その1 小娘なんか拾うもんじゃない
ぱいれーつおぶカリビアンのような、違うような、実はリバティーンだったり、みたいなところで書いて行きたいと思います。バーミリオンと違い、気紛れに書いていくつもりです。毎回完結を目標とします。
木の葉のように。
ひらひらと、小さな船が。
どうにか五人ぐらいなら乗れそうな漁船の帆柱に立ち、クリスは水平線に眼差しを向ける。
「キャプテン・クリストファー!!」
苛立ちのこもった少女の声。
「ごはん、まだ?」
クリスは面倒臭そうに飛び降りた。
「メアリアン、この船の食料は、このひからびたパンが三つと、リンゴが五つ。
俺達は、二人。
いいか、公平に分けても、パンが1個半、リンゴはオレが3個でお前が2個。
今日、昼飯にどれかを食べてしまったら、明日の食料はさらに減る。
今日我慢して、一日でも多く生き延びるほうが賢いだろ?」
「リンゴは4個、もらうわ。
だって、この船のオーナーは、私なのよ?」
この十才にもならない少女が、今のクリスのただ一人の手下。
父親と漁の最中、急な嵐にあったらしく、父親は海に転落、彼女は波間を漂っていた。
クリスはたまたま、そこを通りかかった。
水樽をつないだ急ごしらえの筏に乗って。
その三日前、クリスの働いていた貨物船は海賊に襲われた。
カリブ海のプランテーション間を巡り、交易用のスパイスをオランダ東インド会社のオフィスのある港に集めるための船で、襲ってきた海賊の旗はキャプテン・バリーのもの。
「親父は、今本国に居るんじゃ……」
ふと、思い出した。
その船は、キャプテン・バリーの腹心、キャプテン・ミリアムの持ち物だった。
バリーは自船の他に、部下に三人の手下の海賊船を有している。
イギリス本国で何も知らずにいた幼い頃、父親は偉大な商船乗りなのだと信じていた。
ブリストルの港に暮らすごく普通の家庭の、大西洋を渡る船乗りの子どもの半分は、その乗っている船が商船であるという嘘を信じていた。時に応じて、その父親たちは商船乗りになったり、イギリス海軍の下っ端におさまったり、また、海賊になったりを繰り返すので、その嘘がいつも嘘であるとは限らないが。
そして、キャプテン・バリーくらいになると、常に海賊なのだから、クリスにとっては大嘘つきもいいところだ。
どう見ても勝ち目のない相手に、クリスは戦う素振りもみせず、あらかじめ結わえておいた樽二つを海面に落とすと、自分も飛び込み、大砲の撃ち込まれる前にさっさと逃げ出した。
樽の中には、ラム酒の瓶と、当座の食料が隠してある。
クリスは、あわてふためく甲板の船員たちを後目に、樽の影に隠れながら、その場を離れるべく水を掻いた。
砲弾が撃ち込まれる音。漂ってくる煙と火薬の匂い。
見慣れた一連の出来事に今さら、振り返る必要もない。
ミリアムの手管は知り尽くしてる。
間もなく海賊船が横付けされ、無法者たちが殺し、略奪し、そして破壊するだろう。
もし、この場に姿を現すなら、父親たちの仕事に協力しないわけにはいかないし、でも、そうなると、敵国のイギリス人なのに、快く便乗させてくれたスパイス船の船長に申し訳ない。
少なくとも、ミリアムを手伝うなら最悪な事態となる。
(なぜ最悪かって、そりゃ、親父たちに見つかれば一番下っ端で、しかも自由が無いし、海賊になるのはまっぴらだから)
だから、このまま消えてしまう。
それが最善。
だいぶ離れたと思い、後を振り返る。
値打ちのない樽だとか、空き箱だとかが海上を漂う。
その間には、死体も漂う。
船のほうに目を凝らす。
誰かが甲板から、クリスを見ていた。
ロックベル? あ、いや、ラックベルだった。
騙されてオヤジの船に乗った頃から、新米のクリスをいじめ抜いたイヤな奴。
見つかったか?
いや、きっと大丈夫。
だって、追って来ない。
もし見つかったのだとしたら、またクリスを支配していびり倒す、そんな機会を逃すわけがない。
そしてクリスはどうにか上手くその場から逃げる事ができ、そして通りかかったメアリアンの漁船に助けてもらったという次第。
折しも父親を失ったばかりのその小娘を不憫だと思い、勇気づけ、安全な島まで送るついでに自分も助かる、相互扶助なのだと思った。
この時はまだまだション便臭い小娘をどうこうする趣味はクリスにはないし、トルトゥーガまでたどり着いたら、あとは解放するつもりでいた。
だが、出会ってからずっと、この小娘の態度は腹に据えかねていた。
目の前のガキ、クリスの事を怖れるどころか、男としてすら警戒していない。
この尊大な態度。
クリスはラムを煽った。
その時、気づいた。
ラムが空だ。
ふと横を見ると、メアリアンが、いつの間にか捕まえた魚を火で炙っている。
……ラムを燃料にして。
『このバカガキが〜〜〜!!
ええい、許せん。
お前なんか、売り飛ばしてやる。
絶対に、売春宿に叩き込んでやるから、その器量でとっとと一人前のアバズレになりやがれ』
と叫んだ。
……声を出さずに。
そして、気持ちを静めてから、云った。
「メアリアン、魚を捕るのは上手なんだね」
コロッと態度が変わった。
「それは、漁師だから」
「それじゃ、オレにも教えてくれよ、その、魚の取り方」
信じさせる事。
娘を売った金があれば、次の仕事まで何日か酒に溺れて過ごすも良し、女に貢いで、その女のところに転がり込むも良し、悪くない考えだ。
幸い、その翌日の昼には島影を見つけ、そこが無事、トルトゥーガであることを確認すると、二人で小躍りした。
「さて」
とクリスはひとりいった。
先ほどの計画を実行する時である。
「船に乗せてくれたお礼だ。何かおいしい物を食べに行こう」
少女は微笑んだ。
「結構。
市場のお店に、三年前、従姉妹の姉さんが嫁いでるの。
とりあえずそこに行くから、あんたとはここでおさらば。
助かったわ。あなた、航海士としてはそれほど腕は悪くない。
これからもせいぜい努力するのね」
警戒心が無いわけではなかった。
メアリアンとしては天然を装い、クリスの下心を利用して、それなりに自分の思惑通りに事を運んでいたのだ。
逃がすものか。
クリスは、自分が邪悪な笑みを浮かべているのに少し酔っていた。
「なあ、ちょっと待てよ、えっと、アンヌマリ、アンメアリ…」
自分に酔いすぎて、その糞ガキの名をど忘れしていた。
「メアリアンよ」
「市場までも危険だ。
このクリストファー・バリー船長が、そこまで送ってやるからさ」
「バリー船長?
あの大海賊バリーと同じ名前なの?
笑わせないでよ」
メアリアンは鼻でせせら笑った。
その態度がまた腹立たしい。
しかし、メアリアンはまだ子供。
しかも、トルトゥーガの地理には不案内らしく、クリスはたやすく計画を実行する事ができた。
売春宿の裏口は、船宿街に面しており、その向こうが市場街。
裏通りなので、少女は自分がどこを歩いているのか皆目見当もつかない。
クリスはその通りの扉の一つを叩いた。
「誰だい?」
小窓が開いて、女が顔を出した。
メアリアンは、状況を察して駆け出そうとした。
……だが、クリスはあらかじめ予測していたのか、少女が駆け出そうとした方向に立ち、飛び込んできた小さな身体を抱き上げた。
「コレなんだけど、買ってくれる?」
クリストファーの腕の中で、少女の身体がガタガタと震えた。
クリストファーの口の中に、苦いものがこみ上げた。
だが、この辺は海賊うじゃうじゃいるし、奴らに捕まればこんな事では済まない。
これで当たり前なんだから……
自分に言い聞かせ、暴れる少女を女将に引き渡した。
漁師の娘であれば、これくらいが妥当な値段。
まあ、器量良しだから、これでも少しは色がついているんだろう。
「ちょうど良かったよ、クリストファー。
出入りの海軍の将校さんが、特別な御用でこれくらいの小娘をお望みでさ。
さっき軍艦が着いただろう?
今夜あたりいらしたら、早速声を掛けてみようと思うんだよ。
ほら、はやくその子に甘いものでもやって大人しくさせなよ。
垢を落として、綺麗に着飾らせて、それなりに身支度すりゃ、別嬪さんになるよ」
女将の声が、店に響く。
「海軍さんも、急にあんな注文つけるから、そのへんから女の子借りてこようか考えてたとこさ。
前金で奮発してもらえるし、本当に店としちゃ、とても助かるよ。
今夜は、看板以外の子なら誰でも好きな子と寝ていい。
あんたの馴染みは、ルイーズだったね」
女将は、別に馴染みというほどでもない、いつもお茶を引いている少し陰気な娘をクリスにあてがった。
まあ、特に好みというわけでもないが、今のクリスには売れっ子など抱けるわけもなく、愛想のいい子はそれなりの羽振りの色男に自分から媚びを売る。
タダでやれるのなら、全然文句はない。
ルイーズは良く見りゃ可愛い。
ただ、無口で、愛想のないだけだ。それに、ちょっと受け答えもトンチンカンな事はあるが……。
『い……イヤだよ……、こんな服』
メアリアンの声だ。
綺麗な服を着せられること。それがこの店でどういう事を意味するのか知っているのだ。
『お父さん、お父さん、助けて』
泣き声混じりである。
ルイーズは、クリスの手を引くと、自分の部屋に導いた。
クリスは、少し立ち止まり、眉をひそめた。
「どうするの?クリス。
綺麗な服着て、化粧して、お腹一杯食べて、飲んで歌って、
この暮らしも、それほど悪いものじゃないわ……」
ルイーズは、クリスに耳打ちした。
ラムもあるし、女も居る。
もっと楽しく気分良くなるはず。
「……それで、な、ルイーズ、親父、その時、どうやって島から抜け出したと思う?」
昔、父親に聞いた昔話を大げさに脚色して喋る。
クリスは無理に笑おうとする。
だが、目の前のルイーズはクスリともせず、ただ口の端に張り付いた微笑みを浮かべるだけだ。
盛り上がらない。
全然。
気分が。
もっと悪い。
喋ろうとすればするほど、どんどん落ち込んでくる。
外がにわかに賑やかになった。
英国海軍の男達が、街に繰り出したのだ。
『まあまあ、リッチモンド提督』
開け放した窓から、玄関で上客を迎える女将の声がする。
『ご注文通り、いい子が入ったんですよ。
ちょっとまだ子供なんですけどね、旦那の好みにはピッタリじゃないかと』
クリスの背筋が寒くなる。
罪悪感という奴か?
「顔が青いわよ、クリス」
ルイーズは、こういう事だけは的確である。
「なあ、ルイーズ」
クリストファーは突然女を抱き寄せた。
「なんか肌寒くないか?
オレを温めてくれよ」
戸惑う自分を取り繕うように、唐突にクリスはルイーズをベッドに押し倒し、唇を重ねた。
下では、時々嫌がるメアリアンの悲壮な声がする。
それでも、目の前の情事に没頭しようとするが、イライラする。
逃げるように、ルイーズの首筋に舌を這わせる。
耳を塞ぐように、ブラウスの紐を緩め、胸を露わにさせて顔を埋める。
ああ、オレにはもう何も聞こえない。
『ほら、メアリアン、お客様にご挨拶を…』
運が悪いのか、例の上客はこの部屋の上らしい。
「クリス、クリス……」
ルイーズが型どおりに喘いでいるようだが、そんなのもう見えも聞こえもしない。
見上げるルイーズはとても優しく微笑んで、逃げまどうクリスを抱きしめた。
「クリス……どうしたの?
何を怖れているの?……」
ルイーズは甘く微笑んで口づけて、両手でクリスの耳を塞いだ。
「ねえ、クリス、あなたは絶望を知っている?」
唐突に女は云った。
「絶望する奴はとっとと逝っちまえ」
クリスは、船乗り仲間の誰かの口癖を真似た。
「絶望する事しか、できない事もあるのよ…」
空気に消えるような声だった。
「わたしはね、クリス。
さらわれて、売られたの。
………海賊に……」
クリスの瞳が、初めてまともにルイーズを見た。
蝋燭の明かりに翳る女の顔。
「珍しい事じゃない。
この店にも何人も居る。でも、親に売られるよりはましなのかもね。
海賊を恨む気力さえ失って、彼らの金で着飾り、食べている。
出入りの商人が持ち込む生地やら、ビーズやら、白粉やらにときめく気持ちに、ふと我に返る。
男の腕の中で、いつの間にか本当に声を上げている。
ならば、心を決めて、その事を楽しめばいい。
なのに、楽しむことが出来ない私がいる。
笑顔が凍り付き、言葉が凍り付き、いつか私は絶望を恋人にしてしまった……」
ルイーズの囁きが、クリスの魂をも凍らせた。
「ねえ、クリス、キスして。お願い」
ルイーズが唇を重ねてきた。
『それじゃ、旦那〜〜、ごゆっくり〜〜』
接待していた女将が部屋を出ていったようだ。
ルイーズは、ナイトガウンを羽織り、起きあがると、クリストファーに服を着せた。
「ちょっとした騒ぎを起こしてあげる。あなたが、あなたで居続ける為には、何をすべきか判るわね」
ルイーズが微笑んだ。
心の底から、微笑んだ。
その瞳には、絶望の色は消え、クリスに、煌めいた瞳を向けた。
「大好きよ、クリス。そのあなたは、消してはいけない」
女は果物籠に添えられたナイフを抱えると、廊下に飛び出した。
叫び声を上げ、泣きわめきながら。
『いやーーーーー、もういやーーーーー!!!!』
その女の絶叫に、客も娼婦もドアを開け、様子を伺いに顔を覗かせた。
クリスは、窓づたいに上の階に上りはじめた。
その窓から、中を覗くと、まだメアリアンは服を着たままで、海軍提督は何やら夢を語っていた。
メアリアンを何かの練習台にしているのか?
さて、どうしよう。
士官は、廊下の騒ぎにも、全然興味がなさそうである。
ここに飛び込んで、一戦交えるか?
だが、メアリアンを抱えて、この男の従える部下がわんさかいるこの宿から無事で逃げられるのか?
『キャー、ルイーズが!!!!』
聞いたような娼婦の声だ。
ドスッと、嫌な音がした。
『ルイーズが落ちた!!!』
クリスは唇を噛み、蒼白になるのを感じた。
だが、オレはどうすればいい。
ルイーズはどうなった?
でも、今やらなければ、せっかくのルイーズの気持ちが無駄になる。
クリスの心臓の音が、嫌な感じに耳につく。
息苦しい。
『まったく、何だというのだ』
さすがの提督も、舌打ちしながら廊下に出て行った。
クリスは覚悟を決めて、部屋に入った。
美しく着飾ったメアリアン。
浅黒い肌が美しい。
クリスは震える彼女の先ほどの感触を思い出した。
クリスは少女を背負うと、ルイーズが飾りベルトを繋いで作ったロープを使って、まんまと窓から逃げ出した。
その後、クリスはメアリアンから一発殴られたが、彼女は、そのまま従姉妹の家まで送らせた。
自分の従姉妹には、海の上で助けられ、ここまで送ってくれたのだが、一人になって従姉妹の家を探している間に、悪い男に売春宿に売られたのを、また助けてくれたのだと話した。
そして、メアリアンの従姉妹は、お礼に少しのお金と、働き手を捜している商船を紹介してくれた。
太陽が西に傾き、紫と赤の美しい空の色をしている。
見張りのために帆柱の上に立つクリスの目に、紺碧の洋上を白いレースの布が漂っているのが目に止まった。
甲板員が棒を突っ込み、引き寄せた。
「女物のナイトガウンか。
それなりに上等っぽいが、洗って土産にでもするかい」
「馬鹿云え。土左衛門のかもしれんだろう」
見たことのあるナイトガウンだ。
絶望の瞳を思い出す。
亡骸は、深い海の底か、それとももうサメに食われたか。
悔しさを噛みしめる。
「ルイーズ、オレ、おまえの事、ちゃんと見ておけば良かった」
声にならなかった。
喉につかえる塊が痛い。
潮風が髪を撫でる。
その頃、キャプテン・ミリアムの海賊船「ランスロット」船上。
「ずいぶんと急ぐんですね」
キャプテン・ミリアムは、乗船した良い貴婦人に云った。
「国王陛下よりの使命に、適当な方を見つけましたので、報告に上がります。
クリストファー・バリーは、あのキャプテン・バリーのご子息だとか」
貴婦人は、南欧系の褐色を帯びた肌を薄緑のドレスに包み、つばの広い帽子から覗く漆黒の髪は優雅に胸元に流れている。
手にした扇で口元を隠しながら話す仕草は、王宮女官のらしい気品が漂う。
その風情に、ミリアムは眩しそうな視線を泳がせた。
「あれは息子っていえば、息子ですがね、男としてはカスですぜ。
この前もトルトゥーガで子どもを売りさばこうとしたって話、聞きました?
あの島でそんな非道をやらかしたら、二度と海賊も含めて船乗り仲間から総スカンを食らっちまう。
今回は幸い、クリスの素性を知ってる女将の機転で何とかなったが、あいつは、海賊を勘違いしてやがる。
バリーのオヤジの面汚しだ。今度会ったら見逃したりはしねぇ」
「それじゃ、バリー船長にお伝えしてくださいな。
ご子息は、英国のために働いてもらいますと」
「かしこまりました、レディ・マリールイーズ」
ランスロットは、海上をゆく。
展帆した帆に風を受けて、イギリス本国へと素晴らしい早さで。
この時、クリスはまだ知らなかった。
キャプテン・バリーが他国との貿易利権を巡る激しい戦いの為に、イギリス東インド会社と契約している事を。
そして、自分も、その戦いの渦中に放り込まれつつあることを。
クリストファー・バリーは、その時まだ二十歳だった。




