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源朝子は忽然と消えた。
承久元年九月九日、前四代将軍源朝子卒去。
天下に衝撃が走った。都は沸騰!いや、あまりといえばあまり、唐突な訃報。病没をそのまま信じる者はない。四代将軍に何が起こったのだ?!ひとびとは真実を求めた。洛中に暗雲が立ち込め混乱の渦は拡大する。
東山の北條泰時は激怒!朝廷に対し厳重な抗議、そして生死にかかわらず源朝子の引き渡しを要求。有無を言わさず三千の軍勢を京に入れた。六波羅急襲するも、既にモヌケの殻。逃亡を手引きしたとされた北面の武士・藤原秀康は、泰時軍によって拘束される。
間髪容れず京都守護は「源朝子」を公式に否定。そのような者は存在せず、頼朝公の末子を騙った大悪人である、と。将軍家遺児、源三郎を殺害した下手人として徹底的に捜索を開始した。
家屋に踏み込み住人に尋問する。武家・商家・百姓家までも虱潰しに荒らしていく。神社仏閣・公家も容赦しない。都を上下する街道という街道は総て封鎖され、旅人は厳しい詮議を受けた。
源朝子は何処にも居なかった。




