五、四代将軍源とも、清和源氏主流ヲ継グ!
ともは、卿ノ局に連れられて御所に、院を訪ねた。
院は先の帝である。幼い太子に位を譲り隠居し出家。とは云っても「治天の君」として依然絶大な権力を握っている。院は、英明で、学識深く、和歌に親しみ、武芸を好む。血気盛んな院は、政にも熱心であった。それだけに現在の幕府に、不躾な東国武士の傍若無人な統治に、反発していた。朝廷にかつての栄光と権威を取り戻すのが悲願である。隠居はいわば目眩し。より自由な立場で幕府に対峙し、天下国家を動かす所存であった。
頼朝の娘、だとぉ?
平伏している女は長身だが、なかなか器量良し。成程、頼朝は大柄だった。目鼻立ちのすっきりした、所謂好男子であったな。院は傍らの側近・二位法印に目配せし、ほくそ笑む。これはまた、とんでもないものが手に入った。この女子を使って、鎌倉の田舎武士共に一泡ふかせてやろう。
「何も心配はいらぬ。北條には指一本触れさせん」
院は、ともに優しく語りかけた。凛としている。気に入った。場合によっては養女にしてもよい、とさえ思った。この娘を手元に置いておきたかった。
しかし、ともは毅然と頭を上げる。
「お願いがございます」
よく響く張りのある透き通った声。真直ぐ瞬きもしない黒い瞳。吸い込まれそうだ。
「ともに将軍家を継がせてください」
えっ?!院も、二位法印も、卿ノ局までもが、驚くまいか。何を言い出すのだ、この娘は!
更に、思いもよらぬ言葉が飛び出した。
「征夷大将軍になりたい」
後に物議を醸す、ともの「大将軍論」はこの時より始まる。ともは持説と根拠を、滔々(とうとう)と語った。
鎌倉では、義母北條政子が将軍に就いているとのこと。御台所とは云え、高齢の女人が何故?将軍空位がいかぬのなら、執権義時が継ぐべきだ。何か義時では不都合なことでもあるのか?
理由は、ある!それは、義時が、北條が、・・・平氏!だからだ。征夷大将軍は頼朝以来、世襲してきた。将軍家は源氏である。いにしえの坂上田村麻呂は知らず。当代において征夷大将軍とは、天下兵馬之権を持ち武家の棟梁にして幕府を束ねる無比の称号なのだ。そしてその地位は源氏の独占!平氏北條は資格がない。なので彼等は、「頼朝公未亡人」などという詭弁を持ち出し、政子を立てたのだ。
「ともは、女子ゆえ、御政道には口を挟まぬよう控えておりましたが、義母様が老体に鞭打って奔走する姿はお労しい。女子でも良いのなら、源氏の、正統の、若い、ともが代わって相勤め、親孝行しとうございます」
ともが将軍家を継ぐ。ともが征夷大将軍となって天下の為に粉骨砕身する。
刺すような鋭い舌鋒、しかし当の本人は笑みさえ浮かべている。
院は、膝を打った。「親王を鎌倉の将軍に」と要求されていたところである。態のいい人質ではないか!断じて容認できぬ。この問題で朝幕関係は悪化の一途を辿っている。そもそも、武家の跡目であろう、頼朝の血縁がおればそれに越したことはない。ここに美しい相続者が名乗りを挙げた。万々歳ではないか。よもや「女子では駄目」などとは北條政子は口が裂けても言えまい。
北條の慌てる様が目に浮かぶようだ。これは面白いことになってきた。何といっても、「征夷大将軍は源氏の世襲」という発想がいい。平氏の、北條の、将軍位就任を未来永劫封じ込めるではないか。院は大きく頷いた。
三日後、宮中にて、ともは従五位下征夷代将軍の宣旨を受ける。
ともは自らを「四代将軍」であると名乗った。初代頼朝、二代頼家、三代実朝、そして四代とも、である。将軍を歴代、何代目、と呼ぶのは、ともが創始した。征夷大将軍とは世襲するものと強烈に宣言したのである。
目論見通り「将軍は源氏」が広く定着。後世、源氏の足利・徳川が征夷大将軍に任命される。そして先例に倣い世襲、代を数えることになるのだ。
ともあれ、ここに目出度く、「四代将軍源とも」が誕生したのであります。