玉
「田楽一座の踊り子だとぉ?!」
北條泰時、狼狽!血の気が引いて震えが止まらない。
「なっ何でまた、どうして・・・」
「勘介という者の一座に春までいたそうです。一緒だった絵師の英次という者が証言しました。勘介が病気になって座は解散との由」
報告した京都守護・伊賀光季も青ざめている。
「二月末に卿ノ局を訪ねていますから、時期は合いますな」
泰時は、まだ腑に落ちない。
「そうだ!知栄院昌恵の弟子、ということで妹の卿ノ局に近づいたのであろう?そこは・・・」
「一昨年の興行の折、知栄院に三日間逗留していました。が、それきりのようです。しかし、遺品を持参してきていますから・・・」
「ま、待て。知栄院昌恵が亡くなったのは何時だ?」
「たしか昨年七月かと・・・あっ当時、一座は大和の広陵ですから無関係です」
「田楽の踊り子がどうやって・・・」
源朝子について、鎌倉の北條政子も義時も晴天の霹靂であった。そしてお膝元の京にありながら、源朝子の存在を二十年以上も気づかなかった京都守護を激しく叱責!源朝子の捕縛と素性検めを厳命したのだ。
しかし京都守護では、源朝子を登場直後から「怪しい」と睨んでいた。そもそも天下人の隠し子が、名乗り出るまで露見せぬとはありえない。しかも征夷大将軍と白拍子の情事という特大の醜聞ならば、大騒動になろう。であるに当時、口さがない京雀の噂にすら上っていない。更に重大なのは、とき葉なる白拍子について該当する人物が見当たらないのだ。
美丈夫な頼朝公は確かに都で度々浮名を流した。京都守護は身近で護衛しているのだ。当然、見聞する。ばかりか、役目柄、それぞれの情事を馴れ初めから結末まで追跡している。その京都守護が寝耳に水だったのだ。慎重な大殿は、都では深入りしなかった。隠し子などいない。となると、源朝子は一体、何者か?
伊賀光季は大番役・石垣吉圀に探索を命じた。
調べは難渋を極めた。全く手掛かりがないのだ。都近在だけでなく、全国の尼寺にも照会したが「春香」どころか、年格好が近い者すらいない。雲を掴むようなはなし。全くの袋小路。石垣はジリジリと憔悴していった。
そんな時、四代将軍の行列を観て狂ったように叫んだ者がいた。英次という元絵師。源朝子を「玉」であると断定したのだ。
四代将軍源朝子、実は田楽一座の踊り子、玉!
「その英次とやらは何と言ってるのだ?」
「それが・・・玉は一座で“牛若丸”を踊っていたのです」
「牛若丸?祇園御霊会でやったあれか」
たかが田楽の踊り子が役で牛若丸を演じたというだけで、頼朝の娘に化ける。幕府はおろか朝廷まで巻き込んで、堂々と四代将軍として振る舞えるものなのか?
「そうだ、大殿の文と印篭を持っておったろう、あれは・・・」
「詳細は不明です。今となっては真贋の程は・・・」
そういえば、源朝子は鎌倉の事情に妙に詳しい。「頼朝の浮気で政子が暴れ頼家が仲裁する」というのは、あの源三郎そのままではないか。極秘のはずである。また、知る者の中で漏らすようなことがあるとも思えない。
それから「征夷大将軍は源氏しかなれない」などという屁理屈を、あの女芸人とやらは何処でどう思いついたのだろう。
結局、背が大きいので騙されたのだ。あの長身で、大男源頼朝の娘でござい、と言われては得心する他ない。そしてあの、ふてぶてしい態度だ。相手が帝であろうが院であろうが物怖じしない。頭を動かさず真直ぐ相手の目を射抜くように見据える。透き通るハッキリとした物言いも、あれも、これも、みな演技であったのか!
いや、問題は持ち込んだ遺品の数々だ。頼朝の文はともかく偽造と考えるとしても、昌恵の方はどうなる?実の妹の卿ノ局が確認しているのだ。
「とにかく、源朝子が、その玉であるという証拠を固めよ」
泰時は、声を張り上げた。話はそれからだ。朝子をしょっ引き、拷問にかけてでも総てを白状させてやる。散々手を焼かせたお返しをさせてもらう。




