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黄龍革命  作者: 原田昌鳴
2/10

【2】

 三流大学に一浪して入学し、卒業に六年をかけ、それ以後中華料理屋でコックのバイトをしつつ、大学時代から継続していたバンド活動によってメジャーデビューを志すという暴挙に出たまま、気がつけば三十を超え、ある日、バイト先の中国人である王さんと黄さんが入管から目をつけられたらしく突然姿をくらまし、数ヶ月前に別の従業員に中華鍋で殴打されて右肩が痛んでいる主人の劉さんが「経営もすっかり軌道から外れてしまっていたことだし、王も黄もいなくなったことだし、肩が痛くて鍋も振れないし」ということで店じまいを決意してみると、自分には仕事と呼べるものがその手に残らなかった。人より少しシャウトの通りが良いだけが取り柄だった。

 初めて行う就職活動はまったくうまくいかず、希望するような職種に応募したところで箸にも棒にもかからなかった。社会という巨大な流体に対しては、人より少しシャウトが通る程度ではまるで刃が立たないのであった。

 バンドでメジャーデビューを目指しただけでもう二度と正当な社会にコミットできないという現代の社会体制にそこはかとない疑問と激しい憎悪を抱くことになり、もうこうなったら革命家になろうかと真剣に考えていた自分であるが、まずは食わなければならなかったので、革命家のことは横に置いておいて、とりあえず風俗雑誌の裏のほうに載っていた登録型仕事斡旋事業に登録をした。

 その結果得た一発目の仕事がこの仕事である。

 数日前、ある出版社からバイトの募集があり、『撮影補助』とある仕事内容に「楽そうだ」と考え、すぐさま申し込んだ結果、今回撮影をする梶川漫歩という名のフォトグラファーからメールがあり、「貴殿、当日は必ず来ることができるか?」と確認があり、自分が「なめているのですか? 確実にうかがう」と返信をした結果、集合時間、場所、持参物、服装の注意、などが返信されてきた。


『集合場所 ・T県N駅

 集合時間 ・九月三日、午前九時

 持参物  ・領収書、印鑑

 服装の注意・黒は避ける。けれども赤などの暖色系も避ける。白が好ましい。

       暑いかもしれぬが、長袖に身を包むこと。

       サンダルなどは絶対避けること。運動靴が望ましい。』


 撮影内容についてなにも聞かされていない自分は、これらの意味するところが皆目わからなかったが、ネルシャツにジーンズ、足元はオールスターという、指示を逸脱しない出で立ちでアパートを出た。

 晴天の下、都心から四度の乗り換えを経てN駅に着いた。

 通勤ラッシュと重なって息苦しい路線もあったが、乗り換える度に乗客は半減してゆき、野山に囲まれたN駅の殺風景なホームに降り立ったときには車両はほとんど空っぽになっていた。

 冷房の効いた車両を出てみると、湿気たっぷりの夏の草いきれがむんとした。干し草のような香りが鼻につく。ああ、田舎の香りである。バンド活動に熱を上げてばかりでいつになっても社会にコミットしようとしない自分に馬乗りになって殴りかかってきた父親に、幼少の頃によく連れて行かれた祖父母の家を思い出し、自分は柄にもなく懐かしくなった。

 ツクツクボウシが現代の社会体制への抗議のように鳴いていた。

 降り立ったホームの反対側に、遅刻することに開き直った様子の女子高生がひとりいて、艶やかな黒髪を微風に撫でられながら、足を交差させて文庫本を立ち読みしていた。純白の夏服がまぶしかった。清純である。心が澄み渡るような風景である。が、次の瞬間彼女はガーッ、ペッ、と唾を吐き、肩に掛けていた鞄からタバコを取り出すと慣れた手つきで火を点けた。清純さから瞬く間に灰色の気持ちに包まれ、しかも女子高生から睨みをきかされた自分はそそくさと駅を出たのだった。

 木造の古い駅舎である。待合所にこの町の空撮写真が飾られていたが、色褪せて真っ白になっており、荒涼とした砂漠のようであった。

 外にはタクシーの一台とていなかった。タクシーはいなかったが、シルバーの古めのハイエースが駅舎の入り口を塞ぐように駐車されていた。迷惑なこの駐車方法に苛立つ者がいたのか、運転席の窓に唾が吐かれた痕跡があった。サイドミラーの樹脂カバーにはタバコの火を押しつけられたと思しき溶け跡があった。あの女子高生であろうか。

「ひぃーっ!」

 夜空を駆け上がる花火のような音がして振り向くと、駅舎の側部の自転車置き場あたりから、大型の体を持つ銀髪の中年男が、濡れた顔をタオルでごしごしやりながら自分のほうに歩み寄ってくる。

「おろっ、もしかして君?」

 男の割れた顎を、拭き残しのひとしずくがつたい、ぽとりと落ちた。

「あ、どうも」

「おお、やっぱり君だったのね、良かった良かった、時間通りだよ。こういう待ち合わせってさあ、相手を見つけるまでが結構大変なんだよね。新宿だったらこうは行かないけど、ここだったら人いないから好都合だったよ。オホッ、良かった良かった」

 見るからに骨太な男の体躯には脂身もどっさり蓄えられている。ところどころに黒が差した長髪を、盆の窪のところでひとつに束ねている。

「ほらっ、いまさ、堂々と顔洗っちゃったんだよね。昨日車中泊だったからベタついちゃって。ここ、水道あっからさあ」

「はあ」

 眉間あたりから声が抜けた。

「てか、おっちゃんが梶川さん?」

「そうそう、よろしくよろしく」

「ああ、周防秀平っす。よろしくよろしく」

「周防くんね、オッホッホ」

 間の抜けたような不快な笑い声と風呂上がりのような爽快感を湛えた顔。想像していたのと違い、なんだか適当な男のようであった。

 初対面の挨拶もそこそこに、梶川は自分を助手席に促し、ハンドルを握った。

 車の後部はシートが倒されており、布団が敷いてあり、水色の毛布が枕の横のほうでくしゃくしゃになっていた。雑誌、ビールの空き缶、簡易型携帯充電器などが乱雑に布団の上や周りに散らばっている。車内には饐えたような匂いにかすかなアルコール臭が混じっていて不快だった。

 撮影場所まで向かう車中で取材内容を訊くと、梶川はニコニコと顔をほころばせながらも恐ろしい言葉を発した。

「殺人事件があったホテルの撮影よ。ウホッ」

「えっ? ちょっと待って、殺人事件? え? 殺人事件ってどういうこと?」

「おろっ、君聞いてないの?」

「なにも聞いてない」

「あ、じゃああれだ、編集部が伝えるの忘れたんだわ」

 撮影補助、という仕事内容だけで楽なものだと一人合点していたが、今になってなぜあれこれ想像を巡らさなかったのかと自分の楽観主義に唾を吐きたい気分になった。せいぜい風景写真か鉄道写真、あわよくばグラビア撮影ではなかろうかとふんでいたのある。

「今回はさあ、女子高生が殺されたホテルの撮影すんのよ。そんで『我がB』に掲載する。カラーで4ページかな」

「ワガビー?」

「知らない?」

「知らないねえ」

 赤信号にサイドブレーキを引き後部座席に這っていった梶川は、戻ってきて怪しげな雑誌を自分に手渡しながら、付箋紙の貼ってあるところを開いた。

「この雑誌に載せるのよ、今日の取材。次の号が『殺人現場特集』らしくてさあ。で、これは先月号だね。君、見たことないの? この雑誌」

 自分は表紙を確認した。そこには『月刊 我がB』と訳のわからぬタイトルがある。首のとれた巨大な石仏の写真が中央になり、それを取り囲むように放射状に怪しげなトピックスが描かれていて、『潜入撮! 幻の独房島』、『発表! 全国B級おっさんアワード!』等々の文字が派手に踊っている。

「元々はね、『我が輩はBである』っていうアウトロー雑誌だったんだけど、編集長が替わってからはもっとキャッチーに行こうって方針になって、タイトルも縮めちゃったわけ。そしたら部数伸びちゃってさ、オホッ。要するに日本全国のB級スポットとかB級の生き方してる人を取材してる、そんな雑誌なんだよね。君、知らない?」

「知らない」

「なに君、A級気取ってんの? ダメダメ、今の世の中B級なんだよ、ウッホッホ!」

 梶川は言葉の発音やリズムには『月刊 我がB』という雑誌を知らない自分を蔑んだ調子が滲んでいて、なんだかむかついた。

「どういうことよ、世の中B級って」

「オッホッホ、なんつーかなあ、みんな普通に暮らしててさ、まあそれなりに仕事してるし、飯も食えてるわけよ。なんとなくそういう人たちは自分は中流だとか、社会の枠にはなんとか収まってるなとかって絶えず自分の立ち位置を測って生きてるんだけど、そういう人間に限って視野が狭いのよ。全然世界なんか見えてないのよ。ほんとっ。たとえば通勤電車が渡る高架橋の下にね、生活の基盤を持ってるホームレスなんて人間もいるわけよ。でも気付かないでしょ? よしんば気付いたとしても、そのホームレスがいつからそこに住み着いて、毎日なにやって過ごして、なにに希望を見て、なにに幸せを感じてるかなんて考えもしないんだよ。考えたような気がしたとしても、そんなの嘘だね。だって考えたところで、実際にそのホームレスのところに訊きには行かないもん。そのくせ他人を見下したりしちゃうんだから嫌な人種だよ、まったく。僕らがやってるB級と言われているものはね、実際に訊きに行くんだよ。ウホ、あらかじめ先入観を持ってたとしたらね、それも直接ぶつけてみるんだよ。そうしたらね、社会の枠に収まろうと必死になっている、A級を気取っている人種には理解できないような哲学持ってたりするんだよ。ウホッ。夢はなにかって訊いたらさ、一年前に逃げ出して帰ってこない猫を抱いて一緒に死ぬことだ、って、そんなこと言うんだよ。それもさ、できれば冬が良いって。冬にあの猫抱いてたらあったけぇんだ、とかって真剣な目をして言うんだよ。僕らはね、あんたたちの近所にもそんな世界があるんだぜって、世間に知らしめてるんだよ。あんたたちは彼らのことを意識的に抹殺してるんじゃないかって。それでなにが社会だ、なにがA級だ、ってさ、オーホッホ!」

 この説明ではなにがなんだかわからぬが、梶川という男がどうも社会に対して侮蔑の念を抱いているらしいことは理解した。

「廃墟だってそうさ。近所に誰も住んでいない家があってさ、だからなに? ってなもんでしょ。廃墟だってさあ、そりゃあいつか壊されて、そのうちマンションが建ったり、そのまま草が生えてやがては朽ちて建物の跡形もなくなったりするんだよね。でも建物があった以上、そこにはかつて人がいたわけよ。今日行くホテルだってさ、元々はラブホテルってことで建てられたんだけど、ホテルが潰れたあとはラーメン屋に改築されたのよ。ウホッ。数奇な運命辿ってるわけさ。その建物は長年にわたって人を笑顔にさせたり、喜ばせたり、愛を育ませたり、悲しませたりってことがドラマとしてあったわけだよ。その形跡とね、現在の空虚。このコントラスト。これを読者に提示したいわけよ、僕」

 梶川の気概はよく飲み込めたが、自分にはこれまでにまったく縁のなかったB級という世界がまだよく飲め込めない。

「こういうこと訊くのはなんだけどさあ、ラブホテルの廃墟撮って、そんなんでこの雑誌の読者は喜ぶのかい?」

「そうか、君はまだこういうB級雑誌を知らないからしょうがないか。クックック……。こういう雑誌の読者はアグレッシブでさぁ、雑誌読んだあとに実際に現場に行っちゃうくらいなのよ。言い方を変えればね、彼らの遊び場を僕らが探してあげてるって考え方の方がしっくり来るかもね。だからきっと、来月あたりこの町はごった返してると思うよ、今回の撮影の掲載号を見た読者で。ウホッ、ウホッ、オーホッホッホッ!」

 梶川、興奮してきたようである。

「場所によっては一人で撮影しちゃうんだけど、ま、今回はなにがあるかわかんないから、君に頼んだわけよ」

「なにがあるかわかんないって、え? いったいなにがあんの?」

「あれっ、君ビビってんの? A級を気取ってるわりには臆病なんだね、君」

「ば、馬鹿言うんじゃないよ……」

 自分は実際はひどく臆病者であり、それを隠すために虚勢を張る短所があることを理解していた。梶川はそこを見事に突いてきた。

「廃墟はさ、誰が管理してるかわかりづらいんだよ。民家の廃墟ならまだしも、ホテルとか商売やってたところは経営者が逃げちゃってることも多くて、そのあと極道の方たちが管理してることもあるわけよ。そんなところで一人で撮影しててだよ、もしそっち系の人間が来たらなにされるかわかんないからね」

「ご、極道……」

「拉致だろうな、一番可能性が高いのは。こっちも機材があるから簡単に逃げられないからね。でも男が二人いたら、向こうも拉致しにくくなるでしょ。行動を拡散させるわけよ。だから編集部に頼んでバイトを雇ったのよ」

「そ、そうかい」

「あ、もしチャカが出たらごめんね。そしたらもう神にでも祈ってよ。オッホッホ」

 梶川は『チャカ』という単語を出したぐらいから、肩を震わせて、笑いを堪えていた。まるで隣で恐怖心を隠そうと必死になっている自分を小馬鹿にするように。

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