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改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす  作者: 幸田 蒼之助
今後も未解明のまま放置される

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調査研究がスムーズに進むまない「理由」

 考古学の本を読み漁ると、奇妙な事に気付きます。

 関西や福岡周辺など、特定地域の情報ばかりがやたらと豊富なのです。


 例えばWikipediaの「日本の大規模古墳一覧」ページを確認すると、大半が関西の古墳です。宮崎には何故か、全長120m超の古墳は2つ(西都原古墳群の男狭穂塚、女狭穂塚)しか無い事になっています。幸田が知る限りでも、さらに10基ばかし、一覧に加わって然るべきなのですが。……


 よくよく調べると、これは大なり小なり、他県でも同じ状況のようです。

 つまり各県の教育委員会などが、様々な考古学調査を実施し、ちゃんと調査報告書も上げています。ですが学会があまり採り上げないのか、学者先生方の研究対象になっていない……という構図が浮かび上がります。Wikipediaのみならず、学者の著書でも触れられていないのです。


 この問題、どこから切り込むべきなのか悩むところですが、ひとまず宮崎の現状から説明しますと。……

 まず、宮崎県内の大学に史学科が1つもありません。宮崎大学(国立)でさえ、史学科が設置されていないのです。


 ご存知の通り宮崎は天孫降臨の地であり、神武神話の地です。それを裏付けるかのように、宮崎平野全体に膨大な数の古墳が存在します。かつては宮崎市内全域、古墳だらけだったのではないかとさえ感じられる程です。

 既に何度か述べましたが、宮崎平野は縄文時代以来の経済的先進地帯です。古墳時代にいたるまで一貫して巨大勢力が存在し、だからこそ神武天皇は東征を果たせたのだ、と推測可能です。


 つまり、古代史だけに着目しても、宮崎は重要な研究対象であって然るべきでしょう。しかし史学科がありません。これはどういう事でしょうか。実に不可解です。

 だからこそ、前述のような状況が生じるのでしょう。西都原古墳群の研究成果のみが一般に知られていて、他はなおざりになっているわけです。西都原古墳群は規模が大きく、早くも戦前に国史跡指定されたため、さすがに多くの方々が研究されています。ですがほとんどそれだけしか、注目されていない。


 幸田の手元にある資料によれば、宮崎県内には国指定と県指定の前方後円墳だけ(・・)で187基、未指定も含めれば200基を超えそうです。ですが、その大半は測量さえろくに出来ていないまま放置されている感じです。

 当該資料は、実は20年以上前に発行された本なのですが、最新版は存在しないのだとか。つまり20年以上経っても、大して調査が進んでいないのだと想像します。


 そりゃそうですよね。県内に史学科が1つも無いのですから。

 教授ポストが無ければ、専門の研究家がじっくり地元に腰を据え、県内各地の古墳を調査研究する事などまずあり得ないでしょう。

 となると、県教委などが義務的に調査を行うのみです。ですが教授ポストの研究家が学会で積極的に採り上げなければ、全く見向きもされない……勿論学者達の研究対象となることもないのだろう、と想像します。

 逆に言えば、県内の史跡等の学術的価値が評価されなければ、県内の大学に史学科を設置しようという気運も高まらないことでしょう。


 いや、それ以前の問題として、文系の学者先生方は真面目に研究、調査を行っているでしょうか。ちゃんと果たすべき仕事をしているのでしょうか。

 幸田はまず、そこに疑問を抱きます。


 例えば幸田が卑弥呼邪馬台国時代の情報を知りたくて、図書館に行きます。近所の福岡市総合図書館には、沢山の書籍が揃っています。

 ところがそれらを片っ端から眺めても、最新の考古学情報がどうなっていて、どんな先生方がどんな学説を唱え、それらに対しどれが多くの支持を得てどれが概ねネガティブに捉えられているのか……といった様子が全く分かりません。

 時間をかけて片っ端から読み漁っても……です。おまけに昨今は図書館も、図書購入予算が減らされているのか、新しい本があまりありません。


 ですから我々シロートとしては、最新の動向を効率良く知る手立てがないのです。研究者並に時間をかけ大量の資料に目を通し、学者先生方の話を聞いて回らない限り、どうにもなりません。

 学者先生方は税金で食っているのです。国立大学はもとより、私立大学といえども多額の税金が投入されています。である以上、調査研究の成果をきちんと素早く世に知らしめる、責任を負っている筈ではないでしょうか。

 ですが、それが充分に果たされていると言えないのです。


 高度情報化社会だというのに、まずまともなナレッジベースひとつ、存在しないらしいのです。ちなみにナレッジベースとは、例えばWikipediaのような、多くの人々によって構築、情報整理され、知識をシェアするシステムです。

 一体これはどういう事でしょうか。

 何もそれは、我々シロートに対するサービス……にとどまりません。専門家の方々ご自身にとっても、研究作業の効率化を図る、非常に有効なツールである筈です。しかし未だ、それがない。


 幸田のように、長年ITの恩恵を受けつつ実務に携わった人間からすれば、これは実に信じがたい話です。

 だからこそ宮崎県内の考古学情報のように、或いはその他多くの地方の考古学情報のように、誰にも知られないまま埋もれ、学者先生方から採り上げられる事もない……という事態が生じているのではないでしょうか。

 学者先生方も、最新情報の多くを知ることなく、誰かが既にまとめた極めて限られた情報だけで物事を推察しているのではないでしょうか。


 そんな事で、良い仕事が出来る筈がないんですよ。長年実務に携わった幸田としては、そう推測せざるを得ません。

 正にそれが、ツッコミ処だらけの古墳編年の研究であったりするのではないでしょうか。またそういった結果として、Wikipediaの「日本の大規模古墳一覧」ページに、宮崎の大型前方後円墳が2つしか載っていないのではないでしょうか。


 問題は他にもあります。

 幸田は当稿の執筆にあたり、生目古墳群の調査資料に目を通しました。

 驚いたことに、ざっくりしたデータを知りたいだけにもかかわらず、20冊にもなる報告書資料全てに目を通さざるを得ませんでした。

 つまり、形やサイズといったデータさえ、分かり易くピックアップされていないんです。またどこにどんな情報が記載されている、といった、小見出しの整理もなされていません。ただひたすら、調査結果がダダ~っと文章として書かれているだけなのです。


 ですからシロート幸田は、自らメモを取りつつその全てに目を通さざるを得ませんでした。幸田の調べるべき古墳が7つであるということ、その7つの基本情報をピックアップするだけで、大変な時間と労力を要しました。


 これを見れば、学者先生方や調査員の方々の、実務能力や仕事のクォリティが自ずと知れます。

 そんな有り様だからこそ、ろくな研究成果が見当たらないのです。そんな非効率な作業を続けているからこそ、20年以上も経つのに「宮崎県前方後円墳集成」が改訂されないのです。そして未だ卑弥呼邪馬台国問題が解けないのです。

 アカデミズムと何の関係もないシロート幸田は、そう想像せざるを得ませんでした。


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