アフターメテオ88:宇宙コロニーの婿盗り
宇宙生活における結婚と子作り、子育てには地球とはまた違った難しさが想定できます。
宇宙へ行くのに高いコストがかかる場合は、地球でもできる子作りや子育ては経済的に好ましくないでしょう。
広い宇宙に少数の人間が散らばっている場合は、肉体的な接触が不可能なことも考えられます。
では、隕石によって地球が滅びてしまったあとの、人口のほとんどが女になった宇宙では──?
それが、この物語です。
AM88年。
人類は、まだ生き残っていた。
「この靴ぶかぶか」
「ボロ布つめとけ」
「でも、本当に十字棺桶使っていいの? いくら骨董品でも、今となっちゃ遺失技術だぞ」
「いいんだよ。どうせ重力識があるユイにしか使えないんだ。それに相手はアジア・コロニーの裏組織だ。信用できない。身を守る技術は必要だ」
「コロニー評議会の婆ちゃんたち、知ってんのか」
「保安隊から報告はだした。手違いで遅れて届くだけだ」
突貫工事で作った12基の宇宙コロニーのうち、3基は欠陥があって居住すらされず、4基は破棄され、5基の宇宙コロニーだけが、かろうじて今も居住可能だ。
AM1年には7万人いた人口は減りに減って1万人に。2年前のアメリカ・コロニーの空気漏れ事故で、それすら割り込んで8千人に。
最後に地球で生まれた最長老も今年ついに亡くなり、全員が宇宙生まれの宇宙育ち。
これはもう、生き残ってるというよりは、死に損なっているといえるかもしれない。
死に損なっているからこそ、やたら暴れるのだ。
無重力生簀からうっかり飛び出して、真空で凍りつく魚のように。
「よーっし。これで完成」
「動きにくい」
「往復十二時間。外に出ずに十字棺桶の中にいるんだから問題ない」
「死ぬ」
「死んでもいいけどさ。わかってるよな」
眠たい目をしたまま、仏頂面のユイに、タツミが顔を近づけて獰猛な笑みを浮かべる。
「頼んだぜ、ユイ。ぜ~~ったいに、男、連れて帰れよ」
「わかってる」
「オレたちみたく遺伝子がXYなだけで、肉体は女になっちまってるのはダメだかなんな」
「わかってるって」
「オセアニア・コロニーに必要なのは、子宮じゃねえ。精巣だ」
「わかってるってば」
「ま、男がいるってのはウソだと思う。凍結精子が手に入れば、万々歳だ」
「ん」
「でも、できれば若い男を。ジツブツのオトコを見たい」
「んん」
めんどくさくなったのであとは「ん」(諾)「んん」(否)だけですませた。
ユイが乗り込んだ十字棺桶がオセアニア・コロニーから射出される。
ユイのいつも眠そうな目が見開かれる。
「おお」
人類は滅びかけているが、宇宙は綺麗だ。
特に綺麗なのが、オレンジ色をした地球だ。木星より太陽に近い分、色が鮮やかだ。
AM88年。隕石の雨が降って一世紀が近づいているが、地球は今も塵帯に包まれてある。
雲が輝いてる分、その下は常闇の大地。岩石蒸気に包まれ、海も山もカラカラに干上がった地球に、人類の生き残りは──たぶん、いない。最初の10年くらいは地下シェルター都市のいくつかと連絡が取れていたが今はすっかり音信不通だ。
「宇宙は美しい。でも、残酷」
100億の人類が、あっという間に7万に減った。そして今は8千人。
太陽系外縁から地球に打ち込まれた11個の隕石によって、人類は滅びようとしている。
TS-Xウィルスも一役買ってるが、こっちは隕石の余波みたいなものだ。
《おーい、ユイ。聞こえる?》
「タツミか。聞こえる」
《ヒミコに見えてる時間範囲だと、アジア・コロニーまでデブリにぶつからない》
「わーい……でもそれって、わたしがデブリにぶつからないよう、重力識を使って避けまくるから無事ってことか」
《しゃあないだろ。ヒミコにわかるのは結果だけで、途中経過はわかんないから》
「呪ー!」
《祝ー!》
「……しゃあない。頑張る」
《頑張れ。ユイの努力が報われることだけは保証されてるんだから》
「まーねー」
ユイはため息をついた。
人類100億人の努力が報われなかった結果が、ユイが見ているオレンジ色の地球だ。
人類は頑張った。太陽系外縁から飛来する11個の隕石のうち、最初の3個までは木星~火星までの間に軌道をそらした。
次の4個はギリギリだった。なんとか地球到着前に砕いたり、速度と軌道を調整して月にぶつけた。
間に合わないことがわかってたその後の2個は、砕いた隕石を使ってコース上に“置き石”を作り、地球への直接衝突を防いだ。破片やら、弾かれた“置き石”のいくつかが地球に落ちてきて4億人が死んだが、想定された被害だった。
それでも最後の2個は、どうしようもなかった。
迎撃を諦めた人類は、宇宙へ脱出する道を選んだ。
地球周辺には、幸いにも隕石のかけらや月にできたクレーターからまきあがった土砂が大量に浮かんでいたから、それらを資材に宇宙コロニーを建設した。
「うおー。つーかーれーたー」
オセアニア・コロニーから7時間あまり。
途中でデブリ溜まりに何度も遭遇し、精根尽き果てての到着だ。
予定より3時間オーバーである。
「デブリめちゃ浮かんでた……重力識のあるわたしでなかったら、3回は死んでた」
ユイは無線機のスイッチを入れた。アジア・コロニーの取引先とは指定の周波数でつながるはずだ。
ザリザリという自然雑音だけが、虚しく響く。
「むーん……やはり警戒されるか。闇取引だものな」
アジア・コロニーは長径5kmのレモン形。隕石の破片を利用した宇宙コロニーだ。
表面が銀色でキラキラした反射剤で保護されているのは、レモンの半ば以上を氷が占めているため。宇宙コロニーにとって豊富な水資源は財産だ。
だが、今のアジア・コロニーにはそれ以上に貴重なものがある。公式には否定された、噂だけの存在だが。
「男……いるのかね。本当に」
地球を脱出するにあたり、人類は宇宙コロニーにおける人口問題を真剣に考えた。
減るのは論外だが、むやみに増えるのもよくない。
宇宙コロニーは、空間も酸素も水も、使用できる量が厳密に決まっている。
100人分の容積しかないところで、200人が暮らすことはできない。気分がノったので今年は子供を10人増やし、そのあとは10年くらい出産しない、みたいな展開もまずい。
よって、妊娠と出産は宇宙コロニーの完全な管理下に置かれることになった。
宇宙コロニーでの妊娠・出産管理はメテオ危機の前からルールがあり、宇宙生活者の合意もとれていた。それだけなら、問題はなかったはずだ。
問題となったのは、地球に残される人々が宇宙コロニーに託した凍結受精卵の扱いだ。
地球に残る100億人に、隕石が落ちて死ぬまでの間、(あんまり)諦観せず、(そんなに)暴動も起こさないで頑張ってもらうため、みんなの遺伝子の詰まった受精卵は宇宙コロニーで誕生するよ、ということにしたのだ。
地球から送られた受精卵を宿して宇宙で子を生むなら、女性だけでいい。だから宇宙コロニーは女性中心の社会にする、という約束みたいなものも地球と宇宙とであった。
無理だろう、とは当時から誰もが思っていた。そんな約束が守られるはずがない。
だが、無理を承知だった連中と、無理を押し通そうとした連中とが、相手に黙って駆け引きと仕込みを重ねた結果、地球からの凍結受精卵は保管施設ごと爆破され、宇宙コロニーでTS-Xウィルスが蔓延して人口のほとんどが女になってしまう現状へとつながる。
ユイが仲間と企んで宇宙コロニー間の取り決めを破って許可を得ずにアジア・コロニーに来たのも、現状の打破を求めてだ。
「これは自力で帰る方法を考えないとダメかな」
面倒だなー、とユイが思っていると無線機から流れる自然雑音の奥から声が聞こえた。
《たすけて! たすけてください!》
ユイはレーダーに電力をつないだ。
電磁波が空間をスイープする。
いた。ドップラー、青。近づいている。大きさから、脱出用カプセルと比定。
その奥に反応がもうひとつ。大きさから、汎用貨物船と比定。
「おい。前からくるのと後ろからくるの。合言葉を言え。“ハヌマーン”」
《え? 合言葉? ボクは何も……》
うろたえ声の弱い電波にかぶさるように、強い電波。
後方の汎用貨物船からだ。
《“孫悟空”》
「よし、正解。あんたが取引先だな」
《では、手出しを──》
「する」
《なに?》
ユイはふん、と鼻をならした。
「わたしがここにいるのわかってて、電波出さずに隠れてたろうが」
《誤解だ。騒動があった。ここにきたのもつい今しがたで──》
「ウソつけ。ずっとソコに潜んでたろうが。こっちは重力識で“見えて”たんだよ」
《TS異能──やはり!》
「おう。こちらはオセアニア・コロニー予備保安隊だ。管轄外だが、ちょーっと出張らせてもらったぞ」
《ちっ》
汎用貨物船からの電波が途切れた。
最初から赤外線は消したまま。そのへんでもう、怪しい。
「ま、こっちも合言葉とかはガサ入れで手に入れたんだけどね……おい、逃げてきたの。助けてやる」
《ありがとう!》
「人数と体重を言え」
《ボクと弟のふたり! 体重はボクが50kgで、弟が……えーと、10kgくらい》
「それならなんとかなるな。よし」
ユイの十字棺桶が脱出用カプセルとドッキングした。
ハッチが開く。
「ありがとうございます!」
可愛らしい男の子と。
「ブヒー」
可愛らしい豚が無重力を漂って入ってきた。
「……弟?」
「はい! ボクの弟です」
「ブヒー」
「細かいことは後でイイか。大事なことだけ確認するぞ」
「はい」
「ちんちん、あるな?」
「ええっ?!」
男の子がシャツのすそを引っ張り、股間を隠すようにして赤面する。
同時に。
pipipipi── pipipipi── pipipipi──
十字棺桶の中で警報が鳴りはじめた。
「な、なんです?」
「攻撃ドローンが近づいてる」
「まずいじゃないですか」
「なんとかなる。それより、ちんちん」
「うう……はい……あります……」
男の子がべそをかきながら答える。
ういういしい仕草に、ユイは何かありがたいものを見た気分になり、手を合わせた。
「ありがたや、ありがたや」
「ありがたくないです! なんですかもう!」
「わたしも3才くらいまではちんちんついてた。TS-Xウィルスが発動して消えちゃったけど、なんかすごく懐かしくて……涙でてきた」
「泣きたいのはこっちです! それより逃げましょう!」
「逃げる? 必要ない」
ユイがオセアニア・コロニーの倉庫から持ち出した十字棺桶はただの作業船ではない。
隕石迎撃のために人類が総力を結集して作り上げた、知恵と意地の結晶だ。
「オシツオサレツ(Pushmi-pullyu)起動──あ、床に落ちるから気をつけて」
「え? わあっ!」「プギィ!」
軌道速度で地球の重力を相殺して浮遊していた男の子と豚が、すとん、と床に落下した。
十字棺桶が加速したのかと窓の外に目を向けるが何も変化はない。
いや──変化はあった。
十字棺桶に接近していた攻撃ドローンが弾かれ、くるくると遠ざかっていく。
その後も、攻撃ドローンは近づこうとしては弾かれ、を繰り返す。
まるで見えない棒で突っつかれているかのように。
「見たか。太陽系外縁からやってくる隕石を押し返すために作られた牽引=斥力ビームだ。試作品なんで押し返した分、こっちに反動がくるけど」
「大丈夫なんですか、それ」
「相殺のコツさえつかめば大丈夫。お、大物がきた」
攻撃ドローンではらちがあかぬとみた汎用貨物船が近づいてきた。
ユイが汎用貨物船に牽引=斥力ビームを向けるが、質量差があるので、今度は弾かれるのは汎用貨物船ではなく、十字棺桶である。
「ダメじゃないですか!」
「コツがあるんだよ。向きよし。距離よし──今!」
ユイは、もう一本の牽引=斥力ビームを十字棺桶の反対側から放射した。
ビームの先にあるのは、アジア・コロニー。巨大なレモン型の氷の塊だ。
ギシィ。
超大質量からの反動がきて、十字棺桶が軋む。
即座にユイは、汎用貨物船へのビームの出力を上げた。
汎用貨物船の動きが止まる。押し返されていく。
二本の牽引=斥力ビームの出力が上がるにつれ、十字棺桶の中を目に見えない力が駆け回り、男の子と豚を振り回す。
「うわああっ」
「ぷぎーっ!」
「まずい! こっちに!」
ユイは、豚を抱えて浮き上がった男の子を掴んで引き寄せる。
「この座席の位置、力場の中心だから。反動があっても、ここなら大丈夫」
「はい!」
「ベルトとかないから、わたしに抱きついて」
「はいっ!」
「素直でよろしい。でも、せっかく男の子と抱き合ってるのに、ごつい与圧服ごしなのは冴えないなぁ」
「プギィプギィプギィ」
「こいつはやけに抵抗するし。わたしが嫌いなのか」
「そうではなくて……服が臭いからだと思います。弟はきれい好きなんで」
「わたしのせいじゃない。この与圧服はAM前からの備品ですごく古い──で」
ユイは、汎用貨物船に通信をつなげた。
「わかってると思うけど、抵抗は無駄だ。こっちはいつでもそっちを潰せる」
《……そのようだな》
男の子が息をのんでユイを見つめる。
ふるふると無言のまま首を左右に振ってるさまは、すごく可愛い。
可愛いだけでなく、頭のいい子だ。ユイはそう思う。
声を出さないのは、ユイの邪魔をしないため。
首を振ってるのは、汎用貨物船に危害をくわえてほしくないことの意思表示。汎用貨物船の中に、まだ仲間がいるのだろう。
《取引をしよう。そっちが回収した少年と豚は──》
「無用」
《男が欲しいのだろう? オセアニア・コロニーには10年以上、生殖可能な男がいない》
「黙れ」
牽引=斥力ビームをねじる。
無線の向こうから汎用貨物船の竜骨が軋む音が聞こえてきた。
《……!》
「駆け引きも、質問も、抵抗とみなす。推進剤タンクを切り離せ。10秒以内だ」
《わかった》
汎用貨物船の竜骨にくくりつけられた推進剤タンクが、ガスの尾をひいて分離する。
ユイは相手の質量が減った分、ビームの出力を下げる。
「これからそっちを急加速させる。体と器材を固定しろ」
《待て、話を──》
「聞かない」
汎用貨物船とアジア・コロニーの双方に向けたビームの出力を同時にぐい、と上げる。
アジア・コロニーに変化はない。押しはしたが、超大質量が吸収してベクトル変化は誤差の範囲だ。
汎用貨物船の方はそうはいかない。推進剤タンクも失った分、すっ飛んでいく。
《うああっ!》
「安心しろ。そっちにデブリはない」
《覚えてろよっ! そいつは豚に戻るっ! そうなって泣きついても──》
電波が減衰していき、声がノイズの中に消える。
ユイは男の子を見た、男の子が、怯えた顔でびく、と震える。
「豚、ね」
「あ……」
「察するところ、遺伝子あれこれいじって形態変化したパターンか。TS-Xウィルスの発動を、そうやって回避したんだな」
「はい」
「そっちの豚も、弟ってのは本当なんだ」
「はい」
「どっち?」
「え?」
「豚をいじって人にしてあるのか。人をいじって豚にしたのか」
「……人、です」
「なら問題なし。オセアニア・コロニーがきみと弟を保護しよう」
「……でも」
弟を守るように抱きしめ、男の子はユイを見た。
「なんかあるの」
「あいつら、ボクたちにいつも薬を飲ませてました。これを飲んでないと、お前はまた豚になるって。脳みそも小さくなって、人間のように考えることができなくなって、ただブーブー鳴く豚になるって」
ユイはうなずいた。
闇商売としては理にかなっている。
買い手は、貴重な男が豚に戻らないようにするため、アジア・コロニーから薬を買い続ける必要があるからだ。
「ボクは……ボクは、豚になってもかまわないです。あそこに戻る気はありません。でも、オセアニア・コロニーが欲しいのは、豚になったボクじゃないはずです」
「そりゃまあ、ね」
「そのことは、言っておかないとと思って」
「ん。いいよ。聞いた」
無重力状態に戻った十字棺桶の中で、男の子の体がユイからゆっくりと離れていく。
不思議そうな顔で、男の子はユイを見る。
「あなたは……」
「ユイ」
「ユイさんは、ボクが気持ち悪くないんですか?」
「別に」
「小さいころのボクは、弟と同じで豚だったんですよ」
「それを言うなら、わたしは3才まで男だったぞ。TS-Xウィルスで女になっちゃったけど。わたしの母も元は男で、月で発掘された凍結保存精子でわたしを生んだ。隕石落下前の地球だったら、わたしの体や生まれを気持ち悪がる人は、多かったと思う」
ユイは、ふん、と鼻をならした。
「オセアニア・コロニーの仲間にも、過去の基準に従って未来に絶望したり、自信をなくしてるのは大勢いる。どうせ人類は滅びるし、生きててもしょうがないって、諦めてる。わたしはそういうのはイヤだ」
ユイの声は静かなままだが、強い感情がこもっていた。
「こんな時代に、こんな宇宙に、こんな体で、生きていてかわいそうだなんて、わたしは言われたくないし、思わない。過去も未来も知ったことか。
わたしは。
アフターメテオの、このクソったれの時代に。
デブリだらけでコロニーも壊れかけの、このクソったれの宇宙で。
男の遺伝子を持つ女っていう、このクソったれの体で。
死ぬまで生きてやるし、幸せになることを諦めたりしない」
ユイは、男の子に手を伸ばす。
「わたしは、諦めるのはイヤだ。きみはどうだ?」
「ボクは……ボクも、イヤです」
男の子も手を伸ばす。
諦めるのがイヤだから、弟と一緒に逃げ出したのだ。
「ならばわたしときみは同志だ。きみの名前は?」
「あ……その……あまりいい名前はつけられてなくて……」
「ああ」
豚にちなんだ、蔑称だろう、と想像がついた。
「では、暫定的にだけど、ルルでどうだろう」
「ルル……うん。いいです。ボクはルルです」
「よろしく、ルル」
「よろしく、ユイ」
ふたりの手が交差する。
互いの手首を握り合う。
十字棺桶は、オレンジ色の地球に照らされ、デブリの中を飛んでいく。