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十三、
春香は、掌にゆっくりと指で「人」と書き口に当て呑み込んだ。それから瞑目し口の中でモゴモゴと台詞の冒頭をなぞらえる。いつもの儀式だ。しばらくすると役が降りて来る。目をカッと見開いた時、既に憑依している。別の人格になるんだ。今度ばかりは気合もひとりで入れねばならぬ。
ひぃ、ふぅ、みぃ、で、「ほぃ!」
さぁもう、お前は源朝子だ!
ひとり芝居の幕は上がった!
東西、とぉざいィーっ!さぁさ、御立ち会い!
一世一代の大舞台!千番に一番の兼ね合い!上手く出来ましたら、お慰み!
昼過ぎ、都に入った。二条大路の立派な門の前に立つ。この屋敷の主「権勢の女」卿ノ局藤原兼子を訪ねてきたのだ。
源朝子は透き通った声でハッキリと告げた。
「お頼み申します!」




