六、
あーっ、やっぱりいいなぁ。玉は床に大の字になると天井を見つめた。
知栄院奥の間。あまりの玉の憔悴に、気の毒がった杢助さんが鍵を開け中に入れてくれた。知栄院はガランとしている。綺麗に片付けられ、仏具など何も残っていない。主、昌恵を失った部屋は文机がポツンと残されているのみ。空虚であった。昌恵が死んで廃寺となったが、彼女を慕う近隣の百姓達が建物をこうして管理している。嗚呼、昌恵様はどこまでも慈愛の方だった。こんなにも人々に好かれている。
玉は目を瞑った。こうしていると昔のことを思い出す。昔といってもそれほど長く生きてはいないが。
玉は、藤勢から字を習った。藤勢は、玉の進んで学ぼうとする申し出に喜んだ。文字だけでなく、詩文・物語についても教えてくれた。藤勢は「源氏物語」の熱心な読者である。その内容を事細かに憑かれたように語る。そして光源氏が亡くなるところとその後の展開が気に入らぬと憤っていた。何度も聴かされるうち、玉も源氏物語の世界に耽溺。玉と藤勢は自分たちの「源氏」を作っていった。玉はとんでもない発想の飛躍があり、藤勢を驚かせる。光源氏の亡霊が縦横無尽に暴れまくるのだ。玉には創作の才がある。玉は優秀な弟子であった。藤勢は大いに期待し、玉に歌を教えた。ところが、玉は歌が作れない。いや、作るのは作る。が、全く精彩を欠いていた。単純でつまらない歌ばかり膨大に詠む。三十一文字に収めることに苦労しているようであった。決まりごとに雁字搦めにされると、玉は途端に萎縮してしまう。そういえば玉は絵心がない。得手不得手というより、才能がイビツに偏っている。
「意余って言葉足らずといったところかの。いくら玉でも天は二物も三物も与えんわな」
先生は、玉の作品を見せられて苦笑。とうとう藤勢も匙を投げた。
ともかく藤勢のお蔭で、玉は「篝火」とか「澪標」なんて字が書ける。「かげろう」は「蜻蛉」と書くんですよと本人に教えたら「そんな変な字、嫌や」と烈火の如く怒られた。葉月あたりは「難しい字なんて生涯使い道がないだろうに」などと嫌味をいう。その通りではあるが、玉は字を覚えるのが楽しかった。自分が感じたことは、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、その場その時で終わってしまう。だけど文字にすれば何時までも残しておける。そう、玉が死んだ後だって。玉は、瑞光から書き損じの紙を貰い余白に、できるだけ小さな小さな字で、想いの丈を綴っていった。




