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黄龍革命  作者: 原田昌鳴
3/10

【3】

 駅の周辺は昭和の面影を残すのどかな住宅地だったが、ひとつ大きな橋を渡ってバイパス道路に出ると、両側に小高い山が連なるだけで、民家などなく、とても寂しい風景になった。山のところどころに『あなごめし』やら『草饅頭』などと書かれた大人の背ほどある色褪せた看板が、劣化し裾がめくれたような状態で見る人を期待するでもなく地面に突き刺さっている。道路沿いにガソリンスタンドやファミレスがあるものの、バイパス自体の交通量が少ないためにひっそりとしている。

 途中コンビニに寄って弁当などを調達。やがてバイパスの側道から山のほうに逸れて、かろうじて舗装されているあぜ道を畑を縫うように数分行くと、梶川はスピードを緩めて右方向を指さし、声をひそめた。

「あれだよ、あれ」

 すぐ手前の、虎模様の工事用フェンスに、色とりどりなテレクラのチラシがびっしりと貼ってある。その先の、荒れた叢を挟んだ二百メートルほど向こうに、小児が絵に描くような単純な形をした小城の屋根が顔をのぞかせていた。

 それが、通称『黄龍こうりゅう』と呼ばれる廃墟であった。

 元々ラブホテルだったが、廃業後ラーメン屋へと用途を変えたというこの希有な建物は、現在、知る人ぞ知るという心霊スポットになっているという。今から七、八年前のホテル時代に、一人の女性が交際相手に刺殺されるという事件があり、まもなくホテルは廃業。そのあとを継いだラーメン屋は、ホテルの個室をそのまま利用して客席にするという斬新さがかえって客足を遠のかせたらしく、あっというまに廃業したのだそうだ。そして二年ほど前、廃墟と化したこの場所で再び女子高生が殺されるという事件が起きたのである。

 ホテル時代の名前は『ホテルふぁんし〜』と言う名称だったそうだが、その後のラーメン屋時代の店名『黄龍』が廃墟マニアの間で今でも愛称として使われているのだと梶川は言った。

 梶川は一度フェンスの前を通り過ぎ、叢を大きく回り込んで黄龍の廃墟が俯瞰できるところまで移動し、ハイエースを停めた。

「朝飯食いながらしばらく観察しよう」

 梶川は幕の内弁当のフタを開け、割り箸をパチンと割りながら言った。ミートボールの甘酸っぱい匂いが鼻についた。自分はサンドウィッチを購入していたが、なんだか食欲がわかなかった。

「おっちゃん、なんで昨日は車に泊まったの?」

「場所がわかんなかったから、昨日の夜に東京を出てここで寝たんだよね。もし場所がわかんなくて今日撮影する時間が減ったら大変だからさ。知らない場所に撮影に行くときはそうすんのよ」

「でもさ、それだったら昨日の夜写真撮ればいいじゃん」

「ダメダメ、ダメよ。だってさあ、読者に夜の写真見せてもよくわかんないでしょ。なにしろ読者は自分たちも行こうと思ってるアグレッシブな連中なんだから、暗いのを撮影したって意味ないのよ」

「ふーん、そんなもんかい」

「君ご飯食べないの?」

「食欲ないねえ。てか、もし誰かいたらどうすんの?」

「昼まで様子をうかがってから判断するよ。最悪中止。そしたら君にギャラを渡せないね。オッホッホ」

 中止になってくれたらいいなあ、という気持ちがじわじわと自分を包んでいった。人が殺され、しかも極道に拉致されるかもしれないという現場に、いわば興味の延長で踏み入るという行為が、B級ではない自分には禁忌を犯すことのように思われるのである。自分は心の中で手を合わせていた。殺された者を慰める意味なのか、この撮影の中止を祈っているのか、どちらかはわからなかった。

 車を停めている坂道の先には、黄龍とは対照的に現在も元気に営業をするラブホテルがあるらしく、平日の午前中だというのに社名入り営業車や女が運転する軽自動車等が幾台か坂を行き来した。そのたびに男女は、ハイエースの男二人を見て珍獣でも見つけたように目を丸くして過ぎた。多感でA級を気取っている自分はその視線に羞恥を感じて顔を伏せた。梶川は、かまわず幕の内を頬張っていた。

 突如、コツコツと運転席の窓から音がして、目をやると、刃の光る鎌が宙に浮いていた。ハッとした自分は思わず身を引いた。何者かが我々の目的を察して、早々と襲いに来たのかと思われた。

 咀嚼する顎をしきりに動かしながら梶川が窓の外をのぞき込んだ。無防備にパワーウィンドウを下ろすと、鎌がすっと下に消え、かわりにしゃがれた声が車内に飛び込んできた。

「あんたら、ここでなにしとるね」

 梶川の表情がさっと強ばるのがわかった。

 助手席からは見えないが、背の低い老婆が梶川になにかを訊いているらしい。

「え、いや、僕らちょっとこの先に用事がありましてね、ウホッ」

 梶川はこの先にラブホテルがあることを知ってそう言うのだろうか。

「用事?」

 頬被りをする老婆の、端に小さな皺がたくさん刻まれた細い両目が、梶川の向こうにぴょこんと現れた。老婆は自分に、卑しい者を見るような目つきをした。

「そうそう、僕らこの車で日本一周をしてるんだけど、ちょっと疲れたからね、飯食って、この先で休憩でもしようかって思ってね。オホホ」

 休憩、などと言わないでほしかった。

 梶川はこれから黄龍に潜入しようとしているのを警戒しているので嘘を通す。つまり、あくまで休憩をしようとしていると貫くのだった。もしも潜入を知られて通報でもされると仕事にならないからである。

 老婆は声を潜めるような、しかし芯の通った声で言った。

「あんたら、ほんとは大根泥棒じゃなかろうね。大根泥棒なら容赦せんで」

 そう言うと鎌を振り上げ我々を威嚇した。

 あらぬその疑いに拍子抜けした梶川は、顔をほころばせながら否定した。

 こちらの思惑には気づかない様子で警戒心を解いた老婆は、気安い口調に変わり、ここのところの気苦労を語った。

「ここんとこ畑を荒らすもんが多くてなあ、困ってるんだわ。わしゃあいつかとっ捕まえようと思っとるんだが、深夜にやられるもんだけえ、なかなか捕まえれんのよ」

「イノシシじゃないの?」

「いや、ありゃあイノシシじゃないわ。きれいに引っこ抜かれとるし、足跡も人間のもんじゃから」

 老婆は坂下の畑のほうを目を細めるようにして見、歩を進めようとし、そして挨拶のつもりか再び鎌を持ち上げて最後にこう言った。

「悪かったね。アベックじゃと思わんかったもんだけえ」

 自分は情けなくなった。

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