鋼のあの子に扇風機を
科学の時代は、何もかもをAIが人の代わりにこなしてくれていた。
コンビニのレジは無人だった。
戦争だって無人で行われていた。
そして、悪魔祓いも無人。
聖女機だなんて名前を付けられた量産人形が、効率良く作業的に悪魔を蹂躙していく時代があった。
元々は世界遺産だなんだと言われていたとある廃教会。
今では見る影も無く見すぼらしい。
そんな廃協会に現れた鋼のシスターもまた、その聖女機の一機。
メンテナンス不足を訴える軋みを鳴らしながら、鋼の聖女は半壊した大聖堂を進む。
「随分と、レトロな玩具が出てきたな」
嘲笑するような声が響く。
声色は落ち着きある渋い男性のものだのに、滲むニュアンスは下卑たもの。
大聖堂の最奥。
もしもここがまともに機能する教会であったなら、神父だか牧師だかが有り難い説教をするために登壇する舞台の上。
首から禍々しい黒蛇の十字架を下げた黒衣の男が、鼻をほじりながらニヤニヤしていた。
「……排除対象、補足」
「おや、この時勢に及んでも未だ御仕事に夢中か。まるでイカれた社畜だ」
男の軽口に取り合う事なく、鋼の聖女はその両目から聖なるビームを射出。
しかし、メンテ不足が響いてか。
片方のビームは途中で霧散し、もう片方のビームはのたうち回るミミズのような支離滅裂な軌道を描いて天井を破壊した。
「……大道芸か?」
「……今のは、威嚇射撃」
「クカカカ。悪魔を相手に威嚇? 優しい玩具もいたものだ」
黒衣の男は手を打って笑う。
至極バカにした態度に、鋼の聖女は少しムッとした。
彼女に搭載されているAIは、今でこそ朽ちかけてボロクソだが、元は最高品質。
生みの親である人間たちから、感情パターンは学習済みなのだ。
だが、あくまでも機械は機械。
感情に流されるような事は無く、平静に次の手を打つ。
鋼の聖女は続けて、手首部分に仕込んだ聖なる波刃剣を出そうとした。
……しかし。
ガギッ、と不快な音を立てて、切先をちょぴっとだけ露出させた所で止まってしまった。
「……………………」
フランベルジュ。
うねった刃が複雑な形状の傷を付け、殺傷よりも苦しめる事を目的とする。
本来は、そんな悪趣味武器の代表格めいた禍々しい代物なのだが……。
「クカカカ! なんだそれは!? ソフトクリームの先っちょか!? 可愛らしいフランベルジュもあったものだなおい!」
黒衣の男、もはや抱腹絶倒。
男が転げ回るのに合わせて埃が激しく舞う。
「あー……もう、こんな古臭い玩具でここまで笑う日が来るとは……」
埃で黒衣が半ば灰衣と化した男が涙目をこすりながら立ち上がる。
「で、立ちすくんでどうした? もうタネ切れか?」
「…………………………」
無言の鋼の聖女から、きゅるきゅるきゅると言う妙な回転音が響いている。
加えて、表皮からは若干の湯気が立ち込めていた。
「まさか……おいおい。たかだか今のツーアクションで、排熱が間に合わなくなったのか?」
「…………………………」
悪魔の問いかけに答える必要など無い、とでも言いた気。
鋼の聖女はぷいと顔を逸らして、排熱作業に努めている。
「笑えるほどにガタが来ているな。と言うかむしろ、未だに動いているだけでも感心すべきか?」
男は服をはたいて埃を払い落としながらニヤニヤ。鋼の聖女のボロボロな機体を舐め回すように眺める。
「数えていた訳では無いので正確には知らんが……人類が滅んで、もう一〇〇年は軽く経っているだろう? 最後に調整してもらえたのはいつだ?」
「…………………………」
鋼の聖女は答えない。
「ふむ。では少し、揶揄ってやろう」
そう言うと、黒衣の男はその掌に黒紫色の魔法陣を展開。
魔法陣を構築する黒紫色の線がぎゅるぎゅると絡み合い、ある代物を形成していく。
「…………!」
「クカカ。目の色が変わったな。玩具のくせにわかり易い」
男が記憶を頼りに模倣して作り出したそれは――扇風機だ。
人類が生きていた時代から更に前の時代、プラスチック製の五枚羽根を回転させて風を生み出す、旧式も旧式なザ・扇風機。
首振り機能がかろうじてついているような、もはや化石……!
男は扇風機の首をぞんざいに掴んで、見せつけるようにぷらぷらと揺らす。
「欲しいか? 欲しいよなぁ? こんな古臭い代物でも、おまえに内蔵されているオンボロ排熱ファンとは比べ物にならない冷却装置だ。これがあれば、もう少しまともに戦えるものなぁ?」
「………………………………」
「どうしよっかなぁ? オレが持ってても無用の長物だしなぁ~? 必死に懇願されたら譲ってやらない事もないなぁ~?」
「………………………………」
「聖女機として、悪魔に懇願なんてできる訳が無い? おやおや、機械人形がいっぱしに感情論を? 賢明ではないなぁ? ここで一度、頭を下げれば仕事のクオリティを上げられるアイテムが手に入るのだぞ?」
「…………ッ…………舐めるな、悪魔ごときが」
半ば朽ち果てた回路。バグとノイズだらけの演算機構を以て、鋼の聖女は考えた。
そして、至った結論は――奪い取る。
鋼の聖女、懲りずに両目から聖なるビームを照射。
しかし今度は二本とも、発射直後に霧散。
鋼の聖女の体内から響くファンの回転音が歪にボリュームアップする。
「………………!」
男はと言うと、床に手をつき、小刻みにふるえている。
クソ爆笑、と言ったところだ。
「おまッ、キリッとした顔で『舐めるな』って言っておまッ……! おぇッ」
嗚咽するほどにクソ笑って、男は立ち上がる。
「まぁ、久々に笑わせてもらった。オレを殺しにきた事は不問としてやる」
そうして、男は今までとは別の色合いが滲む微笑を浮かべた。
悪魔として、悪辣な力を振るう者の微笑。
「じゃあな」
男が羽虫を払うような所作で腕を振るう。
すると、その軌道上に黒紫色の魔法陣が展開され、そして――
◆
鋼の聖女が再起動すると、見慣れた黒煙の空で視界が埋まった。
荒野の真ん中、鋼の聖女は大の字で転がっていたのだ。
「………………………………」
いつ止まるかもわからないオンボロな演算機構で推理する。
「……吹き飛ばされた」
あの廃教会を根城にする神父コスの悪魔に、衝撃か何かの魔法で吹き飛ばされた。
そう考えるのが妥当だろう。
しかし、運が良かったのだろうか。
随分と長距離を吹き飛ばされただろうに、鋼の聖女の機体に損傷は無い。
「……戻って、排除しなければ」
聖女機に刻まれる絶対不変のプログラム。
悪魔の捜索、発見次第、排除。
どれだけ学習を重ねて独自思考を獲得しようと、その根底だけは揺らがないように設定されている。
だから、鋼の聖女は速やかに起き上がり、廃教会へと戻ろうとした。
まだ、先の戦闘の排熱が完了していないが……それでも。
「……!」
ふと、何かが足に引っかかった。
それは、一緒に吹き飛ばされてきたらしい――あの扇風機。
「……………………………………」
鋼の聖女は扇風機を立てて、スイッチを入れてみる。
ふぉぉぉおおお……と柔らかな音を立てて、扇風機の羽根が回り始めた。
さすがは悪魔の作った扇風機、電源要らずか。
「……………………………………」
扇風機の風が、鋼の聖女の体から急速に熱を奪っていく。
一〇〇年以上も整備されずに機能のほとんどを失った排熱ファンとは段違い。
元々彼女の機体はそこまで熱を溜めない設計なのも幸いし、ものの三〇秒ほどで完璧に排熱が完了した。
「……………………………………」
……悪魔の作った扇風機を使ってしまった……。
若干の罪悪感のようなものが、鋼の表情を少し曇らせる。
「……いや、でも……これは、悪魔のマヌケさに付け入った、賢明な手だと言えなくもない」
そうだ。多少、言い訳がましいかも知れないが。
別にこの扇風機は頼んで作ってもらったり譲ってもらった訳ではない。
ただあの悪魔が勝手に作って、マヌケにもここまで吹き飛ばしてしまったもの。
そのマヌケさを上手く利用したに過ぎない。
だから問題無い。
「うん。問題無い。これで私はまだ戦える」
扇風機のスイッチを切って、脇に抱えて、鋼の聖女は今度こそ立ち上がる。
「あの悪魔を、今度こそ排除してみせる」
扇風機を抱えた鋼の聖女が、決意を新たに一歩、踏み出した。
◆
「クカカカ。ああ、久々来客だった。それも笑えたぞ」
半壊した大聖堂の地下。
元はミサの備えとして葡萄酒やパンを保管していた地下蔵。
「生きて祈り続けていれば、誰にだって良い事が起きる。君の言っていた通りだな」
暗い空間に魔法で薄明かりを灯して、黒衣の男は楽し気に語る。
「こんな世界にもう生き物などいないだろうと諦観していたが……ああ、生き物以外がいる可能性は失念していたとも。悪魔らしくもなく神に祈った甲斐があった」
男は木椅子に座って次から次に魔法陣を展開、さまざまな物品を作成していく。
工具類、鉄板、ねじ、武器類、差し油、可愛らしいリボンやドレスなど。
「……ふむ? リボンやドレスが気になるかね? 機械とは言え女子だ。その内、目覚めるかも知れんだろう? なぁに、向こうにその気はなくとも、相当ポンコツになっているようだからな。機械らしくもない立派な乙女に誘導してやるさ。君のように」
男は楽しそうに語りながら、リボンやドレス等を掲げてみせる。
見せつけている相手は、蔵の隅、ベッドに横たわる一人の女性。
その鋼の表情は、安らかな寝顔で止まっている。
愛する誰かに看取られながら眠りについたような、そんな寝顔だ。
「さて、今度はどうやって揶揄ってやろうか」
……そう長く続く遊びではないだろう。
知っている。
使命をなげうち、寄り添ってくれた鋼の聖女がいた。
人の手を離れて五〇年ほどで、彼女は動かなくなった。
どれだけ手を尽くしても、悪魔では救いようが無かった。
ほんの少しの延命はできたが、それだけだった。
……今日のあの子は、奇跡が奇跡的に積み重なって動いているだけ。
それでも、重ねてしまうのは仕方ないじゃあないか。
どうせ壊れていくだけならば、彼女のように、あの子も笑って逝けば良い。
そんな余計なお節介をしたくなるのも、当然の事だ。
誰かが知れば、暇な悪魔だと笑うだろうか。
まぁ、どうせもう。
悪魔が誑かせるような生き物なんてこの世のどこにもいない。
滅んだ世界で未だ滅べぬ悪魔が見つけた、ほんの少しの暇潰しだ。