第三話 県大会決勝戦――後半――
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第三クオーター。最初にボールを保持したのは私たちでした。
自陣へ戻って行く陽舎校の選手たち。私たちは前半と同じくディレイドオフェンスに行こうとしたのですが――
「佳保里っ、お願い!」
紗耶香が私にパスをしてきました。
陽舎校の選手が一人、紗耶香に対してプレスを仕掛けてきたのです。それは向こうのディフェンスが変わった事を意味します。
前半の〝2-3〟から〝ダイヤモンド・ワン〟という、ゴール下に四人がひし形の陣形を取り、残る一人がボール運びを妨害するというディフェンスです。
紗耶香からの正確なパスを封じてこちらのペースを乱そうという作戦なのでしょう。
「智子、ハイポストに入って。美春とユッコは動きを合わせるんだよ」
私はボールを運びながら指示を出します。
チームのなかでは紗耶香が一番ボール運びが上手く指示も的確です。でも、私だって練習の時はポイントカードを務めて紗耶香と対戦しているのです。
紗耶香ほどではないけれど、陽舎校が私を見くびっているのなら後悔させてやります。
智子に渡ったボールは美春へ。シュートを放つと見せかけた美春に反応した選手が迫ってきますが、美春は空いたスペースに走り込んできたユッコへパスを出します。ユッコはディフェンスに囲まれてしまいますが、腕を思い切り伸ばしてフックシュート――。しかしボールはリングに弾かれてしまいました。
「リバウンドっ!」
私だけでなく、敵味方の選手全員が叫びます。
弾かれたボールに智子が反応しますが、ボックスアウトで勝っていた相手のセンターの方が好位置にいます。
ボックスアウトとは、リバウンドの好位置を確保するため、体を使って相手選手を押し出すプレイです。
ただでさえ相手の方が身長が高いのに、好位置まで奪われていては智子に勝ち目はありません。それでも、相手センターがボールをキャッチする前に、智子は指でボールを弾くことに成功。
再び舞い上がったセカンドボールに反応したのはユッコ。自慢のジャンプ力でボールをキャッチ――ではなく、そのまま指で弾いたタップシュートを放ちます。まるでバレーボールでいうトスを上げたようなシュートはリングに二度弾かれながらもゴールへと吸い込まれました。
「ユッコさんナイスシュート!」
美春がユッコを称えに行きますが、私はそれを止めます。
「美春集中してっ、相手から目を離しちゃダメっ!」
「え?――あ……」
美春がその意味を理解しましたが時すでに遅し。
早いリスタートからのロングパス。それが私たちのゴールへと迫っていた相手選手へと渡ってしまい、簡単に2点を取り返されてしまいました。
五人全員がゴールを守る〝2-3〟よりも、一人が先行できるダイヤモンドワンというディフェンスを上手く機能させてしまった結果です。
あわあわ……と後悔する美春に近づく紗耶香。
「バカ美春っ、ちゃんと集中しなさいって言われたでしょ!」
「ご、ごめんなさぁぁぁい!」
叱られた美春は自陣へと逃げていきました。
「佳保里、後半が始まったばかりだけど、美春は少し休ませた方がいいかもしれない」
戻りながら、紗耶香が私の耳元で囁きます。
「うん、あの動きを見ちゃうとね……。秋穂ちゃんもそのつもりみたい」
ベンチに目を向けると、そこでは友奈が準備をしています。
今の私たちのプレー。得点にはなったけれど美春の疲労蓄積が明らかになったプレーでもありました。練習では智子からパスを受け取った美春がドリブルでさらにディフェンスを引き付けて大きなスペースを作り、そこへ走り込むユッコへのパスであったり、外で待ち構える私へのパスという流れでした。
美春がシュートを放つフリをしたのは、おそらく足が動いてくれなかったのでしょう。
「とにかく、ペースだけは乱されないようにしなくちゃね。速攻を決めることで、陽舎校は私たちを焦らせて点取り試合に持ち込むつもりだろうから」
私の言葉に紗耶香も頷きます。
25対22。この点差を広げられるならそれに越したことはないでしょう。しかし、3点差しかないという気持ちが焦りになればミスを誘発してしまうことになりかねません。そのミスは致命的となり、あっという間に逆転を許してしまうことになるでしょう。
そうならないためにも、陽舎校の挑発に乗るわけにはいかないのです。
秋穂ちゃんもそれを危惧したのか、タイムアウトを取ってプレーを止めます。ですが、恐れていたことが現実となってしまいました――。
先ほどのミスを取り返そうとした美春が、強引なドリブルで陽舎ゴールへと切り込んでいってしまったのです。
連携のない動きは簡単に潰されてしまい、私たちはさらに連続ゴールを決められてしまいました。
これで25対26。逆転されてしまったところで審判の笛が鳴りました。どうやら友奈の準備が出来たようです。
泣きそうな顔でベンチに下がる美春。そんな彼女の頭に、紗耶香が優しく触れます。
「美春、第三クオーターはしっかり休みな。最後の第四クオーターは、必ずあんたのカットインが必要になってくるんだからね」
「紗耶香ちゃん……」
自分をまだ必要としてくれる言葉に、美春の目が赤くなりました。
そんな美春に私は待ったをかけます。
「ここで泣いちゃダメ。その涙は勝った時まで取っておこう。ね!」
「佳保里さん……。うん、絶対に勝ちましょうね!」
微笑む美春が友奈と交代しました。
「美春、ここは私に任せろ。陽舎のディフェンスを引っ掻き回してやるからよ」
友奈の力強い言葉に美春は力強く頷きます。
レギュラーには一歩届かない友奈ですが、その素早さはチームで一番。共に頑張り続けてきた仲間を信じられないはずがありません。
逆転されてしまいましたが、私たちは焦らずディレイドオフェンスを続けます。決して相手の思惑には乗りません。むしろ、思うように点差が広がらない陽舎校を苛立たせてやるつもりです――。
友奈は私たちが思っていた以上に頑張ってくれました。相手は的確な選手交代でレギュラーを少しずつ休ませ、後半に入っても元気いっぱいです。それでも友奈の素早さには苦労していました。
特に、ディフェンスでは相手のカウンターを封じる大活躍。先行する選手にピッタリと張り付いてプレッシャーを与え続けてくれたのです。
ドリブルが苦手なのでボールを奪われてしまうこともありましたが、それでも第三クオーター終了時に32対36と、4点のビハインドで済んだのは友奈のおかげといってもいいでしょう。
友奈がスティールされてしまった時にユッコが、
「さすがは陽舎。隙を見せたらヨウシャないねえ」
なんて寒いことを言ったりしましたが、それも私たちの気持ちを落ち着かせてくれました。
運命の第四クオーター。この最後の十分間で勝ちにいかなければいけません。私たちに延長戦を戦う体力の余裕はないのですから。
開始直後、陽舎校の攻撃を止めて勢いをつけたかったのですが――。
「にゃにゃ!? 届かない!?」
相手のジャンプシュートをユッコがブロックしに行きますが、ボールはユッコの手の上を通過してゴール。
疲労でユッコのジャンプ力が低下しているというのもありますが、相手が放ったのはフェイダウェイ――後ろへ下がりながら放ったシュートだったのです。体勢を崩しやすくバスケットから離れながらのシュートになりますが、下がった分だけブロックショットの上の軌道を描きます。それもあってユッコの手が届かなかったのです。
6点差となってしまいましたがここで焦るわけにはいきません。
「佳保里さん、まだまだこれからですよ!」
「もっちろん! 私たちの戦い方で、この試合勝つよ!」
復活した美春に答え、私はボールを運びます。
紗耶香は変わらず徹底したマークにあっています。ここは私が頑張るしかありません。
センターの智子とユッコを囮にして、私は美春にパスを出しました。少し休んだことで動きを取り戻した美春がディフェンスを躱してシュートを放とうとしますが相手も必死です。点差は縮めさせないとダブルチームで美春を迎えうちます。
美春の手からこぼれたボール――。そのルーズボールを紗耶香が拾いました。
「佳保里っ!」
プレスされながらも託されたボール。ここは確実に決めなければ――。
そんな気負いが邪魔したのか、シュートが僅かに逸れてしまいました。
試合をしていると、時々シュートを放った瞬間にそれが入るのか入らないのかが確実にわかる時があります。今放ったシュートも、一見すると良い軌道を描いているように見えますが、これはリングに弾かれてしまうはずです。
だから私は智子とユッコに「リバウンドお願いっ!」と声をかけようとしたのですが……。
ゾクッ
首筋に感じた悪寒で声が出ません。しかも、悪寒を感じた瞬間にボールの軌道が僅かに変わったように見えたのです。
「佳保里、ナイスシュート!」
私に声をかけながら戻って行く紗耶香。
信じられないことに、入らないと確信したシュートが決まっていたのです。
今の悪寒が何だったのかはわかりませんが、それを考える余裕などありません。陽舎校の早いリスタートで試合は動いているのです。
いち早く戻っていた美春が相手選手を止めていますが、私もすぐに戻る必要があります。
自陣を見た時、私は我が目を疑いました。
あれは――だれ?
ゴール下に女の子が立っていました。
顔はよく見えませんが、それは赤い着物を着たおかっぱ頭の女の子です。知っているような気もしますが、血色の悪いその子がどこの誰だったのかを思い出すことができません。知り合いだったようなそうではないような……。
それはともかく、侵入者なのだから審判が試合が中断してもおかしくはないのですが……。
そんなことを思いながら戻っていると、女の子は不意に肩の高さまで腕を上げました。そして、何かを掴むようにグッと手を握ったのです。その途端、バチンッというゴムが切れたような音がしたかと思うと――
キャぁぁぁぁぁッ!
絶叫が会場に響き渡りました。
声を上げたのは先行していた陽舎校の選手。彼女が右の足首を押さえて倒れ込みます。
慌てて試合を中断する審判員。倒れた選手に駆け寄って状態を知るとすぐに担架を要請しました。彼女の右のアキレス腱が断裂してしまったようです。
美春との接触はなく、ドリブルで抜こうとした時に大きな負担がかかったのだろうと審判員は言っていますが、なぜか私はあの女の子の仕業に違いないという確信がありました。
「どこに――行っちゃったの……?」
私は赤い着物の女の子を探しますが、彼女はどこにも見当たりません。
忽然と姿を消してしまったのです。
白熱した試合の思いもよらない中断に会場はざわついています。
それは私たちも、陽舎校の選手やコーチたちも同じでした。
倒れた陽舎校の選手は担架で運ばれ、試合は陽舎校のボールで試合が再開されました。
しかし、それまでの白熱した空気とは違います。あんなことがあってみんなが動揺しているというのもあるとは思います。けれど、今の会場は寒いのです。ゾクゾクする悪寒がまとわりつき、胸が締めつけられるような息苦しさがあります。
周りの様子を見るとそれは私だけなのかもしれませんが、みんなもなにかしらの異変を感じているはずです。
だって、その後の試合展開は異様だったのですから――。
それは陽舎校のシュートは何かに邪魔されているかのようにことごとくリングに嫌われ、こちらのシュートは全て決まるという異様さ……。
私は三本のシュートを放ちましたが、外れそうになるボールにはまたも見えない力によって軌道修正されたように見えたのです。
結局、陽舎校は第四クオーター開始直後に2点を入れただけで、その後は1点も入れることが出来ませんでした。
試合は50対38で私たちの勝利。優勝した私たちが全国大会への切符を手に入れました。
念願が叶い、勝てたことは嬉しいのです。ですが、私はなんとも言えない気持ち悪さを感じています。
それはきっと、私以外の誰もあの女の子を見ていなかったからでしょう。赤い着物を着た少女――ゴール下という目立つところにいたはずなのに、私にしかその姿は見えていなかったらしいのです……。
みんなが抱き合って喜んでいるなか、私はなぜか冷たく感じる流れる汗に身を震わせていました――。
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