十九、
「時の女」四代将軍源朝子の人気は、とどまるところを知らない。今や都では時候の挨拶となっている。連日、朝子の話題で持ち切り。源朝子は偶像であった。そして女子であった。結果、恋の対象として焦がれる男共が続出するのは当然の帰結であった。不届きな者共は、朝子を得ようとあの手この手で行動を起こす。四代将軍の行列を眺めるばかりでは飽き足らぬ。どうかすると六波羅へ侵入を図る輩も現れ、穏やかでない。さすがに薄気味悪いが、そもそも庶民の前に積極的に露出したのは朝子である。愛嬌だけで現在の地位を築いた自業自得。無下にもできず、六波羅も頭が痛い。朝子にとって鎌倉の刺客よりも、つきまとい対策が喫緊の課題である。
醜聞にも悩まされる。大抵は根も葉もない。が、火のないところにへ煙は立つ。
朝子の艶話は降っては湧き浮かんでは消えた。お相手も玉石混合。貴族、武家、僧侶から百姓・町人・職人なんでもござれ。いつも一緒にいる身近な家人も怪しい・・・
噂が飛ぶ度に、朝子は否定し、嫁ぐ気はないと釈明せねばならない。
「自分は女にあらず。清和源氏主流の相続者にて、帝にお仕えする四代将軍。ましてや出家でもある。朝は誰にも嫁ぎませぬ」
朝子は都の恋人であった。永遠に皆の嬶である。誰かのものになるなど許されない。ある時、屋敷に魚を届けにきた男に、何気なく声をかけたところこれが大騒ぎ。もう、やってられない。以降、噂の流れるままに放っておいた。そしたら今度は「恋多き女」だってさ、このやろう。そう、モテる女は辛いのだ。
公家社会でも例外ではなかった。
当初、朝子を奇異の目で敬遠していた貴族達も掌を返し、求愛者は日増しに多くなっている。誰が四代将軍を落とすか、競争が始まった。六波羅に頻繁に使いが来る。連日、山のように歌と文が届く。家人共は気が気でない。梓と郁は勝手に開封しては、きゃあきゃあ喜んでいる。
朝子は、その一切を無視している。
「断るにしても、返事くらいはお出しなさい」
見かねた聡が注意する。あれで聡はなかなかの歌詠みだったので、これをと何首か代作してくれた。だが、朝子は「それは卑怯!」と拒否。聞く耳を持たない。全く頑固な。いつも部屋に籠って何やら書きものをしているクセに、歌も文も出さぬとは!朝子は殺到する男共に一瞥もくれない。その凛とした態度がたまらないと執着する変態もいるが、無視はいただけない。やがて非難の声があがりはじめた。それは徐々に広まり、一ヶ月もしないうちにもう顰蹙の嵐。当然、嫉妬もある。大体、公家なぞは邸に籠り現実から離れ幽玄の世界で生きている。そこでは恋の駆け引きが最大の関心事なのだ。それが総てであるといっても過言ではない。それを、朝子は意に介さない。返事も出さない。
民部大輔・藤原忠則は実直な人柄で評判であった。朴訥とした容貌で浮いた話なぞ終ぞなかった。が、悪いことにこの人が、四代将軍源朝子に恋してしまった。忠則は熱烈に求愛するも、朝子は何時ものように黙殺。そこらの貴族なら、挑んだがやはり駄目だったと笑い話になるところ。嗚呼、それなのに藤原忠則!純真なあまり、朝子に振られた傷心で水銀を呑む騒動となった。この事件により、源朝子批判は最高潮に達した。
朝子は己の与り知らぬところでの非難轟轟に得心がいかぬ。たかが色事、ではないのか?こんなことが生きるの死ぬのになるのか。もっと他にするべきことがあるだろう。だから天下を盗られるのだ!朝子は軟弱な男共を怒鳴りつけたい衝動に駆られた。それでも、朝子が悪者なのだ。
さすがに捨て置けず、朝子は渋々忠則を見舞うことにした。その際、一途な男に諦めてもらわねばならぬ。並大抵ではない。そのためには出家を強調するしかない。
朝子が法衣を纏って出かけようと・・・すると梓が「そんな生半可な格好ではいけませぬ。出家ならば出家らしく剃髪なさいまし!」と余計なことを言いやがった。そ、それもそうだな、仕方ないか。少しだけ髪を切ろうとしたら、またもや梓、
「いけませぬ、いけませぬ。朝様とあろう御方が何とまあ中途半端!どうせならスパッとおやりなされ。大体、朝様の御髪はパサパサで無くても惜しゅうございません!」
嫌がる朝子を取り押さえ、無理矢理丸坊主にしてしまった。梓は「日頃の恨み」とばかり、藤原姫君にあるまじき高笑い。朝子は鏡の中に己の情けない姿を見て愕然。この世の終わりのような顔色で出立した。悔みに相応しい涙目で、民部大輔に申し立てる。
「朝は、今は亡き知栄院昌恵様の弟子で“春香”の法名を持つ出家でございます」
何度同じことを言わせるんだ!そなたの我儘でこのような恥辱に塗れておるのだぞ!もう死んでくれ!
当の忠則はそんな、朝子の憂鬱には気づかばこそ。毛こそ無いが、夢にまで見た、本物の、源朝子が枕元まで来てくれた!天にも昇る思いであった。感激のあまり、あっという間にめでたく全快!
とまぁ、民部大輔の方は片付いて、朝子は丸坊主。
髪の毛が無くなってみて判ったことだが、朝子の頭は妙に歪んでいた。右の目の上あたりに薄っすらと痣があり、何か棒で強く撲られたように全体が変形している。
「ど、どうなさいました?」
朝子は「あっそうか」といった感じで手をやり、
「薩摩守忠度にやられた・・・」
「はあっ?!」
「いやいや、木から落ちたんだよ」
それにつけても、天下の四代将軍源朝子様をこんな酷い姿にした「悪魔の女」梓、許すまじ!必ずや復讐せん。この恨み晴らさでおくべきか。
「あずさはあれだ、やっぱり真っ先に死ぬ役にしよう」
などと、よく判らないが物騒なことを厠で呟いている。目には目を、歯には歯を、梓を丸坊主にする計略も着々と進めていた。しかし「魔女」梓を同じ目に遭わせてやっても、毛は伸びん。朝子は開き直った。過ぎてしまったことを、クヨクヨするのはもうやめよう。人を呪わば穴二つ。「性悪女」梓と同じ低次元まで堕ちることもない。
実のところ、朝子はサッパリした。何かこう、頭が軽いのである。そうか、髪が重かったんだ。あんな重たいものを頭に乗せていたのか。宮中の女共は競うように髪を伸ばしているが苦痛だろうな。あまつさえあの十二単では動けという方が無理だ。「髪は女の命」とは女を身動きできないようにする、男共の陰謀に相違ない。あれで押さえつけていては良い知恵も出ん。坊主が髪を剃る理由が判ったぞ。髪の毛は邪魔だったな。引っ張られると痛いし。とにかく、清々した。
災い転じて福となる。あれ以来、言い寄ってくる男はいない。女官共の陰湿な嫌がらせもピタリと止んだ。油も櫛も不要。何だ、いいことづくめではないか。もっと早くこうすればよかった。これからもこのままでいこう。朝子は、体中が浮き浮きしてきた。
こうなると、梓に感謝すべきかな。剃髪は良いぞ。是非、梓にもお奨めしたい。少しは頭が良くなろう。あっ性根もな。
ところが、好事魔多し。
朝子の突然の剃髪に、都はひっくり返るような騒ぎとなった。
都人は、朝子の坊主頭に目が眩んだ。剃り跡も瑞々しく青々と輝く坊主頭に魅了された。後光が射している。神々しい。もうたまらない、虜となった。朝子を拝むとご利益があるとの無責任な噂が広まったから、さぁ大変。家内安全・商売繁盛・病気平癒・恋愛成就・悪霊退散!連日、多くの民衆が六波羅に押しかける。その数は日に日に膨れ上がってゆく。その賑わいは尋常ではなく、喧嘩や怪我人がでる始末。彼等目当てに、市が立つほどであった。
朝は見世物ではないっ!苛立って「銭を取るぞ」と脅すやいなや、瞬く間に莫大な賽銭が集まってしまった。
「何故、皆こんなに銭を持ってるんだっ!」
せっかくだから、盛大に使ってやろう。この銭で貧民に粥を配り、橋の補修をした。残りは施薬院に寄付。「匿名で!」と厳命したのに、奴等ときたら「四代将軍様贈」と、すっかり巷に広めやがった。このやろう!もうくれと言ってもやらないぞ。あちこちで「坊主の功徳」と大評判。ええぃ今更、売名行為なんかするか!それも花も恥じらう乙女が「坊主!坊主!」と呼ばれて喜ぶと思うか!嗚呼、何故このような仕打ちを!あれもこれもみんな、この頭の所為だ。こんな騒ぎは二度とゴメンと、四代将軍、敢然と宣言。
「髪を伸ばす!」
都は驚天動地!朝様が髪を伸ばす?坊主頭でなくなる!そんな馬鹿な!
今や、朝子の坊主頭は広く定着している。朝と云えば坊主、坊主と云えば朝!朝子の坊主頭は最早象徴であった。都の太陽そのものだ。既に朝子の坊主頭は、朝子のものであって朝子のものではない!四代将軍には坊主頭である義務がある。いち個人の気儘で安易に髪を伸ばしてよいはずがない。断固、反対である。怨嗟の声が轟轟と渦巻いた。
“朝様は庶民の味方ではなかったのか!”
“下々の意見に耳を傾ける政を目指すと言っておられたではないか!”
“坊主頭でない朝様は最早、朝様にあらず!”
“とにかく朝様の坊主頭が見たい!”
「ええいっ鬱陶しい!」
朝子は、惜しむ世論を跳ね除けて、あくまでも断行!
やんごとなき姫君の如く、みどりの黒髪三千丈、艶やかに伸ばしてやると決めた。




