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改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす  作者: 幸田 蒼之助
考古学視点と歴史観

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邪馬台国を考古学視点で探る

「魏志倭人伝の行程記述を解読すると、邪馬台国は……ここだ!!」

 と唱える「邪馬台国○○説」は、実に沢山存在します。

 しかしその多くは、魏志倭人伝の読み方が雑です。おまけに、もっと大きな欠点が目に付きます。即ち、

「考古学的裏付けに乏しい」

 という点です。


 もっとも第一章にて述べた通り、考古学という学問も未だ不完全です。そこが悩みどころですね。

 困ったことに、学者先生方の考察も、レベルが低いと言わざるを得ません。彼らの本を読んでいると、記述をどこまで信頼して良いのか、どんどん疑わしくなります。

 それらを踏まえた上で、それでもなお、しっかり考古学に目を向けていく必要があります。


 卑弥呼邪馬台国比定地としての、日向国つまり宮崎平野のアドバンテージは、何と言っても古墳です。宮崎は全国有数の古墳県なのです。

 古墳は日本全域に膨大な数、存在します。しかしその築造年代は、大半が不明確です。古墳編年という学問もありますが、これまた不完全で、

「○○県の〇〇古墳は非常に古くて、○○県の○○古墳はそれより後に築造されたものだ」

 といった具合に新旧を相対的に比較するのは、極めて困難です。


 そういった難しさを承知の上で、それでも宮崎県内の古墳について明確に言えることが2つあります。それは、

「弥生墳丘墓や、初期型の前方後円墳が多数存在する。しかも100m級の大型が、多数存在する」

 という点と、

「畿内の名だたる古墳との、共通性が見られる」

 という点です。


 ところで、少々話が脱線しますが歴史学における「時代区分」について。

 今や縄文時代、弥生時代については、区分の定義が崩壊しています。私達は学校で、

「渡来人が大量に流入し、稲作をはじめとする新たな技術が大量にもたらされた。縄文人は渡来人に淘汰されつつ混血が進み、新たに弥生人が誕生した。また全国的に稲作が普及し、狩猟採集経済から農耕経済へと移行した。それが即ち弥生時代である」

 と教わりました。しかし現在ではその全てが否定されているのです。


 まずプラントオパール(いわゆる植物の化石)研究によって、日本列島における稲作の開始は、何となんと(笑)1万2千年前(・・・・・・)であることが判明しています。

 土壌に残るプラントオパールを調べると、それが何の植物なのか、自生種なのか栽培種なのかが判るそうです。近年の研究で、例えば島根県の板屋Ⅲ遺跡等から、栽培種の陸稲が見つかっています(!!)


 学者先生方がおおっぴらにアナウンスしないため、私達の大半はそれを全く知らないわけですが、板屋Ⅲ遺跡の調査資料を読む限りでは、同年代の陸稲栽培の痕跡が南九州などでも見つかっているそうですよ。

 学校の歴史教科書には未だに、稲作開始は縄文晩期だと書かれていますが、これは明らかに情報が遅れています。今や古代史観自体をごっそり改めるべきなのです。


 脱線に継ぐ脱線で恐縮ですが、私達は、

「狩猟採集経済というのは不安定、未熟な社会である。農耕経済は、そこから一段階レベルアップした社会である」

 と教わりました。しかし日本の古代史を見る限り、それも誤りのようです。


 古代の日本列島は食のユートピアで、簡単に食糧を確保出来たからこそ狩猟採集経済社会だったのです。敢えて手間暇のかかる農耕をやる必要がなかった、と理解すべきのようです。

 1万2千年前というのはヤンガードリアス期(気候区分)と呼ばれ、最終氷河期が終わり地球気温が温暖化に向かう過程で、一時的に寒冷化した時期です。食糧不足が発生したのでしょう。

 ですので縄文日本人は、その時だけ一時的に止む無く(・・・・)陸稲を栽培したわけです。

 これは縄文晩期以降も同様です。地球気温が下がってきたため食糧不足が発生し、止む無く大々的に農耕を始めたのです。


 話を戻します。

 近年のDNA研究で、日本人のルーツは大陸人や半島人でない事が判明しています。弥生人も、渡来人との混血などではなく純粋に縄文日本人の後裔だと判っているのです。

 それにそもそも、弥生人という別人種が新たに生じる程の、渡来人の大量流入があった……という考古学的証拠が、元々どこにも存在しないのです。


 DNA研究といえば、稲が半島経由で伝わったという仮説も、今や完全に否定されています。少し前まではほとんど定説として扱われていましたが、これも実は全く根拠が無かったのだ……と化けの皮が剥がれました(苦笑)

 一方、大陸の稲との関連は見られます。ですから今日、稲は大陸からダイレクトに伝わったのだろう……と言われています。ですがこれとて前述の通り、日本列島において稲作が実は1万2千年前に行われていたと判明している以上、

「逆に、日本から大陸に伝わったんじゃね!?」

 とも言えるわけです。


 そういった諸々の新事実を踏まえると、弥生時代という時代区分の定義は、もう完全に崩れていると言わざるを得ません。

 そしてこの事は、弥生時代と古墳時代という時代区分に関しても同様なのです。


 卑弥呼の時代とはまさに、弥生時代と古墳時代の境目にあたります。ですので、

「古墳時代とは何ぞや」

 という定義が重要な意味を持ちます。現在においては、

「古墳、特に前方後円墳が盛んに造られた時代を意味する」

 とされています。


「じゃあ、卑弥呼の墓は……古墳なの?」

 という疑問が沸きませんか!?


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