六、四代将軍源とも、六波羅幕府ヲ樹立ス!
ともは、帝より六波羅に屋敷を下賜された。広大な地だが、長く空き家となっていた。
六波羅の以前の主は、あの平大相国清盛。陰謀を巡らし、天下に大乱を巻き起こした。敵は容赦なく叩き潰す。たとえそれが、親兄弟であってもだ。気に入らぬ帝は、退位させ島流し。北嶺南都に弓を引き、大仏を焼いた。密告を奨励し、反抗的な公家や坊主を次々と捕えていった。「平氏にあらずんば人にあらず」と驕り高ぶり、都を暗黒にした血染めの独裁者!ひとびとの心に今なお深い傷跡を残している。六波羅は、かつての地獄の日々を想起させる忌まわしき地であった。その六波羅をあえて源氏の末裔に与えるのはやはり、朝廷の武家に対する侮蔑と警戒心であろう。
しかし、ともはお構いなし。元来、縁起とか風水だの頓着しない。大はしゃぎで、あちこち指図したりしてすっかり改築してしまった。そして鞍馬から英次・コウケツ等の仲間を呼び集め一大拠点とした。いきなり大勢の荒くれ男共が跋扈する様に、周辺は畏れ慄いたのであります。
「そもそも、“幕府”とは将軍の在所を指す」
ともは六波羅に「源幕府」を開設する!と華々しく宣言した。
四代将軍源ともが、最初に行ったのは”人事”であった。
「三代将軍死去により無効」になっているとし、幕府の中央組織、地方の守護・地頭に至るまで総て解任。そして即日「四代将軍命」にて全員再任し所領も安堵した。北條氏も、義時の相模守をはじめ、全員がそのまま官位を引き継いでいる。ただし、律令にない尼将軍政子についてはこれを無視した。
京都守護は伊賀光季である。光季は、頼朝伊豆以来の家人。勇猛果敢、百戦錬磨の猛者。その光季が、「四代将軍である」といきなりやってきたともの威に押され、思わず平伏!鎌倉や地方は通知を送っただけだが、光季にはご近所のよしみで将軍様直々に申し遣わす。
「その方、本日限りで京都守護を免ず」そして「本日より京都守護に任ず」
光季は何が何だか判らなかったが、有難く頂戴してしまった。これが何を意味するか、光季も、いや北條すら気づいていない。受け取ったことで認めてしまったのだ。鎌倉中央や各地の守護・地頭は一瞬にして総て、ともの家人となった。
「御恩」を受けたのだ。「奉公」せねばなるまい。