葉月
葉月は難波の遊女屋にいた。
元は京でもそこそこの白拍子であった。それがまぁ、男運が悪かったのだろう。駆け落ち相手に逃げられた。途方に暮れていた時、明石で田楽一座に誘われた。葉月は唄も踊りも巧みだ。都では公家や武家・豪商の前で唄い舞って称賛されてきたが、終には田舎のドサ廻り。落ちぶれたものだとは思ったが、春を鬻ぐよりは踊っているほうが楽しい。葉月は妖艶な演技で人気を集めた。
一座は勘介という男が仕切っていた。勘介の妻、笙も元白拍子だ。勘介と笙はこれまでの今様・田楽とは違う全く新しい芸事を創ろうとしていた。それは物語に合わせて唄い踊るとういものだ。彼等は、それを「芸能」と呼んでいた。勘介が物語を書き、笙と葉月が唄と踊りを合わせた。葉月は当初面食らったが、やがてこの新しい芸能に熱心に取り組んだ。
勘介一座には雑多な人間がいた。落ち武者やお尋ね者も混じっていただろう。勘介は過去を問わない。「何ができるか」を問うた。座の衆も、互いの前身を詮索しなかった。
一座は各地の祭りや縁日・市の余興に呼ばれ人気を博した。巡業を続けていたが大津で突如、勘介が捕えられた。風紀を乱す、というのである。一ヶ月後、釈放された勘介は廃人となっていた。やむなく笙は手持ちの金を分けて一座を解散・・・
とどのつまり、一座はバラバラになった。皆、何処でどうしているのか判らない。自分が生きていくので精一杯で、他者を慮る余裕はない。
そこへいきなり武士が踏み込んでくる。葉月は訳もわからず京へ連行された。
「玉を知っておろう」
武士は居丈高に言う。葉月はその名を聞いて困惑した。何?今更?
玉という少女がいた。安芸で拾われた。ほんの子供である。色黒で痩せていて背が異様に高い。陰気で、無口で、いつも背中を丸め隅でポツンとしている。葉月は気味が悪かった。オドオドしているくせに、真直ぐ視線を向けてくるのである。葉月は面白くないことがあると、よく玉を苛めた。殴ったり蹴ったりした。髪の毛を引っぱったこともある。しかし、叩かれても抓られても、玉は無言で耐えていた。ただ非難がましい目を向けてくる。それがまた気に入らない。
そんな玉だが舞台へ上がるとガラリと変わる。背筋をピンと伸ばし声もハッキリとよく通った。長身で手足の長い玉の舞いは、見映えし輝くようであった。
幕開けは何時も緊張する。何年たっても慣れぬものだ。ガタガタ震える。直前に一同で手を繋ぎ輪になる。笙が音頭を取り、ひぃ、ふぅ、みぃ、で、「ほぃっ!」
皆で気合を入れる。不思議な程、落ち着く。葉月が振り向くと、そこで玉は平然としているのだ。
玉は、まじないなのだろうか、掌を指でなぞって口を押える。それから目を瞑って何事か唱えていた。暗示をかけているのだろう。カッと目を見開いたら、もう憑かれたように役に成り切っているのだ。そうして信じられない芸を魅せる。宙返りで、空中で捻りを入れて体を反転させる。人間技ではない。
何だい、あんなの。コケオドシだよ。ちょっとばかし踊りが上手いだけじゃないか。大きいから綺麗に見えるんだよ。玉は芸をしているだけだ。
実際、玉は、芸を一度の稽古で会得する。見るだけで憶えるようだ。葉月は寸分間違えぬよう指先まで神経を尖らせている。その隣で、玉は笑顔で悠々と大胆に舞う。そう、玉は踊りながら笑うのだ。芸人が歯を見せて笑うなどは、あってはならないことだ。ガキのくせに媚びやがって!客に受けることしか考えていない。自分だけいい気になるな。芸はそんなもんじゃないんだよ。玉には心がない。作り物だ。化け物だよ。その上、あろうことかあるまいことか、玉は舞いでも台詞でも即興で変えてしまう。本来、踊り子風情に勝手な段取り変更は許されない。しかし、舞台は格段に映えた。
「芸は生き物だ。機を見るに敏でなければならない。舞台に上がれば役者のものだ」
座頭勘介が、玉の独断を認めてしまった。お墨付きを戴いた玉はやりたい放題、ますます暴走する。舞台は毎回違った形になった。何をしてくるか判らない玉に対応しなくてはならない。並大抵の苦労ではない。皆の迷惑であった。だが、見物衆は大喜び。結果が全てだ。
ある時、葉月が母親で、玉が子役。親子の別れの場面。葉月は突然頭が真っ白になった。台詞が出てこない。固まったように棒立ち。いけない、いけない、と焦れば焦る程、言葉も筋も思い出せない。舞台袖一同凍りついた。すると玉は、いきなり唄い始めた。葉月が吐くべき台詞、場面の説明、今後の展開を唄い舞った。鳴り物は慌てたが即興で見事に合わせる。葉月も呪縛が解けて舞う。何も知らない見物衆は割れるような大喝采。勘介も笙も安堵、そしてこの斬新な演出に唸った。以降、会話の合間でも唄や舞いを取り入れるようになる。設定や状況を唄って踊った。芝居は一段と盛況!救われた形の葉月だが、玉を一層憎んだ。逆恨み、と自分でも判っている。が、どうにもならない。そのうち、玉に身長を抜かれた。追い越されたのは背丈だけではない。玉は、あっさりと手の届かぬ所へ到達してしまった。そして何処までいってしまうのだろう。葉月は認めたくなかった。
背が高くなりすぎた玉は、最早娘役が合わなくなってきた。そこで勘介等は、玉に男装させることにした。期待に違わず、玉は若武者の役を華麗に舞った。これがまた評判となり玉は一座の花形となる。
葉月は往来に引き出され、今からここを通る者の顔をよく見ろと命ぜられた。
やがて歓声に包まれて行列が近づいてくる。一際華やかな馬上の若武者・・・えっ女?葉月はその者の横顔を見て大きく目を見開いた。
「!」
「どうだ?玉であろう。お前と一緒に田楽一座にいた、玉だ!」
葉月は狼狽えた。喉がカラカラに乾く。そうして、やっと絞り出すように呻いた。
「・・・・違います」
「何っ!違うと・・・玉ではないと申すか!」
「玉じゃありません。全然、別人。玉はあんな美人じゃあないよ」
「庇いたてすると為にならんぞ」
「はっ庇う?馬鹿言っちゃいけない。うちは玉が嫌いだったんよ。いつも苛めてた。皆に訊いてごらん。うちが何で、玉を庇わなきゃいけないのさ。あれは玉じゃないよ」
それでも武士は執拗に迫った。何度も葉月を大路に立たせ、あの女を玉であると認めさせようとした。
「何度見ても無駄だよ。ますます玉に見えんくなった」
葉月は首を左右に振り梳けた。
「玉だと言え!」
武士は威嚇し、遂には暴行に及んだ。殴られても蹴られても、葉月は「違う、違う!」と叫び続けた。
三日後、葉月は釈放された。最後まで否定したままだった。表へ放り出される。葉月は、ふらふらと歩きだした。石に躓いてへたり込んだ。殴られた頭が痛い。触ったら髪が抜けた。葉月は、星明かりで落ちた髪の毛を拾い集めたが、どうにもならないから捨てた。ぺたんと座ったまま腫れ上がった顔で、しばし呆然と夜空を見上げた。雲が滲んだ。葉月は、唇を歪めてかすかに微笑んだ。




