倭人は帯方東南、大海の中に在り
良い文書は、まず最初に、
「この文書はどういう目的で、何について書いています」
と明示しています。
陳寿は魏志倭人伝冒頭に、ちゃんと、
「倭人は帯方東南、大海の中に在り。山島に依り国邑を為す」
と書いているんですね。
エラいもんです。非常に古い文書ではありますが、そういったドキュメント作成の基本を一応踏まえているため、陳寿の「三国志」は現在でも高い評価が為されているわけです。
つまりこの冒頭記述から、一体何が解るのか。――
当該「倭人伝」は、「倭国(日本列島)」に住む「倭人(日本人)」について記述している、という「記述の対象」が明確にされているのです。
位置もちゃんと、帯方郡(現在の北朝鮮平壌付近か)の東南の海中だと示されています。
三国志の「魏書」30巻、「烏桓鮮卑東夷伝」は、多数の「○○伝」から構成されています。匈奴、烏桓、鮮卑、扶余、高句麗、挹婁など大陸東北の諸民族の事が書かれ、そして東沃沮、濊、韓といった半島の諸民族について書かれ、最後に海の向こうの倭人について書かれています。それが「倭人伝」なのです。
ちなみに倭人は昔から、海を渡り東アジアや北東アジア、東南アジアなど各地に住んでいたようです。
半島にも住んでいた事は明白です。考古学的にもそれは裏付けられていますし、実際烏桓鮮卑東夷伝にもそう書かれています。「韓伝」には、半島南岸は倭人領だったとハッキリ書かれています。
ですがそれら各地の倭人はともかくとして、陳寿は「倭人伝」(魏志倭人伝)に関しその冒頭で、
「大海中の島国に住む倭人(日本人)について記述する」
と限定、明示しているわけです。30巻「烏桓鮮卑東夷伝」全体との兼ね合いを加味すると、尚更それが明確になります。
ですので、この冒頭記述を読んだだけで、
「卑弥呼邪馬台国は、実は朝鮮半島にあった」
……などといった奇説の類いは、ほぼ九割九分方あり得ないということになります。ありがとうございました(笑)
また珍説奇説の類いには、
「卑弥呼邪馬台国は台湾にあった」
だとか、はたまたインドにあっただとかエジプトにあった……等といったものがありますが、全て消えるわけです。いずれもどう考えたって「帯方東南、大海の中」という記述に当てはまりませんので。
なのでそれらの説は、速やかにご退場願います(笑)
そもそも太古の大陸の知識人にとって、倭人、倭国は非常に有名だったと考えられます。かなり古くから、ユートピア倭国に住む倭人について知られていました。
前章でも触れたように、紀元前11世紀の太伯や紀元前5世紀の孔子が、ユートピア倭国について知っていました。山海経や漢書地理志といった紀元前編纂の書物にも、倭人についての記述があります。
なにしろ倭人、即ち縄文日本人は、高度な航海術を持ち世界各地に散っていたのです。学者先生方は、
「バカバカしい。あり得ない。噴飯モノだファンタジーだ(ワラ」
と歯牙にもかけませんが、古史古伝には太古の歴代天皇が世界を巡幸し、技術や文化を伝えたと書かれているのです。かつその一端を裏付ける考古学的証拠が、世界各地で出土しているのです。
そういった事実から導かれる歴史観も、噴飯モノだファンタジーだとバッサリ切り捨てず、頭のどこかにおいておくべきです。縄文日本人は何故か高度な航海術等を持ち、世界各地に展開した、と。……
その上で、陳寿が倭人伝において書きたかった対象とは、一体何だったのかを考えるべきなのです。
それは……つまり卑弥呼邪馬台国は、半島にあったわけでも、台湾にあったわけでも、勿論インドやエジプト等にあったわけでもありません。
他ならぬここ日本列島にあったのです。そういう認識の上で、以降、魏書30巻「烏桓鮮卑東夷伝」の「倭人伝」読み進めます。