十一、
春香は荷の中から一通の文を取り出した。芝居の小道具だ。懐かしいな。「常盤御前」のときのもの。「操を捨てて操を立てる」か、いいね。
これは上総御曹司源義朝が常盤御前に宛てた恋文だったが、署名花押が「頼朝」になっている。瑞光がウッカリ間違えた。
「しまったぁ!」
「いいよ。別に間違ってても。見物衆に見えるわけでなし」
「いや、儂が得心できんのだ」
瑞光は「敦盛」のとき熊谷直実、「牛若丸」では弁慶として共演。玉によく声をかける。
うーん、でもいい出来だ。捨てるのは惜しいから玉にやろう。どうだ、頼朝が父親の愛人に宛てた恋文だぞ。これは貴重品だ。
・・・文なぞ男だろうが女だろうが、筆の大小と強弱で簡単に書ける。ぐにゃぐにゃ書いてあるだけなんだぞ。なに、判りはせんよ。そりゃ、並べて仔細に比べられたら駄目だがな。文がきたら先ず、読むだろ?気になるのは中身だよ。結果を知りたい。諾か?否か?ってな。ひとは己の望む答えを求めるもの。待ってるんだよ。だから文を読むときは皆、上の空なんだ。筆使いとか、文章のクセなんて気がつくもんか。それにな、ひとは誰しも、己は賢いと思っている。自分だけは騙されるはずがないとな。偉いさんなんか、特にそうだ。だからイチコロ!
ただな、と瑞光は目を光らせた。
「花押は無理だ。花押だけは本人じゃなきゃ書けない。他人では似せられぬ。すぐバレる。だからちゃんとした公文書には花押を入れるんだよ」
ところがだ、筆の天才である瑞光様はそのマネできない花押が書ける。清盛のだって頼朝のだってソックリに書けるぞ。瑞光はいたずらっぽく笑った。
そんなものかと、玉は文を眺めていたが、
「それよりトキワ御前って“常盤”じゃないの?“とき葉”になってるけど?」
「そこが瑞光名人と素人との差だ。儂は芸が細かいからな。ちゃんと調べはついてる。どっちも”トキワ”と読む。“常盤”は宮中での名、公式というか表向きだな。内々は“とき葉”。使い分けてたんだよ。風流人の義朝公は、わざわざ“とき葉”と文に記していた。“とき葉”は義朝だけの女なのさ。名を変えると気分も変わる。別人格になれる。玉も舞台ではそうだろ?まして、その名は愛する者とだけ使う。秘密を共有するんだな。だから“とき葉”なんだよ。どうだ、可愛いだろ?」




