安芸
この新しい芸能一座には、いろいろな人物がいる。
勘介は、積極的に同志を募っていった。理想とする芸に邁進するために!
「何ができるか」が基準であった。出自や過去は一切問わない。勘介は鷹揚に総て受け入れた。彼等は興行先で次々と加わってきた。一座は常に二十人程の大所帯。入れ替わりも激しい。中には胡散臭い連中も混じっていたであろう。没落した公家や武家、逃散した百姓、はたまた罪人・お尋ね者が入っていたやもしれぬ。それでも皆、過去を捨てて勘介に心酔し、新たな芸術の創造に燃えた。
座員は、役者ばかりではない。
仏師・コウケツは、芝居で使う小道具を拵えた。鎧兜他武具や宝物仏具の模造品を器用に揃える。本身に代わって木刀を考案し、演芸に革新をもたらしたのも彼である。
絵師・英次は背景などを描いた。英次は舞台にも立ち、また脚本にも興味を持っている。
元宮中の雅楽師・治郎丸他数名が加わり、本格的な音曲が奏でられたのも大きかった。
更に都に出ていた白拍子の葉月・かげろうの舞いで一座は華やかさを増した。
「先生」と呼ばれる男は還暦を過ぎていただろう。先生は物語を作った。先の源平の争いを、事実に基づきながらも華やかな作品に仕上げるのだ。先生は劇的な構成、人物描写に優れていた。勘介は出し物の大半を、先生に任せるようになる。
先生は、平氏に詳しい。殊に平大相国清盛を絶賛!
世間で云う冷血な独裁者にあらず。皇統の乱れを正し、公家の横暴を抑えた。天下を、寺社勢力を含め地方に至るまで、強力に支配したのは清盛が初めてである。農地を拓き、産業を奨励した。宋との貿易により、この国を目覚ましく発展させた。清盛は傲慢などではなく、逆に寛容ですらあった。敵将源義朝の子頼朝を助けてしまう。敗れた敵将の子は殺すか出家させるしかない。さもなくば必ず復讐する。その危険を充分承知の上で清盛は、頼朝を伊豆へ流した。結果、平氏は滅亡する。因縁因果とは云え、酷いことであるよの。
先生は涙さえ浮かべて熱く語った。
藤勢という老女がいた。古ぼけた上等の袿で、いつも静かに座っている。宮中の礼儀作法に長け、女達に化粧や京ことばを教える。一座が見違えるように垢抜けたのは彼女の功績である。舞台はまるで京がそのまま移動したかの如く煌めいた。見物衆は、まだ見ぬ憧れの都を存分に堪能し陶酔。勘介一座が、西国筋で抜きんでた存在となった一因でもある。藤勢は源氏物語をこよなく愛し、女達に繰り返し語って聞かせた。貴族の姫君の嗜みとしても源氏は広く読まれたが、全帖は稀。それを藤勢は、光源氏死後の宇治十帖まで総て読破したのが自慢であった。貴重な写本は戦乱で失ってしまったが、源氏物語は、藤勢の幸せだった少女時代とともに脳裏にしっかりと刻まれている。
東国出身の雲水がやってきた。名は瑞光。四十がらみ、厳つくてとても出家には見えぬが、笑うと愛嬌がある。筆が達者で看板、幟から証文まで書いた。また特殊な技を持ち合わせ、男や女、貴族に武家、僧侶、町人に至るまでどんな筆跡でも書き分けた。花押ですら本物そっくりに拵える。なんなら、歴代の帝、源平武将の花押をズラズラと並べてご覧に入れようか、などと豪語する。
瑞光は鎌倉の面白い話をしてくれた。
「北條政子が実朝を身籠った頃、頼朝が浮気した。相手は伊豆の百姓家の娘。これが政子より先に男子を産んだ。それが発覚して政子半狂乱、母子共に殺せと大騒ぎさ。見かねた嫡子頼家が間に入って、子は出家させるとか何とかで収めた。そいつは三郎といって、母親の身分が低いから実朝の弟にされた。今も鎌倉にいるよ。有名な話。なのに幕府が間抜けなのは、箝口令布いてバレないと思ってるんだ。こうゆうことは直に伝わるもんさ。だろ?鎌倉じゃ下々まで知らぬ者がないのに、奴等は隠しおおせたと安堵している。お笑い草さ」
天下は武家が支配している。その武家の幕府を牛耳っているのは最早将軍ではなく、北條である。北條一族の結束は固い。特に政子に対する弟義時の献身は度が過ぎている。
「こう云うと、お前達は下衆の勘繰りをするであろうが・・・おい、絵師、妖しげな想像をするなよ。義時の名誉のために言ってやるが、そりゃあないっ!」
政子はな”幕府の母”として崇拝されとる。将軍より上位に鎮座まします。既に男女はおろか、人をも超越した存在なのだ。神、ご神体だな。将軍は・・・まぁ神輿、だろうなぁ。
「神輿は華やかで・・・軽い方が良いからな」瑞光は笑った。
安芸で幼子が紛れ込み騒動となった。勘介と笙が話を訊いたがポツリポツリと要領を得ない。何処からどうして来たのか不明。わずかに「たま」という名と、干支から六つと判った。ひょろっとした背格好から十くらいだろうと思っていたので、皆驚いた。顔立ちが良く、賢そう。勘介が「一緒に来るか?」と頭を撫でると、嬉しそうに大きく何度も頷いた。可愛い。勘介夫婦には子がなかったから、天からの授かりものと喜んだ。そして、たまを子役として早速舞台へ上げている。たまは覚えが早く、物怖じもしない。これは良い芸人になる。名も「たま」なら「玉」だろうと勘介が決めた。
勘介は、玉が将来美人になると睨んだ。ただ、笙はちょっと大き過ぎないかと心配していた。玉は成長につけ急激に背が伸びた。手足が長いので舞が映える。だが女たちで踊っていると、玉だけ大きいので舞が揃わない。といって単独では線が細いし、まだ女になりきっていないので華やかさに欠ける。そこで先生は、玉を男装させ若武者の物語を与えた。これが奏功。中でもハマり役は「牛若丸」、稚児の扮装をした華奢な牛若丸がピョンピョン跳ね回り、大男の弁慶を翻弄する様に見物衆は大喜び。そして幕が下りて挨拶に出た牛若丸が、あどけない少女だったことを知らされ、どよめき喝采するのだ。玉という花形を得、勘介一座はどこの興行でも大当たりをとった。




