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改めて魏志倭人伝を読み解く ー 有象無象の珍説奇説を木っ端微塵に蹴散らす  作者: 幸田 蒼之助
邪馬台国の邪馬台国たる要件

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言語学的視点と異文化コミュニケーション的視点

 前章にて、既に幾つかの重要な指摘を行いました。

 諸説がいかに、魏志倭人伝の記述をいい加減に解釈しているか、いかに恣意的に解釈しているか……をご理解頂けたと思います。


 何度も繰り返しますが、陳寿著「三国志」は、歴史資料として高く評価されているのです。一節によると、陳寿は倭人伝を書きたいがために三国志編纂の仕事を受けた、と言われる程、並々ならぬ熱意でもって魏志倭人伝を著したらしいのです。

 それをいい加減に読み解いてはダメなのです。自説構築の都合で恣意的に解釈してはいけないのです。


 とはいえ、その記述全てが正しい、絶対的に信頼できる……とは言えません。記述1つ1つに信頼性の高低がある、と認識すべきでしょう。

 それに関する学者先生方の言及を見たことがないのですが、そこにもちゃんと、科学の目で基準を設けるべきなのです。


 例えば言語学的な視点と、異文化コミュニケーション的視点から論じてみましょう。

「ま~た、幸田が何か面倒臭え事を言い出したぞ~(苦笑)」

 ……などと思わず、お読み頂きたいと思います。いやいや大して難しい事は言いませんので。


 つまり当時は現在と異なり、便利な日中辞書や語学テキストが豊富にあったわけではありません。互いに苦労して相手の意図を察しつつ、慎重にコミュニケーションを図ったと考えられます。


 その場合、具体的なモノの名前……例えば地名、山や川の名前、人名等は比較的ストレートに伝わったと思われます。

 ですが最初の章にて述べたように、その発音については残念ながら不明だと知って下さい。これは卑弥呼邪馬台国時代の漢文の、宿命です。今となっては調査研究に自ずと限界があるのです。


 またそこには、日本語と古代中国語の言語学的な差が存在する事も、考慮すべきでしょう。

 つまり現在でも、我々日本人が中国語を聞くと、

「何を言ってんだか早過ぎて聞き取れん」

 と感じます。ですが中国人の側も、

「日本語は早過ぎて聞き取れん」

 と感じるそうです。


 これは中国語が英語等と同様、アクセントと子音を辿って単語を聞き取るのに対し、日本語は全ての母音をきっちり踏まえて聞き取るという、大きな違いがあるためだそうです。

 ですので魏朝の人々が、倭人の発音をカンペキに聞き取れたかどうかは疑問です。母音「あ」を「え」と聞き取ったり、「い」と「え」、「う」と「お」を混同するケースは頻繁にあったと思われます。

 その辺の事情は現在と変わらない、と考えるべきでしょう。


 また様々な言語において言える事ですが、子音「h」を聞き漏らすというケースも考慮すべきでしょう。

 例えば「伊都国」の「い」は、実は「ひ」だった可能性もある、と幸田は想像します。現に伊都国が佐賀平野だとすると、()の地は正に「()の国」ですから。


 もう一つ付け加えると、人名など長い名詞は、略記した可能性もあります。後述しますが、卑弥呼の後継者「壹與(とよ)」は「トヨ(・・)スキイリ姫」の略記ではないかと推測します。


 ちなみに倭人の側にも、幾人かは漢字を読み書き出来る者が存在したと想像します。外交上の拠点たる伊都国には、そういう人材をいわゆる外交官として配置していたかもしれません。

 もし、彼らが人名や役職名を漢字で表記し、魏朝の人々に見せたとしたらどうなるでしょうか。

 おそらくは両者で発音が異なったでしょうね。


 それを魏朝の人々が、どう扱ったのかも気になるところです。つまり倭人の書き示した通り、報告書に転記したのか。或いは倭人の発音の方を尊重して、魏朝の人々の方で当て字に置き換えたのか。……

 そう考えると、ますます発音が判らなくなります。


 以上のように、

「人名、役職名、地名等の固有名詞は基本的に信頼出来る筈だが、言語学的特質から発音そのものは信頼性に欠ける。また、一部に略記もあるだろう」

 というのが幸田の見解です。

「デタラメを書いているわけではない。しかしその発音は不明だ」

 というわけです。


 ハナっから、

「よくわからん。全部信用出来ん!!」

 と解読を放棄するのではなく、言語学的な問題や異文化コミュニケーションにおける問題を意識しつつ、個別にその信頼性を測る……という姿勢(・・)が重要なのです。

 同時に、全てを杓子定規に解読しようったって無理だ、と考えるべきです。


 では、固有名詞等はそれで良いとして、「抽象概念」についてはどうなのでしょうか。


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