八、
こんなことがあった。
演目「一の谷の合戦」の立回りの際、薩摩守忠度役の英次が足を滑らせ、木刀が玉の頭を直撃!玉は目の前が真っ暗になった。
・・・ふと、気がつくと天井がある。寺の本堂に寝かされているらしい。笙が何か大声で叫んでいるが聴こえない。すると、玉の口から、ぬるんと玉が抜けだした。玉はそのまま、すうーっと、真っすぐ上がっていった。手の先が天井に届いたので、玉は体を捻るようにして振り返った。丁度真下に、玉が仰向けに寝かされている。目を閉じ口を半開きにしている。みっともないな。玉は自分が間抜けに見えて恥ずかしい。笙がすがって泣いている。こんな取乱した笙を初めて見た。いつも厳しい笙が、玉の為に泣いてくれている。玉も泣けてきた。他の一座の者は遠巻きに呆然と立ち尽くすのみ。頭頂部だけが見える。芋を並べたみたい。当たり前だが、長身の玉でも見ることがない部位だ。勘介親方は近頃薄くなったと思っていたが、てっぺんがすっかり禿げている。苦労しているのだろう。見物衆が演者より少ない時があるからなぁ。玉はちょっと責任を感じた。頭は丸く同じ様だが、真上から見下ろすとデコボコがあったりして誰だが判り面白い。そうやって玉は暫く漂っていたが、そろそろ帰らねば。戻れなくなるとこのまま死んじゃうかもしれない。そうしてグルッと上下、体を入れ替えた。景色もそれにつれ、柱も須弥壇もご本尊も、ゆっくりと反転する。今度は足元が天井だ。玉は軽く天井を蹴り、腕を交互にかき分けるようにして寝ている自分を目指した。玉は泳ぎを知らないが、きっとこんな具合なのだろう。なかなか進まない。腕が疲れてきたが、玉は懸命に漕ぐように回した。ここで戻らないと駄目だ。溺れそうになりながらも、ようやく間抜けな半開きの口から体内に潜り込めた。はぁっ、やっと間に合った!
途端、玉は目を開け意識を回復した。笙が痛いくらいに抱きしめてくる。英次は青ざめてガタガタ震えていたが、玉が無事と判るとへたり込みポロポロ涙を零した。
玉は二日ばかり休んだ。一座の皆が優しく大事にしてくれる。こんなことは今までなかったので、玉は何となく居心地が悪い。早々に次の興行から復帰した。何だか前より体が軽くなったようだ。頭の傷跡は今も残っているが、あの体験は一体何だったんだろう?
玉が宙返りに捻りを加えるようになったのは、それからである。




