活から一変、僕は堕落した生活に身を落とした。
あてもなく繁華街を徘徊し、暇つぶしに使えそうな股の緩い女を捕まえては一晩の遊び相手にした。
当然成績は落ちた。
ある日、繁華街でしゃがみ込んでいた僕を見付けた親友は、僕の胸倉を掴み思いっきり殴った。
「お前、ちょっと目ぇ覚ませよ。
例え選手になれなかったとしても、お前はお前だろ!?ヤケになる気持ちは分かるけど、今のお前はカッコわりぃよ!……俺やだよ、お前が落ちぶれていくのなんて見たくねぇよ!!
お前は……お前はっ!ずっと、俺の憧れだったのに……!」
親友は、泣いていた。
「お前が辛いならいつだってそばにいてやる!!だから、まずは学校に行け!親父さんの後を継ぐって言ってたろ!?なら、お前が今やらなきゃいけないことはたくさんあるはずだ!チームのメンバーもクラスの野郎どもも、みんなお前のこと待ってるんだぜ!?」
親友は僕の胸倉を掴みながらひとしきり泣いた後、僕が家に帰るまでそばにいてくれた。
そして翌日、繁華街に繰り出そうと家を出た僕に、家の前で待ち伏せていた親友が声を掛けてきた。
「お前が学校行くようになるまで、俺はお前のそばを離れねぇからな。」
次の日も、次の日も、親友は家の前で待ち伏せて、出てきた僕の後にくっついてきた。
それが一月続き、ついに僕は親友に根負けした。
学校に再び通うようになり、僕の意識は変わり出した。
……例えサッカー選手になれなくても、まずは稼げる男になろう。そうしたら、あの子が振り向いてくれるきっかけになるかも知れない。
その気持ちを糧に再び勉強に励んだ僕は某名門大学の経営学部に入学した。
在学中は女に目もくれず、勉学と父の事業の手伝いに明け暮れた。
そんな時、親友が親戚のジュニアサッカーチームのコーチを手伝っていると聞いた。
「もし、お前が嫌じゃなければ俺と一緒にコーチをやってみないか?……俺が言うのも何だが、全盛期のお前は神がかった天才だと思ったし、お前のプレーは俺の憧れそのものだった。その天才がこのまま埋もれてしまうのが……俺は悔しい。
お前のその技術、未来のサッカー選手達のために使って欲しいんだ。」
僕はしばらく悩んだが、特に断る理由がなかったため引き受けることにした。
ジュニアサッカーチームの代表は、僕と同じで怪我で引退を余儀なくされた、僕もよく知る人物だった。
僕が大学卒業間近のある日、代表はフットサルの社会人サークルを立ち上げた。
そのメンバーに親友と僕も参加することになった。