表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

その海賊、後悔


 後悔後先に立たず──という言葉がある。

 海賊船ガレオス号の船長レオは、今まさにそれを、身を以て感じていた。



✲✲✲



 突如としてこちらに向かって走ってきた豪奢な貴族船に、レオは目を剥いた。

 翡翠色の瞳が大きく開かれて、青い空と白い帆を映し込む。



 貴族の船を襲うというのは、なかなかに勇気がいるものである。

 大概大した成果は得られないくせに、リスクだけはやたらと高くつく。

 大損するだけで、負けが決まった賭けのようなものだ。


 ──が、しかし。

 その甲板に立つ女が酷く美しいものだから、ついつい欲が出た。

 あれは、相当な値が付く。


 見れば大した護衛もおらず──というより、そもそも人の気配があまり無い。


 これ幸いと乗り込めば、危惧していた護衛が出てくるでもなく。あの美しい女が──よく見れば、それは大層若く。まだあどけなさを残した少女であったのだが──慌てもせず、柔い笑みで荒くれ者たちを出迎えた。



 今思えば、そのときに不審に思って然るべきだったのだ。

 ──だがしかし、述べたとおり「後悔は後先に立た」ないわけで。



 悠々と近づき、傷物にしてしまうぞなんて脅しをかけながら。そっと指を滑らせた頬の、(シルク)の様な肌触りに、思わず「売り飛ばしてしまおう」という気持ちが揺らいだ。


 本当に傷物にして囲ってやろうか、などという不埒な考えが首をもたげ、真っ直ぐに見つめ返す無垢な赤色に胸が高鳴る。


 それはまるで、恋する乙女のような心地。


 女がいないわけではない。抱いたことがないわけでもない。

 今だって、拠点に気に入りの女の一人や二人は囲っているし、自分なりに可愛がっている。

 だが、しかし。


 そんな女たちに向ける感情とは、何かが違う。

 侵しがたい神聖な何かに対する──畏敬の念のようなものさえ湧き上がってくるような──これは、なんだ。


 レオを仰ぎ見る少女の口元が、ゆっくりと持ち上がって。唇は柔らかく開き、その小さな隙間から真珠のような歯が覗く。


「殿下以外が(わたくし)に──勝手に触れていいとは申し上げておりませんことよ」


 氷を鳴らしたような酷く冷たい声に、レオの抱いた幻想はパリンと音を立て、無残に砕け散った。



✲✲✲



 そこからはもう、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。


 声を出す暇もなく。

 発せられた言葉の意味を悟り、咀嚼(そしゃく)し、理解するより前に。

 少女の影から飛び出してきた黒い縄に、レオは抵抗する間もなく縛り上げられ、平伏させられたのだ。


 甲板を支配する、静寂の間。


 せ、船長ォ! と、誰かの叫び声をきっかけに、()()()()へと姿を変えた。


 ──が、しかし。

 湾曲刀やらナイフやら棍棒(こんぼう)やらを振り回す海の荒くれ者達は、立ち向かう端からレオと同じ運命を辿っていった。


 いつの間にか後ろ手に縛られ、締め上げられ、武器は海へと投げ捨てられる。

 たった一人のたおやかな少女に、大の男が──それも、荒事を生業とする男達が、手も足も出せないとは。


 黒々とした影が、少女の足元から伸び、今や甲板を覆い尽くさんばかりにその枝葉を伸ばしている。

 相変わらず、少女はそこから一歩たりとも動くことなく。ただ静かに微笑んでいれば、そこに殺意も敵意もない。

 だからこそ、却って恐ろしい。


 胸の高鳴りを感じたはずだった。

 美しい芸術を鑑賞するような、その見事な造形に嘆息するような、畏敬の念があの時は確かにあった。

 しかしそれは、それは──


「バケモンか……?」

「あら……(わたくし)としたことが。名乗りを忘れるだなんて、失礼いたしました」


 それは、本能が感じた()()を、己が胸のときめきと勘違いしただけではなかったか──。


「センテナ王国クレイシア公爵が娘、イザベラ・クレイシアと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 まるで、この甲板が舞踏会(パーティー)の会場であるかのように。少女──イザベラは、蘇芳(すおう)のドレスの裾を摘むと、優雅にお辞儀をしてみせた。


 自身を縛り上げているのが、目の前の少女であるということを忘れてしまいそうな程、自然な所作。


「本日お尋ねしたのは、他でもありません。貴方達の所業に、殿下──センテナ王国第一王子、サイラス様が大層お悩みでいらっしゃるのです。……(わたくし)は、それがとても悲しい」


 ですから、とイザベラは続ける。

 縛り上げる力は、更にその力を増して。遂に、呻き声が口の端から漏れ出した。


()()()()()、お選びいただけますかしら……?」


 とんでもない化物の巣に手を突っ込んでしまった。

 藪から蛇どころか(ドラゴン)が出た。

 だから止せば良かったのだ。負けの決まっている賭けなんて──。


 後悔、後先に立たず。


(ノー)だと言ったら……?」

「あら? 死か従属か、二択しかご用意しておりませんことよ? イエス、ノーでは、答えになっていないではありませんか」


 まるで不出来な生徒を諭すような、優しく(たしな)める声に合わせ、答えを促すように束縛はきつくなる。


「なぁ、お(ひい)さんよ。もうちっと縄を緩め──いだいいだいいだい!! ぎぶぎぶ! 折れる!」

「駄目です」

「それはわかったっ痛え゛!」

「痛くしてますもの」


 これが恨み辛みからの行動だったなら、どんなに楽だったろう。まだ光明はあったはずだ。

 正であれ、負であれ、そんな"情"があればそこにつけ込むことも容易い。


 だが、無関心では取り付く島もない。

 鏡面に小波(さざなみ)が立たないように、霞を押すことができないように、それはただ無意味な謀略と命乞い。


 淡々と返される言葉に、最早選択の余地はないと知る。


「…………わかった。お(ひい)さん、アンタに従おう。──従属だ」


 バケモノにやる命は惜しいんだ、とレオは静かに白旗を上げた。


海の男も、海で散らさぬ命は惜しい。


船上の戦場は笑いどころです。(は?)


ここまで読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ