これからいっぱい、いっぱい、幸せを取り戻さなきゃね
「俺さ、虐待家庭で育ったんだ。虐待、分かる?」
「……うん」
言葉としては知っているわ、みたいな感じでマゴリアが息を呑んだ。
そこまでの想像は、していなかったのだろう。
「詳しくは省略するよ、キツい話だから。簡単に言うと、母親が母親らしいこと、なんもしてくれなくてさ」
俺がマゴリアに母親がくれるみたいな無私の愛情を求めた理由がそこにあった。
「……オスオミも苦労したのね……」
両親が必死でアカデミーのための入学資金を工面してくれるみたいな家庭からすると、共感は出来ないだろうが理解はしたい、という感じの表情だ。
「無理に想像しなくていいよ。まあ、そんなだから見ての通り、現実逃避の癖がついちゃってさ」
「それが……『妄想』こそが、オスオミにとっての『生きる手段』だったのね」
マゴリアは深く納得したように言う。
「うん」
俺も肯定する。
まぁ、一応『食わせて』はもらっていたから、生きる手段というより、処世術というか。
俺に暴力を振るってくる、ろくでもない母親。
家にはごく稀にしか帰ってこない上に母親に金を要求する父親。
そんな連中に育てられなかった俺は、妄想の中に逃げ込む事しか出来なかった。
やがて児童相談所に連絡が行って俺が両親から引き離され、施設で育つまで、そうそう時間はかからなかった。
「成人して……独り暮らしのための資金を役所から補助してもらって……バイトで食い繋いで……でも、こんな性格だしさ、すぐ妄想に逃げ込む癖が災いして……あ、ごめん。だからつまんないって言ったろ?」
俺は嫌な思い出を反芻したくなくて異世界に来てからはずっと黙っていたのだが、マゴリアが真剣に悲しみを湛えたような表情になり始めたので、過去話を打ち切った。
「……アンタが過剰なくらい卑屈だった理由が、ようやく見えた気がするわ」
マゴリアは俺の育ちに同情してくれているが、きっとマゴリアには分からないと思う。
他人のことを理解なんて、絶対に出来ないのだから。
―――それに、分かって欲しくもない。
日本で言うところの苦学生で、社会人になってからも苦労はしたというマゴリアだが、両親がとても善良そうで、マゴリアも両親を好きでいる。
そんな『普通に』幸せな家庭で育ったマゴリアに、俺の苦しみの断片みたいなものでさえ、実感を持って知って欲しくないのだ。
不幸の連鎖を起こしたくない。
俺はそう思って、ずっと黙っていた。
今も、この気持ちだけはマゴリアに開示したくなくて黙りこくっている。
暫く、重苦しい沈黙が続いた。
そして、やおらマゴリアが何かを決意したかのような表情になり……
「……じゃあ、これからいっぱい、いっぱい、幸せを取り戻さなきゃね」
マゴリアはそう言って俺の手を取り、立ち上がるように促す。
「……マゴリア?」
「ほら、マリルと一緒に遊びに行きましょ」
マリルは波と戯れている。
マゴリアは俺の手を引いて、砂浜を走る。
「あ、パパ、ママも!えーい!」
バシャーッと水をかけてくるマリル。
マゴリアと俺は不意打ちを食らい、顔面に海水を喰らってしまった。
「……やったわね、お返し!」
マゴリアは年甲斐もなくマリルに反撃している。
俺は半ば呆れて見ていたが、その光景に何だか心が洗われる気持ちになった。
「ほら、パパも見てないで!私の味方になるか、ママの味方になるか、選んで!」
「ちょっと、ズルいわよ!普通こういう場合は三つ巴でしょう!」
マリルがなんだかシェリルさんの言う『修羅場を演じる女』みてーなことを言っているので苦笑してしまった。
「……じゃ、俺はママの意見に賛成。三つ巴の対決だ。それっ!」
「きゃー!きゃー!」
「オスオミ、あたしも容赦しないからね!」
そうして俺たちは残暑に照りつける海での、無邪気で楽しいひと時を過ごすのだった。
◇
「あははは、楽しかったねパパ、ママ!」
「あー、疲れた。服びしょびしょ」
「だから水着持ってくりゃ良かったのに」
なんか逆にエッチな感じになってんぞ、とは言わない。
視線もなるべく避ける。
夕方になり、そろそろ帰ろうという頃合いになって、マゴリアは言った。
「手、繋ぎましょ」
ドキリとする。
間に、マリルを挟んで、という意味らしいが。
「おおー、凄く家族っぽい!」
マリルはそんな風に言って喜ぶ。
右手を俺、左手をマゴリアに繋ぎ、俺達は本物の家族のように、砂浜を歩く。
そしてマゴリアは呟く。
「……オスオミ。アンタの過去はもう、無かったことには出来ないと思うけど……これからは、精一杯、家族らしいことしましょう。未来に向けて、あたし達は生きていくんだから」
「……うん」
俺は、その言葉に少し涙ぐむ。
「なになに?何の話?」
マリルはさっきの話を聞いていなかったので、疑問に思ったようだ。
「大した話じゃないよ。俺、家族っぽいことをもっとしたいってだけ」
「そうなんだ!でも、これまでもいっぱいしてきたよね」
マリルの言葉に俺は、本当にそうだな、と思った。
この4ヶ月間の、宝物のように輝いていた日々は、俺の人生の26年間よりも、ずうっと価値があるものだったと思う。
これからも、続けていきたいな。
マリルはこれから6年間、アカデミーの寮生活になるけれど。
でも、会いに行けないわけじゃあない。マゴリアの両親と違って、俺達は遠く離れた村じゃなく、同じ街に住んでいるのだから。
それだってひとつの家族のカタチだろう。
「オスオミ、あたしの両親に会ってくれる?アンタをちゃんと紹介したいわ」
「……定番イベントだな。『娘さんを俺に下さい、お義父さん!』つって、お義父さんから『君にお義父さんと呼ばれる筋合いはない!』みたいな」
俺が冗談めかして言うと、マゴリアは笑った。
「あはは、ウチの父親そんな厳格な人じゃないわ。穏やかで、優しい人よ。実直さだけが取り柄みたいな、ね」
なんか、俺と似てるのかもな。断片だけ聞いたイメージでマゴリアの父親を想像して、そんな風に思った。
「じゃあ、ヘイネル村に挨拶に行くの?私がアカデミー入学する前のほうが良い?」
「いや、婚前交渉で子供が居るみたいな誤解は与えたくないから、マリルは控えて……」
俺は苦笑してそこは自重するように言った。マゴリアは大笑いした。
「婚前交渉って。アンタ、そういう事できないでしょう?まだ式も挙げてないのに」
あっ、こいつバラしやがった。
そうなのです、はい。
シェリルさんには黙っておいたが、俺たちまだ清い身体なのだ。
つーかマリルの前で赤裸々なことを言いすぎだな……教育に悪い。
「私がアカデミーに入学したら二人きりの時間が増えるから、存分にイチャついてください、パパ、ママ。私は弟でも妹でも、どっちでも良いよ」
ほら、こんな事を言い出す。
マリルのマセた発言に俺とマゴリアはぷしゅーと音が聞こえるくらい赤面し、お互い顔を逸らす事しかできないのだった。
妄想★マテリアライゼーション、47話です。
海回その2、雄臣君の家庭の事情……。
書いててかなりキツかった。
西尾維新さんの物語シリーズ読んでるとこのテの話ばっか浮かびますなあ……。
そして未来に向けて幸せを取り返していこう、と決意するマゴリア。
次回、第二部完結です!




