十八、
京の夏は暑い。そして京の夏といえば、祇園御霊会である。
長らく戦乱や天災・疫病等で休止していたが、本年ようやく復活、執り行われることとあいなった。久方ぶりの祭りとあって、殿上人から庶民に至るまで準備段階から大いに盛り上がっている。そして、この機をみすみす見逃す四代将軍源朝子様ではないっ!
朝子は大広間に一同を緊急招集すると、重大発表を行った。
「来る祇園御霊会にて、我等が幕府の真髄を、満天下に盛大に披露すべし!」
どよめきが起こる。朝子は皆をゆっくりと見渡し静まるのを待って、厳かに宣言。
「朝廷からは騎馬の童と、馬長がでるという。院北面は田楽を、受領は田植え女を調進する。町衆も此度は気合が違う。派手な山鉾や仮装で繰り出すといった、聞き捨てならぬ密告まで入っておる。かかる非常事態に、四代将軍たる源朝子が何もせず、ただ指を咥えて漫然と眺めておるだけで良いのか?否!清和源氏主流将軍家の威信を賭けて、これまでにない、また後の世にも語り草となる祭りとせねばならんのだぁっ!」
狐につままれたような一同を後目に、朝子は得々と語りだした。
出し物は
「牛若丸弁慶五条大橋炎之一騎討!」
朝の崇拝するあの源平争乱における英雄!九郎判官源義経。いいか、朝の叔父上であるぞ。そしてその天才児義経の忠実な家人武蔵坊弁慶。嗚呼!この宿命の主従は、当初敵対しておったのだ。それがいかにして固い絆で結ばれたか?親子は一世、夫婦は二世、主従の間柄は現在・過去・未来の三世にも渡る深い因縁!仁義礼智忠信孝悌!これぞ武士!男の花道!感動興奮の一部始終を、絢爛豪華な踊りで完全再現するっ!
「・・・おっ踊りって何ですか?」
「黙って聞け。時は・・・いつだっけな、叔父上が牛若丸といって鞍馬寺に預けられていた時分。その頃都では夜な夜な賊が現れ、武士を襲い刀を奪うという怪事件が勃発していた。その下手人こそ誰あろう、武蔵坊弁慶!修行の為、刀を千本集めていた」
「法師の弁慶が何の修行で刀を集めねばならんのですか?」
「五月蠅いなぁ、願をかけたんだよ、願!“偉い坊さんになれますように“ってな。で、その噂を耳にした我らが九郎判官義経、当時は牛若丸。宸襟を悩ます賊を討取らんと、京へ颯爽と参る!」
「わざわざ鞍馬山から?」
「もう、お前は喋るな!」
京の五条の橋の上、大の男の弁慶が待ち構えている。と、向こうから何やら笛の音。はて、誰あらんと顔をあげると、これが何と何と稚児ではないか。弁慶は子供と侮ったが、腰に立派な刀を差しておる。今宵まで集めし刀は九九九本、あと一本で満願千本!
”小僧、刀を置いてゆけぃ!”
”近頃、武士を襲い刀を奪う大悪人とは、お主か。盗れるものなら盗ってみよ”
”えぇいっ、猪口才な!”
と、ここから牛若丸と弁慶の丁々発止の大立ち回りだ。弁慶、薙刀振り回すが、牛若丸は右に左に、ピョンピョンピョンピョン、軽快に飛び跳ねる。遂に牛若丸は、弁慶の薙刀を叩き落とし喉元に刀を突きつけた。
”まっ、まいりましたぁ!”
かくして牛若丸に感服した弁慶は改心し、以後絶対の忠誠を誓うんだ。
どうだ、泣かせる良い話だろうと、朝子は手を打った。皆、ポカンとしている。
「これを踊りでやる」
「はあっ?!」
どよめきと困惑をよそに、朝子は早速配役に取りかかる。先ずは主役牛若丸。勿論、朝子を措いて他にない。そして対する弁慶役には、橘善行を指名した。
「私が・・・ですか?」
「善行は厳つくて、いかにも弁慶だろうが。そもそも、そなたを家人としたのも何時かこんなこともあろうかと・・・それに朝は先の狼藉をまだ根に持っておるからの。心の傷は少しも癒されておらん。お前は拒否できる分際にないのだ」
「朝様と闘うのですか・・・?」
「何を聞いておった。踊りだと申したろうが」
「おっ踊りとは・・・・?」
「いいよ、教えてやるから」
翌日から地獄の特訓が始まった。
朝子は鬼となった。毎日毎日、善行を庭に引きずり出して踊りを習わせる。ああじゃない、こうじゃないと、激しく注文をつける。出来るまで何度でもやり直しだ。間違えると蹴とばす。周囲も息を呑み、遠巻きに眺めるしかない。尋常ならざる光景。何が朝子をここまで駆り立てるのか?善行は日に日にやつれていく。
他人事ではない。火の粉が降りかかってきた。配役が続々決定!牛若丸の母・常盤御前に、聡。それから静御前は、郁。
「郁は、朝の妻になるんだぞ。嬉しかろ?」
「子供の頃の話に何故、静御前が・・・というか夜中の五条大橋に母と妻がいるのも・・・」
「考えるな、感じろ。錦上花を添う。華やかでいいんだよ」
梓だけは妙に乗り気で、巴御前がやりたいと志願した。「その意気や、良し!」
遂には近郷農家のおかみさんや娘達を「綺麗なべべを着せてやる」と騙すように集めてくる。そうして、古今東西の美女に扮装し絢爛豪華に躍り狂うのだ。ところが、祇王祇女や袈裟御前等の役を振ったら、皆「知らないからイヤ」と言う。「情けないの!」朝子は機嫌を損ねたが仕方ない。その気にならねば良い芸は出来ぬ。お馴染みの小野小町・弁財天・かぐや姫といった勢揃いになってしまった。
さて、男共にも大事な役目があった。
「お前等は、唄え」
「はあぁぁぁぁぁっ?!」
踊りに合わせて唄うのである。朝子の創作で、今様でも田楽でもない聴いたことのない奇妙な楽曲だった。物語に節をつけているようなものだ。御自らの歌唱指導にも熱が入る。
「もっと大きな声で!何を恥ずかしがっておる。そんなことでいざ戦場で名乗りができるか。腹から声をだせぃ!元盛、お前は調子が外れてるぞ」
彼等にもそれぞれ、文覚、畠山重忠、那須与一などと適当な役を振った。
「カブト、お前は敦盛にしてやろう」
「それはどんなひとで?」
「知らんのか?学がないのぉ。平敦盛、無官太夫、笛の名手で紅顔の美少年だ。本来なら、朝の役だぞ。一の谷で源氏方の熊谷直実に呼び止められ、海上から引き返して潔く闘うんだ。すぐ首切られるけどな」
「ヤダなぁ」
物語の構成や踊りの型等、朝子がひとりで総てこしらえた。各人其々に台詞や振付の注を入れた紙を配り細かく指示する。舞は大胆に美しく。指先まで神経を行き渡らせろ。そして見物衆には笑顔を見せよ。ひとりひとり念入りに手取り足取り指導し、しくじれば容赦なく叱責!朝子は一切の妥協を許さない。
「一生懸命やれ!役になりきれ。さすれば天から役が降りて来る。役と一心同体となるのだ!」
あぁそれからと、朝子は険しい表情で続けた。
「勝手に台詞を変えたり、踊りに手を入れることは、絶・対・許さん!ひとりで芸をするな!自分だけいい気になるな。段取りが狂い、周りの迷惑だ」
といっても、一同は間違えぬよう覚えるのに必死なのだ。ああでない、こうでない、やっぱりそうしようなどと頻繁に内容を変更するのは、朝子である。
「芸は生き物である。その場、その時で機を見るに敏でなければならない」
暴走は止まるところを知らない。朝子の凝り性は有名であったが、ここまで鬼気迫るものはこれまでになかった。
「泣くな郁、泣くなら厠いってひとりで泣け。泣いて泣いて、思いっきり泣いて、気がすんだら戻ってこい。そして、その時は笑顔を忘れるな」
笛、太鼓のお囃子がいるな。流石の朝子も「触らせてくれんかった」から、楽器演奏は無理だそうだ。二位法印に頼んで宮中から雅楽師を呼んでもらった。楽師達はいきなり妙な譜面を渡され面食らう。それでもさすがは熟練、必要以上の荘厳な出来となり、朝子を満足させた。
七日ばかり六波羅屋敷の門はピタリと閉じられ、ひとの出入りも禁止。一切は極秘とされた。その間、朝子は勿論朝参にも現れない。屋敷内では昼夜違わず怒号と悲鳴が渦巻いている。
四代将軍源朝子、乱心召されたか、はたまた謀反?!
京都守護や検非違使までもが本気で疑い、一時洛中に緊張が走った。
かくて六月八日、復活祇園御霊会は賑々しく執り行われた。
何といっても注目は、四代将軍源朝子率いる「六波羅幕府」の演舞!沈黙を破っての登場に、いやが上にも期待は高まる。無責任な憶測が交錯する中、五条大橋の周辺は黒山の人だかり。
出番が近づき、一同緊張していた。青ざめて震えている。歯の根も合わない。あの梓でさえ顔が引きつっている。そこへ何時もと変わりない、というか上機嫌の、四代将軍源朝子様が颯爽と現れる。
「どうした、どうした、ん?緊張しとるのか?皆、意気地がないのぉ。命まで取られはせん。気楽に行け。掌にな、“人”という字を書いて呑み込め。それから大きく息を吸って大きく吐け」
朝子は皆に手を繋いで輪になるよう命じた。そして「一番心配」な、カブトと元盛の間に割り込んだ。「瞑目せよ」朝子は口の中で何事か唱えている。
「やるべきことはやった。心配はいらぬ。良い事だけを想え。さすれば、役は降りて来る。あとは楽しめ!舞台は鏡だ。演者が腹から笑えば、見物衆は喜んでくれる」
ややあってカッと目を見開いた。
「朝が合図するからな。ひぃ、ふぅ、みぃ、で、ほいっ!」
「ほいっ!」
不思議な程、落ち着いた。笑みがこぼれる。
チョーンッと柝が入った。
やがて橋の上に憎々しげな善行の弁慶が登場し「あと一本で満願千本ーっ!」と大仰に呼ばわる。
そこで現れいでたる、おぉ何と見目麗しい稚児姿、朝様の牛若丸!
「庶民の難儀救いたいーっ!」
鳴り物、ズラリと居並ぶ源平の武者やら白拍子等が舞い踊る。そして地鳴りのような唄が轟く。
乱暴者だよ弁慶は 京の五条の大橋で
奪い取ったる刀が これで九九九
涼やかな笛の音色に誘われて まかりいでたし牛若丸
小僧刀を置いてゆけ 獲れるもんなら獲ってみな
ぴょんと飛び乗る欄干の 上から手招き足招き
後ろから前から右から左 ここかと思えばまたまたあちら
鬼の弁慶目を回し 牛若丸に降参だ
ヤットコセー ヨイナセー こりゃなんでもせーっ!
ここぞの場面で、朝子はスックと立った欄干の上から、何と何と、捻りを加えた宙返り!
「うぉぉぉぉぉーっ!」
嵐のようなどよめき!ヤンヤヤンヤの喝采!鳴り止まぬ拍手!娘達が嬌声を上げる。お捻り。投げ銭が雨アラレと飛び交う。興奮した見物衆が押し寄せ、五条大橋は大きく軋んだという。圧巻!満都は熱狂の渦!
祇園御霊会での舞踊は見事大成功!朝子は大いに面目を施した。善行はじめ出演者たちも声援を浴びて何かこう、晴れやかな誇らしいやらこそばゆいような満足感に浸っていた。これが芸事の魔力というやつか。
「朝様、来年もやりましょう!」
「・・・お前らには見込みがないっ」
四代将軍源朝子の人気は、祇園御霊会で最高潮に達した。
いかに凄かったか。この日の牛若丸と弁慶は、人々の脳裏に強烈に焼き付いた。虚像は実像を超えた。「牛若丸と弁慶、五条大橋!」伝説は最早、この日の演舞が史実と改変された。そしてその印象は現在に至るまで連綿と続いている。
今日、我々が思い浮かべる「牛若丸と弁慶」は、その実「朝子と善行」なのである。




