表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄龍革命  作者: 原田昌鳴
4/10

【4】

 坂の先のホテルへの出入りは激しかったが、廃墟に出入りする者は一人としておらず、午前十時半になって取材を敢行する決定が下され、自分は気持ちが萎えた。

 あぜ道の途中にあった桜の木陰にハイエースを駐車し、梶川の指示に従って車内で準備を整えた。カメラ機材を梶川が背負い、飲料水や軍手やタオルの入ったビニール袋と三脚を自分が運んでいくことになった。

 駐車した木陰から黄龍への入り口であるピンクチラシの張り巡らされた虎色フェンスまでは二十メートルほどの距離だった。我々撮影隊は周囲に誰もいないことを確認しながら慎重に歩を進めた。

 風が止まっている。向こうのバイパスを通行する車両のうなりが心地よく耳に届いてくる。

 フェンスの隙間をすり抜け、腰の高さまである叢の中に分け入ると、梶川がその歩速を急激に早めた。フェンス内に侵入したことにより関所をひとつクリアした気持ちだったが、まだ叢の行軍は外部から目視できるので、早く死角に入らなければならなかったのである。

 自分は、こんな境遇に置かれた自分の身を思い、どこでなにを間違えたのかと考えながら歩いた。三流大学やらバンドやら中華料理やら、どれが主因かわからないし、どれも因果があるようにも思えるのである。ただ、そんなことを考えていつも行き着く先は、要するにこの社会に対する不満であった。就職活動というものを行うもまったく相手にされず、自分はこの社会から必要とされていないと思い知らされた。ならば自分の居場所を作る必要がある。この腐れ社会に革命を起こし、自分のような人間を救済する必要がある。と、やはりそう思い至って、ふと梶川を見た。自分の前を行軍する梶川漫歩という男は、見るからに社会へのコミットを拒んできたような人物に思われるのだった。

 九月の太陽を首のあたりにじりじりと受け、夏草をめちゃくちゃに踏みつけながら歩を進め、とうとう殺人ホテル兼ラーメン屋の敷地へと至った。

「着いた着いた、ここだここだ」

 バイパスから見て建物の右側面にあたる入場門の上部に、色のかすれた『いらっしゃいませ』という字が残っている。入り口近くの東塔に『ラーメン黄龍』という文字が大きく書かれているが、どう考えてもラーメン屋には見えず、やはりラブホテルの廃墟としか思われない。

 入り口を遮っていた鎖をまたぎ越えると、意外にもなんだか不思議な安堵感が得られた。とりあえず人目につかない場所まで行き着くことができたことで、緊張の糸がちょっぴり緩んだのだった。

 梶川と自分はざっと建物を一周した。

 近くで仰ぐ建物は全体的にクリーム色の外装で、一階は歯抜けのように空洞であり、おそらくそこが駐車スペースだったようである。それぞれの駐車場の横に扉があって、二階へと通ずる階段があるが、その扉はどれも破られている。ビール瓶やら木片やらコード類やらマンガ雑誌やら肌着やらが散乱している。壁面に、赤いスプレーで『スピリチュアルなデブ』やら『梅毒の未来は明るい』やら『呪いの受け口』やら、意味不明な低脳な文句が書かれいる。中でも一等気味が悪かったのは、両手を広げても余るほど巨大な目玉のペイントが、血の色の涙を流しているものであった。

「おおっ、これ画になるわぁ。良いね良いね。メインカットにできちゃうよ、オッホッホ」

「メインカット?」

「そうそう、見開きにこの一枚をバーンと載せちゃえばインパクト出ちゃうわけ。ウホッ、ちゃんと僕はページ割りのことも考えてるんだよ、オッホッホ」

 なるほど、ただむやみに撮影しても締まりがないということであろう。

 B級を宣言しているこの巨漢のフォトグラファーは、B級なりに写真の世界でもう何十年も生きているのであって、B級としての高いプライドを維持しつつ職務に励んでいるのだと自分は気付いた。Bの中のAということである。

 と、そこまで考えて、改めて自分は「A級とは一体なんなのであろうか?」と考えた。梶川からすれば、自分はA級を気取っているということになるが、それは単にB級を知らなかったことが要因であり、そもそもB級という概念すらなかった自分のような人間がB級の人間から見たらA級を気取っていることになる、というわけである。つまり、A級B級という概念が自分の脳裏に定着した瞬間から、もはや自分はA級ではなくなるのだ。A級の人間は、A級である以上B級という概念を持つことはない。ということは、梶川からB級という概念を植え付けられ、今現在B級雑誌の取材に同行し、B級の人間たちに喜びを与える一端を担っている自分は、もう二度とA級にはなれない、ということではなかろうか? いや、それどころかB級である梶川はA級を気取っていた自分のような人間を軽く蔑んでいるのであるから、自分はB級よりも下のC級ということになるのではないか? B級の人間に見下されているのだから、少なくとも自分はC級以下ということになってしまうのだ。

 そう思い至ったとき、一浪しての三流大学、バンド活動という暴挙、中華料理屋でのバイト等々と密接にコミットしてきた自分の立ち位置がハッキリと納得できた気がした。

 つまり自分は、これまでもずっとC級だったのではないだろうか? ということに思い至ったのである。

 そんな自分がA級社会にコミットしようと証券会社やゼネコンや総合商社等への就職を目指して活動するのは、身の程知らずでクズが行う愚行であったのではないか? 履歴書の特技欄に『シャウト、流し目』などと記載し、厚顔にもその履歴書をA級企業に提出していたことに思いを巡らすと、自分は顔や耳が熱くなった。恥ずかしくなったのである。

 そして自分は、C級から脱出するためにも梶川のB級ぶりをしっかりと観察しようと心に決めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ