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四代将軍とも  作者: 山田靖
春香のはなし
58/83

四、

 玉は、山科の知栄院昌恵ちえいいいんしょうけい様の弟子になろうと思った。

 知栄院昌恵は藤原の出。刑部卿・範兼(のりかねの長女で名は遥子ようし。今をときめく「権勢の女」卿ノ局・兼子けんしとは実の姉妹である。だが「鹿ケ谷の陰謀」に連座し都から追放。それからもう三十年になる。かつての女闘士の面影はない。慈悲深く、土地では菩薩のように慕われていた。

 玉達は、昌恵には一度だけ世話になった。京大坂で興行が叶わず途方に暮れていると、せめて女人だけでもと泊めてくれたのだ。玉はしとねで寝たのは初めてだった。


 旅先では大半が野宿であった。よくて寺の本堂とか農家の軒下、厩に物置小屋。大事なものは金箱と楽器である。雨露に濡れず風通しの良い場所に置く。次に衣装や小道具等。楽師が囲んで護衛するように眠る。あとは構わない。人間は扱いが低い。勘介も笙も、裏方も踊り子も、男も女もひしめきあって寝る。玉は小さい頃からずっと、笙と藤勢の間に挟まって寝た。

 男達は夜半まで酒と博打で騒いでいる。五月蠅くて眠れない。何がそんなに可笑しいのか?明日も早いのだから、もう寝ればいいのに。

「男は辛いことがあると酒を呑むのだ」笙は言っていた。「可哀想な生き物なのさ」

 毎日、そんなに辛いことがあるのか。ならば、玉は女でよかった。

 玉は夜が怖い。闇の中に何か潜んでいるのだ。そんな時は、目を瞑って朝を待った。だけど眠れない。背中が痛い。息苦しい。疲れ切っているのに目が冴えてしまう。

 突如、死んだらどうなるんだろうという疑問が湧いた。死ぬ!この世から消える。消えたら玉はどうなるのだろう。ひとは何故、死ぬのだろう?死にたくない。どうせ死ぬのなら・・・生まれてこなければいいのに。死んだら・・・死んだら何も無くなってしまう?無くなるってことは、こうやって死ぬのが怖いとすら思えなくなってしまうの?だったら?死んだら、痛いことも寒いこともない?・・・あの世があるとは信じられなかった。寝てる時に意識が無いのに死んであるハズがない。地獄極楽ってのは、偉いひとだけが行けるところなのだろう。玉は自分が消えなければ地獄でもいいと思った。拷問されてでも消えたくなかった。死ぬのは嫌だ、怖い。そんな思いに憑りつかれて、玉はますます眠れなくなる。やっと眠ったと思ったら怖い夢で飛び起きるのだ。

 夏は暑くて眠れなかった。一晩中、虫に喰われ続けたこともある。玉は虫が嫌いだ。あんな小さいのに目も口もある。指で押せば潰れて死ぬ。そのくせ、刺されると飛びあがる程痛い。そしてあの数。何処から来て何処へ行くのでだろう。玉は虫が大挙して襲来する夏を畏れた。それでも夏は冬よりはいい。冬は寒くて眠れなかった。恐るべきは寒さであった。凍えて冷たくって震えが止まらない。ただただ夜明けを待つしかなかった。お天道様が昇るのを見て玉は安堵する。雨も雪も風も、嫌い、嫌い、大嫌い!

「温ったかい、おまんま。暖ったかい、寝ぐら。それがあれば良い。それだけで良い」

 玉は、何の心配もなく眠れる幸せに涙した。


 昌恵はよく、玉に声をかけてくれた。玉は他人にこんなに親切にされたことはない。玉なんかをどうして?戸惑いの方が大きかった。昌恵はあくまでも優しい。玉は胸のつかえが溶けていくような気分になった。この方ならば・・・その晩、玉は昌恵にすがった。

「背ばかり伸びてゆくのです、玉は化け物です!」

 泣き叫び訴える玉を、昌恵は静かに見守ってくれた。

「・・・そなた、どこぞ痛いのか?」

 昌恵は、玉の背中をゆっくりと擦った。

 世間には体の不自由な人がいる。因縁因果応報であるとか、病や怪我で不具となる。目が見えず、口がきけず、耳も聞こえぬ者がいる。そなたは、何処が、何が、苦痛なのだ?背の低い私から見れば、お前は羨ましい。柿の実でも棚の上のものでも簡単に、私に取ってくれたではないか。

「そなたは、ひとより優れたものを持って生まれてきたのですよ」

 玉は慟哭した。昌恵の膝で幼子のように泣きじゃくった。嗚咽が止まない。玉は優れているのか。そんな風に考えたこともなかった。


 翌日、玉達は知栄院を立った。昌恵は門前で見送ってくれた。何度も振り返りながら、玉は喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。

「ここに居たい、昌恵様の弟子になりたい!」


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