7.
源朝子が生きている、という噂があちこちから流れてくる。
鞍馬山に潜伏している、陸奥へ逃れた、などと囁かれた。甚だしきは、蝦夷より唐天竺へ渡ったという。そして、いつの間にか日本に舞い戻り、北條を討つべく兵を集めているのだ、と。あのお馴染みの白拍子装束で馬に跨り堂々と進んでいる、と。
朝子を見た!朝子が来る!
その度に、幕府は火消しに躍起とならざるを得ない。朝子を思慕する民衆の何としつこいことよ。朝子人気再燃は、そのまま幕府への不満であった。
業を煮やした六波羅探題は、何処からか焼け焦げた人骨を二体持ち込み、三条河原に晒す。「源朝子」及びその一味「藤原梓子」であると。
骨は小さかった。おそらく子供のものだろう。成程、女の骨に見えなくもない。より小さい方に「源朝子」の札が掲げられた。
「違うよぉ!朝様は、そんな小っちゃくなかったぞ」
野次に、群衆はどっと沸いた。
「鎮まれ!鎮まれ!」
若い番士は意味が判らず、顔を真っ赤にして棒を振り回した。この光景を土手の上から長身の尼僧が眺めていた。尼僧は手を叩いて笑ったという。誰かが見つけ「朝様ではないか?」三条河原は騒然!・・・いつの間にか、尼僧は消えていた。




