第一話 『けやきの木に住むカナエさま』
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願い事が叶うと嬉しいものです。そのために精一杯の努力してきたことならなおさらでしょう。
けれども、その願いが叶うようナニかにお願いし……そして、叶った望みの代償があまりにも大きすぎるものであったとしたら?
それでも嬉しいものなのでしょうか? その代償は当然のものなのでしょうか?
私は後悔しています。
あんな願い事をしてしまったから……。
私は大沢佳保里。
これからお話しするのは、私たちの身に起きた信じられない恐怖体験です――。
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「ねえ紗耶香ちゃん、『カナエさま』が願い事を叶えてくれるかもしれないって話は知ってるよね?」
夏の夕暮れ。蒸し風呂のような体育館でバスケットボールの練習をした私たち。練習を終え狭い部室兼ロッカールームで着替えていた時、後輩の美春がそんな言葉を切り出しました。
美春は二年生。私たち三年生は四人しかいないので、三人いる二年生からレギュラーに選んだのがこの美春。いつも元気いっぱいでショートヘアが良く似合う可愛い後輩です。
「カナエさま?――ああ、あの都市伝説みたいなおまじないね」
「にゃはは。ここは村だから、都市伝説っていうよりも村伝説だね~。しかも学校限定の」
「なんでそんな話を? ここまできてまさかの神頼み?」
紗耶香は胸を潰すような感じでブラウスのボタンを無理やり閉じ、興味なさそうに聞き流します。
ユッコは独特な笑い方で紗耶香の言葉を少し訂正。
そして、智子も静かな声で呆れた笑みを返しました。
長い髪を後ろで束ね、大きな胸をしているのが紗耶香。本人は邪魔なだけだと言っていますが、私たちはその言葉を聞くたびに「ふ~ん」と言いながら白い目を送ってあげるのがお約束になっています。
ユッコは調子の良いムードメーカー。前髪を二つに分けておでこを出している女の子。広いおでこがチャームポイントです。
智子は物静かな女の子。大きな声ではしゃいだり笑ったりはしませんが、責任感が一番あって、その温かみのある存在感で私たちを支えてくれるお母さんのような女の子です。もっとも、それを言うと智子は落ち込んでしまうので口には出しませんけどね。
三人とも私と同じ三年生です。
「いや、神様じゃないらしいから神頼みにはなりませんよ。私はさ、全国大会へ行くために出来ることなら、たとえ迷信でもやって損はないんじゃないかって言いたいだけですよ」
「そういうのを神頼みっていうのよ、後輩」
関心のない紗耶香にからかわれ、美春は「む~」とふくれます。
行動力はあるのですが、猪突猛進という言葉がピッタリと当てはまる美春。いつも冷静な紗耶香に言い返すことができません。
とはいっても美春と紗耶香の仲が悪いわけではなく、幼なじみの二人にとってはこれが普通の会話なのです。
「なに? みんなでなんの話をしてるの?」
部室のドアが開き、ジャージ姿の友奈と千恵美が入ってきました。二人とも美春と同じ二年生。
美春よりも短く、男の子みたいなショートヘアをしているのが友奈。日焼けもしていて見た目通りの活発な女の子です。
千恵美は髪を頭の上で二つのお団子にしている女の子。その大きなお団子をほどけば、腰まで届くのではないかというほどの長い髪をしています。
「美春が、カナエさまの所に行きたいんだってさ」
紗耶香がそう言うと、二人は一瞬キョトンとした後に笑い出しました。
「美春ぅ、ここまできて神頼みかよ」
「よりによって、頼む相手がカナエさまって……。村の神社へ必勝祈願に行った方が効果あるかもね」
「だ・か・ら、相手は妖精みたいなものだから神頼みじゃないでしょ? それに、神社への必勝祈願はもう行ったじゃん」
友奈と千恵美に笑われ、美春は助けを求める目を私に向けてきます。
「ねえねえ、佳保里さんはどう思います? 私たちの青春が少しでも長くなるように、みんなでカナエさまにお願いしに行ってみてもよくないですか?」
美春の言葉に、みんなの視線が私に集まりました。
「え、私が決めるの?」
着替えを済ませ、ロッカーを閉めた私に美春は大きく頷きます。
「もっちろん! たった七人しかいないバスケ部を県大会の決勝戦まで引っ張ってきたキャプテンが行くっていうなら、紗耶香ちゃんだって文句は言わないですよ」
「え~、どうしよう……」
私がわざと困ったフリをすると、紗耶香は「誰も文句なんて言ってないよ」と苦笑い。
その反応にクスっとした私は――
「よし、カナエさまにお願いしに行こう」
と決めたのでした。
私たちが通う山ノ中高校には、二年生、三年生を合わせた全校生徒で21人しかいません。まわりを山に囲まれている田舎だから住んでいる人も少ないのです。
だから――ということなのでしょうが、この高校は新一年生の入学を取りやめ、今年度で廃校になることが決まっています。なので、来年度から私たちバスケ部の仲間は卒業や転校でバラバラになってしまうのです。
そんな運命があるなか、私たちはあと一回勝てば全国大会への切符を手に入れられるところまで勝ち進むことができました。この学校で、この仲間たちとの思い出をもっと増やすために、どんな迷信だろうと試してみたいという美春の気持ちは痛いほどよくわかります。
でも――
この時はまだ知らなかったのです。
『カナエさま』があんなに恐ろしい存在だなんて……。私たちの身にあんなことが起きてしまうなんて……。
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部室を出た私たちは、左手に田舎特有の広すぎる運動場を見ながら体育館へと続くアーケードを歩きます。
そこでは野球部がまだ練習を続けていました。彼らの夏の地区予選結果は二回戦で敗退。しかし、練習している部員たちのなかには引退したはずの三年生の姿もあります。
この学校の生徒は大学などへの進学率が低く、ほとんどの生徒は卒業と同時に地元の工場への就職や家業を継ぎます。夏とはいえ、彼らの多くはすでに内定をもらっているので卒業までの時間を持て余しているのでしょう。
そういう私も、卒業したら村の役場で働くことが決まっています。もし私たちが決勝戦まで勝ち残れなかったとしても、きっと彼らのように後輩たちと練習をしているに違いありません。学校や仲間たちとの楽しい日々に終わりが見えているからこそ、思い出を心に刻みつけておきたいのです。
体育館へは一度校舎を出て、運動場が見える各部活動の部室が横に並ぶアーケードを通ります。けれども私たちは部活を終えているので体育館への入り口へは行かず、その裏手にある雑木林へと向かいました。
そこには樹齢何年になるのかわからないほど大きなけやきの木があるのです。その幹には腕が入るくらいの窪みがあります。何十年も前に雷が落ちた時にできたらしいのですが、その窪みのなかには赤い着物を着た日本人形が入っています。
いつからそこにあるのか、誰が入れたのかもわかりませんが、そのおかっぱ頭をした人形が『カナエさま』なのです。
木々が夕日の光を遮ってくれるので少し涼しさを感じます。そしてすぐにそのけやきの木へとたどり着きました。
「ほら、見て見て。今日もカナエさまが私たちを見守ってくれているよ」
先頭を歩く美春が、私たちへと振り向きながらカナエさまを指さします。
窪みのなかから外を覗くように、今日もカナエさまはちょこんと顔だけを出していました。その様子が可愛いと、このカナエさまはけやきの木に住む妖精として親しまれているのです。
噂では、カナエさまに供物を捧げれば願い事を叶えてくださるそうです。願いを叶えてくれるから『カナエさま』と親しまれているのですが……。誰かの願い事が叶ったという話を私は聞いたことがありません。だから『カナエさま』と呼ぶのは可笑しいのかもしれませんが、願い通りにならなかった時はカナエさまのせいに出来るので気がまぎれるのかもしれません。
願いが叶わなければ、きっと捧げた供物をカナエさまは気に入らなかったのだと笑い話になっているのです。
願いを叶えてはくれないけれど、カナエさまはみんなの人気者です。でも……実を言うと、私はこのカナエさまをそれほど好きではありません。日本人形が持つ独特な雰囲気のせいなのでしょうが、私は少し怖いのです。今のように夕暮れ時ならばなおさらで、みんながいなければ私は近づくことすらためらったことでしょう。
「カナエさまこんにちは。あいかわらずお綺麗ですね。今日は~、お願い事があってやってきたのです~」
美春が媚びた笑いを浮かべながら手を合わせます。
「ま、願い事がなければこんな薄暗いところには来ないけどな」
「こらこら。友奈、カナエさまの前で失礼なこと言うんじゃない」
男勝りな友奈を美春がたしなめます。その様子にみんなで笑みを浮かべました。
「なんでみんなで笑うかな~。もうっ、私が代表してお願いしてあげるから、みんなはカナエさまに向かって手を合わせて。ほらっ、合掌!」
腰に手をあてながらふくれる美春に、私たちは仕方ないと手を合わせます。
「よろしい。では――」
満足した美春はカナエさまへと向き直りました。
「カナエさまもご存じのとおり、この山ノ中高校は今年度で廃校になってしまいます。私たちバスケ部の仲間もバラバラになってしまうのです。だから、そうなる前に思い出を作りたいんです。お願いですから、来週の決勝戦で勝てるよう力をお貸しください」
美春のいつになく真剣な後ろ姿に、ユッコが小さく吹き出しました。
「――にゃは。美春が真面目にお願いしてる……」
「ユッコ先輩、ここで茶化すと美春に怒られちゃいますよ」
千恵美に注意されたユッコは合掌の手を少し上げ、目を細めて睨んでいる美春へ謝ります。
「ご、ごめんね~」
苦笑いを浮かべるユッコ。
「もう……」
美春は調子のよいユッコへ息を吐き、再度カナエさまへと向き直りました。
「カナエさま、私たちは命を懸けるつもりで頑張ってきました。だからこれも命を懸けたお願いです。どうか、私たちを勝たせてください。仲間たちとの良い思い出を作らせてください、お願いします!」
最後の言葉が涙声になっています。美春の真剣な心が伝わってきて、私たちはみんな一緒にお願いする言葉である〝おまじない〟を口にしていました。
“叶えたまえ叶えたまえ 叶えませカナエさま――”
その時――
<――イノチをカケルのね?>
喉の奥からしぼり出したような不気味な声が聞こえました。
頭のなかで直接響いた感じの、身震いするような寒気がする女の声です。
「え?」
私は顔を上げますが、みんなはまだ目をつむったまま合掌しています。それに、その声は私たちの誰かではありません。だから私は周りを見回しますが、私たち以外の人影はありませんでした。
「佳保里? どうしたの?」
紗耶香が小声で訊ねてきたので、私も訊いてみることにしました。
「いま、声が聞こえなかった?」
「声? 誰の?」
「それが――わからないの」
「はぁ?」
「ううん、なんでもない。気にしないで」
紗耶香の不思議そうな顔に、私は笑って誤魔化しました。
「カナエさま、これはお供えする献上品でございます――」
そう言って美春がスカートのポケットから取り出したのは、いくつかのクッキーが入っている小袋です。
「美春ぅ、命がけのお願いをするのに、お供え物がクッキーかよ」
「御利益が弱そうだなぁ。カナエさまもがっかりしてるんじゃない?」
友奈と千恵美が美春をからかいます。
「うるさいなあ。カナエさまだって女の子なんだから、甘いもの好きに決まってるでしょ。それに、今はこれしか持ってないもん」
美春は袋からクッキーを一つ取り出し、カナエさまがいる窪みのなかへとお供えします。
「にゃは~。もしカナエさまがそのクッキーのお味を気に入らなかったら、決勝戦は大変なことになるかもね~」
「そ、それはまずいですね。もう一個入れておこうかなぁ~……」
ユッコのからかう笑みに動揺した美春は、クッキーをもう一つお供えしました。
「いや、数の問題じゃないから」
紗耶香の冷静なツッコミにみんなで笑います。
そして、私たちはもう一度カナエさまに手を合わせてからその場を離れました。
数歩歩いた時、私はけやきの木へと振り返ります。背中に視線を感じたのです。
カナエさまは見送るように私たちを見ているのですが――
「ひッ――」
カナエさまと目が合った私は短い叫び声をあげました。
こちらをジッと見ているカナエさま。その口もとが不気味に笑ったように見えたのです。
「佳保里ぃ。なにしてるの~、早く来ないとおいてっちゃうよ」
先を行っていた紗耶香が私を呼びます。その声で私はハッと我に返りました。
「ま、まって。すぐに行くよ」
私はもう一度、恐る恐るカナエさまを見ましたが、そこにあるのは普通の日本人形です。今見たのは錯覚だったのでしょうか?
気づけば、腕には鳥肌が立っていました。涼しいと感じていたこの雑木林なのですが、今は血の気が引くような寒気を感じます。
「佳保里ぃ~」
もう一度私を呼ぶ紗耶香の声で、私はカナエさまから逃げるようにみんなの後を追いかけたのです――。
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