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黄龍革命  作者: 原田昌鳴
10/10

【10】

『いらっしゃいませ』と描かれていた門は、裏から見ると『ありがとうございました』と描かれていた。

 梶川から受け取った車のキーを手のひらでジャラジャラともてあそびながら叢に分け入ると、自分は歩を緩めた。スズメバチに刺されて苦しみもがいていた梶川であるが、まあ死ぬこともないだろう、それにしても黒いソックスを履くなんて詰めが甘いではないか、などと思いつつ、自分は一人自由を噛みしめながら雑草を踏みしめた。

 もう革命などどうでもよくなっていた。もはやA級にはなれないと悟ったこともあるが、本当のことを言えば、そもそもどうやって革命を起こすのかが皆目わからないのである。政治家を襲撃したり国会を包囲したりすれば革命ということになるのか? わからない。自分が唯一その名を知っている革命家チェ・ゲバラにしても、なにを成し遂げたのかよく知らないし、髭を生やしてバイクに乗っているイメージがあるのみであった。髭はなんとかなるにしても、自分はバイクの免許を持っていない。バイクの免許も持っていないのに、革命など起こせる気がしない。

 そんなことを思いながら、ふと、背後で陽を浴びる黄龍を振り返ってみた。この建物、誰がどう見ても朽ちたラブホテルである。そのラブホテルが潰れたからといって、居抜きで借り上げてラーメン屋を開業するという行為は革命といえば革命っぽかった。誰も考えつかぬ大変革。壮大なるパラダイムシフト。その意味で黄さんは革命家であると言えるかもしれない。

 が、その革命は大失敗であり、価値観は瞬時に崩壊し、黄さんは大根泥棒と化したのだった。不法滞在に大根泥棒ともなれば、もはやC級以下ということになろう。黄さんの目指した革命への気概は立派だと思うが、C級以下となっては元も子もないのだ。もしも自分が革命を起こしたとして、黄さんのように大失敗をし、大根泥棒となる可能性は大いにある。いや、大根泥棒ならまだしも、過激派と判断されて投獄などされてしまえば終了である。

 やはり自分は、身の程をわきまえ、C級に留まりつつB級に手を伸ばすのが現実的だと最終的に結論を出したのだった。

 草をかき分け、ピンクチラシだらけのフェンスまで辿り着くと、もう一度黄龍の建物を振り返った。あの建物の中に黄さん一家とスズメバチに刺されたフォトグラファー梶川漫歩がいるということが、白昼夢のように思われて不思議だった。

 フェンスを越えてあぜ道をハイエースのある木陰まで小走りに行く途中、黒塗りのレクサスとセルシオが猛スピードでやって来て、自分の体を軽く擦過して過ぎた。なんとなく嫌な予感がして振り返ると、やはり二台はフェンスの前に停車した。

 レクサスの運転席から白いジャージを着たやせ形の男が降りてきて、後部座席のドアを開けた。黒いスーツにノーネクタイの中年男が一人、煙草を投げ捨てながら胸を張って降りてきた。後ろのセルシオからは三人のジャージ姿の男たちが降りてきてスーツの男となにやら会話をすると、三人はついさっき自分が下ってきた叢に颯爽と入っていった。

 フェンス前に残っているスーツと運転手。スーツが再び煙草を加えると、俊敏な動作で運転手がライターの火を点けて男の煙草に近づけた。

 自分は梶川のハイエースに乗り込むと、運転席の窓を開け、ミラーでレクサスの男たちを窺った。ツクツクボウシが、なにかに対する警戒警報のように懸命に鳴いていた。

 スーツの男は、落ち着かない様子で常に足をクネクネ動かしながら白い煙を吐いている。白いジャージの運転手も同じく落ち着かない様子で周囲を見渡したり、スーツの男の言葉に頷いたりしていた。

 そのとき。

 パン、……パン、パン。

 廃墟から聞こえたその乾いた音に気づいて、運転手の男がすぐさま黄龍へ続く叢を駆けて行った。スーツの男は携帯を取り出し耳にあてると、右手をふところに突っ込み拳銃を取り出し、大股で運転手の後を追っていった。

 自分はハイエースのエンジンを始動させ、アクセルを踏み込もうとした。

「ちょっとあんた……」

 その声のほうに目をやると、銀の刃先を光らせる鎌が浮いている。

「あんた、こんなところでなにしとるか……。まさか、大根泥棒じゃなかろうね。大根泥棒じゃったら容赦せんで」

 頬被りをした皺だらけの老婆が、運転席の自分を見上げていた。

「今朝会ったじゃない」とか「自分とあの大男はカップルではない」とか言いつつ老婆対応をこなしていると、まもなく乾いた発砲音がもう二つ聞こえた。老婆が音の方向を振り返ると「ありゃ大根泥棒だわ! こらしめちゃる!」といきり立ち、小さな歩幅でフェンスのほうへ向かっていった。

 暑さに揺らぐ空気。山の向こうに、真っ白な入道雲が顔をのぞかせている。

 アクセルを吹かしてバイパスを疾走する自分は、警察に行こうか、それともどこか知らない町にでも行ってみようかと頭を巡らせていた。『どちらがB級に近づけるであろうか?』と、そんなことを考えながら。

 しかしながら『いや、家に帰って一眠りしよう』と自分は思い付いた。一眠りして目を覚ませば、この社会体制が瓦解しているかもしれないと思った。そして自分はC級からA級へとランクアップするのである。

 自分はそれを『黄龍革命』と名付けようと考えた。


               《了》

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